何をか況や


暑い夜だった。
布団へ寝る気になれず畳に裸の背を預けていると、同じようにその辺に転がっていた女が脚に絡みついた。
腰から下に纏わる着流しごと取っ払ってしまいたかったが、動くのが面倒で成されるがまま脱力する。
女はそのまま踝にがぶりと噛み付き、さすがの痛みに足蹴にした。

「…何故斬りかかった?」




月の無い真っ暗な宵。
闇討ちには丁度いい夜だなどと冗談半分に考え歩いていたところ、道端の女に刃を衝き立てられ閉口した。
うんざりこそしたものの、驚きはしなかった。恨みを買う覚えならいくらでもある。

普通の町娘のような格好に暗い色の頭巾だけかぶった女にあるのは度胸だけのようで、技量はないものだから取り押さえるのは容易い。
大した抵抗をするわけでもなく女は小刀を足元に落とし、その拍子に自らの足を切った。暗い夜道にそこだけ白い足袋を、じわじわと血が染めていく。

どこの者かと問いただす前に俺は女を宿に連れ込み足袋を脱がせた。
赤い血を舐めとりながら裾を捲くる。脛から腿へと唇を移しながら畳に倒したが、やはり大した抵抗もしなかった。頭巾の取れた女はえらく儚げな顔をしている。女は既に濡れていた。



「私はおかしいのです。ある夜我慢できなくなります」
「我慢?」

足元から起き上がった女は、襦袢を前で合わせながら言った。

「昼の内は良いのです。気がしゃんとしておりますから。でも暮れるといけません。途端にざわざわと自分の内の雑木林が風に揺れるような心地になるのです。そうしてはっとした時には、刃を男の肌に衝き立てております」
「ほォ」

女は俯きながら言う。俺も背を起こし、女の話に身を入れる。

「いつもそうなのかい」
「いえ、いつもという訳ではありません。月にほんの一度きり」
「女の物と関係あるのかね」
「それもありましょうが。月の出ている夜は平気なのです。満月は人を狂わすと言いますが、私には逆のよう。東に黄色い顔が覗いて、だんだんと白く昇っていくその光は私を癒してくれます」

蒸した室内に窓を開け放てば、女はびくりと肩を揺らした。

「それが夜毎刃物のように磨り減っていき、細い鎌のように鋭くなるころ、私は居ても立ってもいられなくなります。ついには新月朔の夜にこうして人を襲うのでございます」
「殺すのか?」
「殺しやしません。化けて出たら怖いもの」
「通り魔風情が抜かしやがる」

俺は愉快な気分になって、女の衣紋に指を掛け再び背中を顕わにさせた。後ろから覆い被さりながら耳元に口を寄せる。

「我慢し切れなくなったらそん時や、また会いに来るといい。俺はあんたに斬られる気はないが、こうしてかわいがって誤魔化してやることならできるぜ」
「はぁ」

女は思ってもみないことを言われたという顔でふわふわと返事をした。大方同心でも呼ばれる覚悟で自白したのだろう。
腕を回し抱くと汗ばんだ肌が触れ合う。冷えるのが早い女の身体は、窓から入る夜風にさらされひやりと心地がよい。

「にしても難儀な性癖を持ったもんだ。あんた、普通に濡れるのかい」
「普通でも出来ないことはありません。でも言い様ないほど震えるのはやはり男を刺した時だけ」

俺は思わず喉を鳴らした。いかにも甘い睦言を思い出すがごとく赤くなった女の顔が可笑しかったのだ。またぞくりとするほど美しくもあった。

「女に挿されてイかれたんじゃあ、男も形無しだろうよ。だがお前さん、さっきは随分よさそうだったじゃねェか」
「ええ…あなたの血を見損ねたのにどうしてでしょう。あなたのその着流しが、からからに乾いた血のような色をしてたからでしょうか」
「そうかもなァ」

俺は適当な返事をして女の肩を吸った。
おそらく彼女には解るのだ。俺に今日まで染み付いてきた、救いようもないほどの血の匂いが。


なにをかいわんや



2011.7.5


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