彼の彼女
※岩泉夢ですが、及川視点で及川ばかり喋ってます。



「岩泉くん、徹くん、おはよう」

 控えめに笑った彼女に向かい、ひらひらと手を振った。
 昇降口ですれ違う多数の女子生徒の中でも、彼女は一際背が小さい。俺から見れば女子は誰だって小さくて可愛いらしいが、彼女の可憐さは道端に咲く名も知れぬ野花のようで庇護欲をかきたてられた。
 ただ俺から言わせれば、女の子はもう少し強かで図太くて、馬鹿な男を引っ張っていけるくらいの馬力があるといい。
 と、言ってもまあ、彼女と付き合っているのは俺ではないため、余計なお世話といえばそうだ。しかし俺の横で「おう」とぶっきらぼうな声を返したこの男は果たして彼女と上手くやれているのだろうか。それこそ余計すぎるお世話だろうが、気になって彼の顔を見ると尖った瞳と目が合った。
 余計だろうとなんだろうと、あれこれと世話を焼きちょっかいをかけたくなるのが幼馴染みというものだ。

「何見てんだよ及川……」
「べつにー?岩ちゃん、あの子と付き合い始めてどれくらいだっけ?」

 少しだけ背を丸めて、そう聞いた。俺の声になにか含みがあることを感じ取ったのか、彼はただでさえ上を向いた眉をきゅっと力ませこちらを見る。しかし俺としてはなんとなくそんな口調になってしまっただけで、明確にからかう意図もなかったため、顔を緩めたままその眉を見ていた。岩ちゃんはふいと顔を逸らし「二ヶ月くらい、じゃねえか」と言った。くらいって、そういうのしっかり覚えとかないと嫌われるよ。

「二ヶ月かあ。楽しい時期だよね。あ、でもそろそろ終わるかもね、楽しい時期」
「うっせ、お前と一緒にすんな」
「酷いな!一般論の話だよ。それくらいから気ぃ抜きはじて、あっという間に振られるんだからね!」
「だから、お前と一緒にすんなっつの」

 俺と比べて恋愛経験の少ないだろう彼にアドバイスをしたつもりなのに、岩ちゃんはまったく相手にしてくれない。不満ながらそれ以上は言い返さずに隣を歩いていると、階段で追い抜かした女子生徒数人が「あっ、及川先輩だ」と囁いたのが聞こえた。女の子の潜むつもりのないヒソヒソ話には慣れているし、大抵は好意からくるものであるため嫌な気はしないが、男として当然チェックすべきことはさせてもらう。学年、人数、容姿、スタイル、その他諸々などだ。
 名前が耳に入り、いかにも反射的に、といった素振りで振り返ると、きゃあと年下らしいあどけない声が上がった。あまり嫌味にならないように、あくまではにかむ程度に微笑んでおく。「こっち見た」「笑った」「かわいい」「かっこよすぎ」もはや隠すつもりのない感想を騒ぎ立てる彼女たちは、俺をテレビの向こうの人間とでも思っているのだろうか。基本的にこういう女子というのは、自分たちが男にどのような目を向けられているかに鈍感な気がする。ファンだなんだと騒いでいるが、俺から下手に近付けば様々な問題が起こってくるのだから理不尽だ。ちやほやされるのが嫌いかと聞かれればそんなことは全くないが、そろそろ彼女がほしい、と煩悩にまみれている時に色目を使われるとなんとも面倒くさい心地になるのだ。
 一年の教室階で離れていく彼女たちの黄色い声を聞き流しながら、もくもくと階段を上る。

「岩ちゃん……彼女とどうやって知り合ったんだっけ」
「あ?なんだよ急に」
「岩ちゃんから告ったの?」
「……ちげーけど。べつにどっちからでもいいだろ」

 朝練後の代謝良好の体を一歩一歩と持ち上げながら、あんな奥手そうな子が自分から告白したなんて、よっぽど岩ちゃんのことが好きだったんだなと感心した。

「でもさ?いいの?」
「なにがだよ」
「岩ちゃんと付き合ってるのに、岩ちゃんのことは苗字呼びで、俺のことは徹くんだよ?」
「……あー、言われてみればそうだな」
「えっ岩ちゃん、もしかして今気づいたの!?」
「んだよ!」
「俺だったらそういうの絶対嫌だ!気になっちゃう!」

