晴れ間にみる空



「名前、お前…」

幽霊でもみたような顔、ってのは今の俺みたいなことを言うのだろう。

「死んだんじゃなかったのか」
「足付いてるよ」


晴れ間にみる空


名前とは田舎を同じくする旧友で、ガキの頃から視界のどこかに当たり前に居たような間柄だった。

特別といえば特別だし、特別じゃないといえば名前ほど特別じゃない女もいなかった。つまり身近すぎたのだ。

兄妹のようにいつも同じ匂いを放っていたが、十も半ばを過ぎればガキながら恋人の真似事のようなこともした。
変わりはじめた互いの匂いを確かめ合うように、肌をなぞっては顔を見合わせたあの感覚を覚えている。今思えば発情期の犬猫と変わらなかったと思う。

初夏のあつぼったい空気の中で、俺らはじゃれ合いながら自分を知り、相手を知り、二人が違う生き物だということを知った。

知ったからといって名前との関係が変わることはなかった。
真似事はあくまで真似事で、それをきちんと言葉にしたら何かを引き換えに捨てなくてはならない気がしたからだ。名前がそんな俺をどう思っていたかは知らない。

俺はどうやらその頃から天性のだらしなさを遺憾無く発揮していたらしい。自分で言うのもなんだが、人の性根というのは十四、五にはもう決まっているものだ。こと女に関しては。

そんな訳で彼女との日々は淡く胡乱な思い出として、今も胸に残っている。
俺はとっさに懐に手を当てた。

そう、彼女が思い出になるのは俺が予想していたのより大分早かった。
激しさを増す戦いの中で下手を打ち気をやった俺が、次に目を覚ました時、すでに彼女の里は燃やされていたのだ。
あっという間の襲撃だったらしい。

平らになった燃え跡から見つかった名前の簪は、拾い上げたとたんボロボロに崩れたが、先の瑪瑙玉だけは綺麗に残り光っていた。

「どこにいた」
「うん、最近帰ってきたんだ」

帰ってきた?
その意味を問うために、俺は名前の手を掴み手近な茶屋の二階へと引き入れる。

ぽつりぽつりと語られる彼女の話は、要約すれば単純なだけに現実感を伴わなかった。
襲撃の中で天人に捕虜として捕まり、どこぞの星でお偉方の道楽に付き合わされていたそうだ。
そういえば聞いたことがある。地球の女は高く売れるからと、戦にかまけて違法な人身売買を行うシンジケートがあると。
名前は言葉を選んでいるが、異星の捕虜がどんな扱いを受けていたかなんて目に見えている。

そっと伸ばした掌で触れた肩は、意外にも震えてはいなかった。
当然ながら少女の時とは違う、俺のよく知る、女の柔らかさだ。

それを少しだけ寂しく思う。しかしまあ、無粋なことを言ってもしょうがない。
いろんな事があったのだ。
そうでなくても時が経った。




狭い畳の間で、襦袢越しの彼女の膝に頭を預ける。細い指先が汗ばんだ前髪をすいていくのを感じる。
俺は自分の全てを預けるつもりで目を細めた。

「お前ェに頭触られると、眠くなる」
「…うん」
「昔っから」

くしゃくしゃになった互いの衣服と生温い空気に包まれながら、俺はいつかのことを思い出していた。
あの頃と違い、手放しで女に甘える術くらいは覚えた。歳食うほど上手くなるんだから、不思議なもんだ。

「昔は怒ったのにね、頭撫でると」
「…眠くなってる場合じゃなかったんだよ。あの頃は」
「今は?」
「今は……そうだな。少しくらい、寝てても問題ねぇみたいだ」

四角く切り取られた空に、親子イルカのように呑気に浮かぶ二つの船を見上げながら、息を吐く。
時代は変わった。立場も変わった。
求める物だけが哀しいくらいに変わらない。

名前はするりと、頭から額にかかる包帯の端へ掌を滑らせる。

「晋助は変わらないね」
「ハ、皮肉か?」
「そうじゃなくて」

一つ減った俺の目に映るお前の笑顔こそ、俺に言わせりゃ変わらねえ。

「そりゃいろいろ変わったけどさ、変わってない事の方が多いんだよ。きっと。変わったことばかり目につくだけで」

失ったと思っていた女に見下ろされ、俺は途端にわからなくなる。
今まで俺は何をなくして、何をなくしてない?

ほとんど閉じかけていた目を慌てて開けた俺は、上半身を起こし居住まいを正す。
至近距離で名前の息遣いを感じ、それを掬いとるように一度唇を重ねた。

「……そろそろ行くかな」
「もう?」
「時代は変わったけどな、いつまでも寝てていいって訳にゃいかねェんだよ」

なるべく乾いた声で言おうとしたのだが、六月のふやけた空気には湿っぽく響いてしまう。

「やっぱり晋助変わってないね」
「そうかい…」

空には相変わらず幾つかの船が雲と同じほどの速度で浮かんでいた。


宿から手を振る名前にくっと笠の端を触ってみせ、それを最後に背を向ける。
彼女が俺の見た一時の白昼夢だったならどれほど楽だったろうか。

懐に手を入れ、常にそこにあるものを掴む。
瑪瑙玉はやはり淡く胡乱な色をしていた。

そして確かな固さと重さがあった。

現実はこうも甘く厳しいのだ。


2011.6.13



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