西武口ビックカメラ前に続く狭い階段の下で、俺達は見つめ合っていた。
見つめ合っていたといっても俺は見慣れた俺の顔を見ていたし、彼女もまた彼女自身を見ていた。つまりは、入れ替わっていた。体と、中身が。
階段から落ちて入れ替わるだなんて、そんなベタな。80年代のラブコメか。
「ひ、」
「ひ…?」
「一昔前のラブコメか!!」
俺の目の前で俺が頭を抱えて叫んだ。
アレ、俺らって入れ替わってもあまり思考回路変わんない?
俺が名前で
名前が俺で
「階段から落ちたくらいの衝撃で分離しちゃうって、どんだけゆるっゆるなのよ私達のソフトとハードは!?初期ファミコン並みじゃないの!!」
名前が俺の髪を掻きむしりながら訴えてくるので慌てて止める。二十代の男の髪をなんだと思っているんだ。もっと大切に扱え。
「名前、混乱は解るけどせめて初期ゲームボーイ並みと言いなよ。いつの時代の人間だよ」
「古さ一緒だよ!臨也も充分混乱してるじゃん!」
俺は精一杯平静を装いながら、なんとか状況を理解し受け入れようと努めるが、当然そう容易にはいかない。なんなんだこの事態は。
まあ首のない女がバイクで駆け回り、自販機やゴミ箱が空を飛ぶような街なのだから、あるいはこういうことも起こり得るかもしれない。しかしそれにしたってデタラメ過ぎるだろう。こんな理不尽な仕打ちを受けるなんて、まったく俺が何をしたって言うんだ。
「大体、どうしてこんな何の変哲もない階段で転んだりするわけ?しかも人のこと巻き込んで。落ちるなら一人で落ちてくれよ」
「な…っ、臨也が私のショルダーバッグ後ろから引っ張ったりするからいけないんでしょ!」
「名前が俺を無視して帰ろうとするからだろ。まだ話の途中だったのに」
「臨也の話を最後まで聞いてるほど暇な人間なんてこの世にはいないのよ!」
名前はそう言いながらヘナヘナと力無く座り込んだ。なんて失礼な女だろう。
というか、俺の身体でさっきから無様な格好ばっかしないでくれるかな。情報屋の折原臨也が内股で泣きながら女の子を怒鳴り付けていたなんて噂が立ったら、今後の信用問題に関わる。いろんな意味で。
とりあえずこんな所で嘆いていたって仕方がない。終電も終わってしまったこの時間、人通りが少ないとはいえ男女が意味不明なことを喚き合っていたら目立つ。
俺は名前の腕を掴み、転げ落ちた階段を再び上った。細すぎるとコンプレックスを抱いていた俺の手首も、名前の小さな掌で握るとそれなりに男だ。
後ろからなんやかんやと言ってくる名前を無視し、交差点に出て、終電難民を待ち構えるタクシーに乗り込む。
「…どこ行くの」
「俺の家」
「なんで!?」
「このままハイおやすみ、って別れる気になるの?名前は」
「………」
*
住み慣れた高級マンションも、サイズが違うだけで人の家のようだ。
名前の着ているジャケットの内ポケットから部屋の鍵を取り出し、中に入る。
なんだかんだと付き合いは長いが、名前が俺の部屋に来るのは初めてのことだった。お互いに呼ぶ理由もないし、来る理由もないと思っていたのだろう。まあまさにその通りなのだけど。
しかし度が過ぎるとはいえ、普通とは違う状況にどこかほっとしてもいた。もし俺が俺で名前が名前だったら、なにかの手違いで取り返しの付かない過ちを犯してしまう場合もあるからだ。
「ジャケット、そこの棚に掛けといて」
「あ、うん」
「君のはこれ、カーディガンなの?アウターなの?脱いでいいの?」
「えっ、どっちでも。…いや、やっぱダメ!」
「えー暑いんだけど。てかシャワー浴びた……」
そこまで言ったところで俺は突然大事なことを思い付き、自分の胸を下から持ち上げた。
あ……け、けっこうある。
「……ッ!?ってぇ!!」
「何してんの!?何してんの!?」
ぱぁと心に幸せの光が差したかと思いきや、パァンと頭に閃光が走った。
視力がまともな機能を取り戻すのを待ち顔を上げると、名前がタウンページを片手に息を荒くしている。
「そんなもんで殴るなよ!自分の身体だぞ!?」
「うわああん!臨也に凌辱されるくらいならいっそこの手で殺すわあ!!」
「ちょ、落ち着け!来るな!」
はたから見れば俺が名前を押し倒してる絵面。だが、実のところ他殺と言う名の自殺をはかろうとしている女と、自分に殺されそうになり焦る男という複雑な状況だ。
俺は命からがらフローリングを這い、名前から距離を取る。
顔を赤くして怒る俺は自分で言うのもなんだが、ちょっと引くほどウザい。まあ普段の俺がここまでウザくなることは有り得ないが、参考までに人前で怒鳴るのは控えようと思った。
「…心配しなくてもこんな貧相な身体に欲情してるほど暇じゃないから、安心してよ」
両手を上げながらそう言うと、名前の目にまた殺意のようなものが過ぎる。……これは迂闊に嫌味も言えないな。不便な体になったものだ。
「次指一本でも私の体に触れたら、この体のまま静雄に告白しに行くからね!」
「はあ?そんなこと俺がさせると思う?」
「その体で今の私に勝てると思う?」
……本当に不便な体になった。
結局俺達は複雑な均衡状態を保ったまま、解決の糸口を探すための話し合をすることになった。落ち着くために紅茶を入れようとしたが、普段余裕で開け閉めできる棚に手が届かない。
つま先立ちでぷるぷるしていると、後ろからやってきた名前がひょいと茶葉をとってくれた。なんだこの屈辱は。
→
1/2