 型から入るつもりはないが、他の異性と比べた時に全てのことにおいて優先順位の一番をしめていないと納得がいかないのは男としてわりと普通の感覚だと思う。

「べつに、誰を何て呼ぼうが付き合ってるのは俺だし、関係なくないか」

 岩ちゃんは心からといった表情でそう言って、なんでそんなこと気にするんだと疑問符を浮かべた。
 俺は途端に自分が物凄く小さな男のように思え、だからいつも彼女と長続きしないのだろうかと薄暗い気持ちになった。

「岩ちゃんのバカ……」
「あぁ!?」

 唇を突き出して拗ねると、彼は怒声を上げたが、まだどつくほどではないらしくそのままのしのしと歩いていく。もう一押しでキレるな、と思い言葉を続けた。べつにキレられたいわけじゃないけれど、いつもの習性で。

「確かに最初に会ったとき徹くんでいいよ、とは言ったけど。まさか律儀に守るとは思わなくって」
「おめーのせいじゃねえか!…………あいつ、真面目なんだよ」

 が、キレると思った彼は俺を殴りも蹴りとばしもせずに、落ち着いた声でそう言った。はたから聞いていても照れるくらいに愛情深い声だった。俺はなんだか羨ましくなったが、果たして誰がどう羨ましいのかの検討がつかず、自分が女だったらなどと気持ち悪いことを考えたが、しかし俺は男なのでやはり新しい彼女が欲しいというところに落ち着いた。

「彼女ほしいかも……」
「お前この前もうしばらくいいって言ってただろ」
「だって岩ちゃんにいるのに俺にいないなんておかしいじゃッイダ!」

 愛に目覚めた岩ちゃんは何を言っても大丈夫かと思いきや、右後方から突如繰り出されたローキックがハムストリングスを刺激する。エナメルバッグをどかりと机に下ろし、「さっさと自分の教室行け!」と俺を追い払うこの幼馴染みは、彼女と一緒にいるとき一体どんな顔をするのだろうか。





 気になったことは気になったままにするな、と両親から教育を受け十七年。加えて俺、及川徹は自分の欲求に素直に生きることをモットーとしているため、さっそく彼女の元へ足を運ぶことにした。昼休みのこの時間、バカな岩ちゃんは呑気に教室で弁当を食べながらクラスメイトと格闘技の話か何かに花を咲かせているのだろう。校内ではあまりベタベタした関係を望まないのか、彼女の教室へ行くことは少ない。そこが狙い目だ。
 俺はクラスメイトの「昨日の山本バッド見た?」という言葉を軽くいなし、弁当の包みを手に立ち上がった。男子高校生というのはどうしてこんなにも格闘技が好きなのだろう。俺も好きだけど。
 途中の自販機で梅ソーダを買い、大股で彼女の教室に入る。教室内の三分の一程度の人間がこちらを見たが、気にせず窓際の彼女に声をかけた。

「や、ご飯一緒に食べよ」
「……え。…………えっ!?」

 自分の周りをチラチラと確認したのち、彼女は目を丸くして俺を見た。彼女の疑問を肯定するようにうんうんと頷き、隣の席に腰を下ろす。それまで彼女となにかを話していた彼女の友人は、彼女の彼氏の親友である俺が珍しく話しかけに来たことに何か緊急性を感じたのか、神妙な顔で席を外した。俺としてはべつにそこにいてくれても良かったのだが、一対一になった結果彼女はますます目を白黒させたので可愛らしいなあと嬉しくなった。雀を追い詰める猫のような気持ちだが、もちろんとって食う気はない。

「たまにはいいでしょ。岩ちゃんの親友と親睦深めるってのも」
「あっ……うん!ぜんぜん、嫌とかではなくって……!」
「そうだよね、急にだもんね。びっくりさせたね」
「あっはい」
「アハハなんで敬語」

 四方に汗をぴょんぴょんと飛ばすのが見えるようだ。彼女は彼氏の友達に対して嫌な態度をとらないよう精一杯になっていた。「真面目なんだよ」と言った岩ちゃんの言葉を思い出し目を細める。
 俺は手にしていた梅ソーダをプシュリと開け、一口飲んでから机の上に弁当を広げた。

「ねえ、岩ちゃんってどう?」
「どう…………って?」
「優しい?怖い?一緒にいて楽しい?俺すぐ怒られるよ。もうちょっと気を長くした方がいいよね岩ちゃんは」
「い、岩泉くんは……」
「……」
「や、優しいよ。私トロいのに、いつも待ってくれるし、口ごもってても嫌な顔しないし、背高いのに、全然怖くないよ」

 彼女は戸惑ったようにそう言った後「あ、徹くんも大きいけど怖くないよ!」と続けた。おそらくそれは嘘だろうが、もちろん突っ込まずに「ありがと」と相槌をうつ。

「そっかー、岩ちゃん優しいのか……。優しいのー?あの岩ちゃんがねー、ふーん」
「……でも、徹くんと話してる時の岩泉くん見てると、私とは全然違うんだけど、岩泉くんってやっぱり優しいんだなって思うよ」
「俺と話してるの見て?」
「うん。二人とも、付き合い長くて、お互いのことよく知ってるからああやって出来るんだろうね。ちょっと羨ましい」

 柔らかな笑顔でそう言った彼女はやはりどこまでも素朴で、俺なんかが無神経に会話を続ければそれだけで致命的な傷を負わせてしまうんじゃないかとソワソワした。そんなえもいわれぬ罪悪感を誤魔化すように弁当箱の真ん中からミートボールをつまみ上げ、もしもしと咀嚼する。一方の彼女は昼食どころではないらしく、包みをほどくことも忘れ俺の次の言葉に控えていた。

「名前ちゃん、徹くんっていうの、やっぱやめようか」

 俺がふいにそう言うと、彼女は一度目を瞬かせた後、さあと表情を強張らせた。俺の機嫌を損ねたとでも思ったのだろうが、もちろんそんなことはなく、むしろ話せば話すほど俺は彼女に穏やかな好感を持っていた。

「岩ちゃん、妬いちゃうからさ」

 今度は俺が嘘をつく。

「岩ちゃんの方名前で呼んであげなよ」
「……名前で?」
「だって『岩泉くん』って長くない?」
「そう……かな」
「そうそう。岩ちゃんきっと名前で呼ばれたら嬉しくて泣いちゃうよ」
「そう……かな?」
「そりゃそうでしょ!俺がふざけて一くんって言うと凄い怒るけど、彼女に呼ばれるなら大歓迎だよ。でも呼ぶタイミング注意してね、岩ちゃん免疫ないから下手に名前呼びしたら興奮して襲ってくるかも!」

 そこまでペラペラと適当なことを言ったところで、確認を求める彼女の目が俺でなく、俺の頭の少し上を捉えていることに気付く。俺は長年培った経験則から瞬間的に頭部を防御しようとしたが、間一髪で間に合わず、予想したよりも少し強めの衝撃をつむじに甘受した。彼がいつもより怒っていることがわかった。

「誰が免疫なくてどうだって……?」
「……あ、えっと、誰かな。誰の話だっけ名前ちゃん」
「お前ほんとふざけんな!!適当なことばっか吹き込みやがって、名字に悪さしてんじゃねえよ!」
「わ、悪さってなに!話してただけじゃん!」
「怯えてんだろーが!!」
「岩ちゃんが暴力振るうからだよ!」
「おめーだよ!!」

 彼女は一体こんな関係のどこに羨ましさを感じるというのだろう。
 俺は「今!今がタイミングだよ!」と心の中で彼女に必死で訴えかけたが、彼女は目をパチクリするだけで一のはの字も言わないのだった。
 昨日覚えたらしいK1の技を肩で受けながら、俺も早く彼女を作ろうと決意を新たにした。


2014.9.22

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