彼はそれをしない



雲が空に蓋をしているようで、蒸した風が抜けやしない。低い空の下の広い大地で、私たちは血と汗に塗れていた。

「死にそうな奴、いるか」
「死んだ人なら、たくさん」

立っている者は皆歩けそうだったが、寝ている者の息はもうなかった。境目は些細なことでも、結果は対極だ。戦場では運も実力も全て生死に現れる。解りやすい世界だ。

「……引き上げるぞ」
「はい」

総督の号令により隊員たちは仲間の亡骸に背を向ける。弔ってやりたいが、全てを運ぶなど不可能だ。目に付いた者の鉢金や手甲を胸に忍ばせることすら限界がある。今日起きたことを忘れないよう、この景色と温度を覚えておこうと思った。

「拠点までそう遠くない。日暮れまでには戻れるだろ」
「はい。他の人たちも、戻ってるでしょうか」
「生きてりゃな」

倒幕軍の拠点は峠を一つ越えたところにある。野宿にならないのは有難いが、本拠地付近でこれだけの戦闘が行われるということは、それだけ攻め込まれている証拠だった。戦況は思わしくない。
この先攘夷陣営はどうなっていくのだろう。最後の一人になるまで戦うのだろうか。せめてその前に死にたいと、私はずっと思っていた。

「減ってきたな」
「え?ああ……はい」

後ろを振り向いた総督は、結成当初と比べ半数近くまで減ってしまった自分の隊を見て呟いた。

「やめたいか?」
「……途中でやめるくらいなら、こんな馬鹿げたことはしてません」
「そうだな。でもあいつらはみんなやめていったぞ」

既に遠く、荒野に散らばる残骸になってしまった仲間たちを仰ぎ見てから、総督は再び前を向く。

「やめたんじゃなくて、死んだんです」
「もう俺には着いていけねえと、呆れながらあそこに寝てるんじゃないのか」
「……違います!皆最後まで、総督を信じていました。生きようが死のうが、私たちはあなたを見限りません」
「……」

彼は後悔しているのだろうか。若い精鋭を鼓舞しかき集め、勝つ見込みもない戦を自ら長引かせていることに。

「俺は、ここでは死なねえと思う」
「じゃあ、総督が最後の一人ですか?」
「かもしれねぇな。……だが最近、それも少ししんどいと思ってなァ」

先のほつれた鉢巻きを靡かせて、前を行く総督はいつもと少し違っていた。彼はまだ若き青年将校だが、今日を境に大人になるつもりなのかもしれない。覚悟の責任とは果たして、やめることなのだろうか、続けることなのだろうか。

「…………俺は」
「……あ、総督、前」
「あ?」
「白や…坂田さんたちです」

峠を登りきると、薄茶けた戦場に不似合いな白が浮いていた。彼は満身創痍の私たちを見て「おう」と気の抜けた声を上げる。

「そっちも随分派手にやったみてえじゃねえか、鬼兵隊さんよ」
「さすがに、坂田さんは強いですね。ぴんぴんしてる」
「そいつは強ェんじゃねえ。体が強いだけだ」

先ほどまで悟ったような顔をしていた総督の顔が、いつの間にか子供じみたしかめっ面になっていて、私は何故だかほっとした。

「なんだ高杉、負け惜しみ言ってんじゃねえぞ」
「負け惜しみだァ?俺がいつてめえに負けたってんだよ」
「あ?なんなら今ここで負かしてやろうか」
「上等じゃねえか。てめえは幕府軍にやられたってことにしてやるよ」
「ざけんな」

どこに元気が残っていたのか、二人は互いの服を掴み合いながら器用に峠を下りていく。生気をなくしていた後ろの隊員たちもつられて活気を取り戻していた。笑っている者すらいる。

「オイ、何ぼんやりしてんだ。さっさと戻るぞ」

下から呼びかける総督の、目元へ寄った眉が愛しい。私はその場へ留まったまま声を張った。

「総督、元気戻りましたね!」
「生意気言ってんじゃねえよ」
「もうやめようって、言うのかと思いました。ごめんなさい」

謝れば、総督は口端を持ち上げ不敵に笑った。彼は生きているのだと、大人になっていくのだと、それを見て強く思う。

「お前ら隊員は俺の業だ。……生きてようが、死んでようがな」
「……はい」
「楽になんかしてやらねえよ」

彼は続けることを選ぶのだろう。それはきっと、先に死んだ私たちのためだ。

「最後の一人になんて、ならなくていいんですよ」
「そうはいくかよ」
「頃合いを見て、幸せになってください。総督は」
「……お前ェは随分難しいことを言うな」

簡単ですよ総督。
私たちのことなんて忘れればいい。戦場の温度なんて、振り向いた景色なんて、今日の天気なんて、全て忘れてしまえばいい。
そうすれば私だっていつまでもこんなところに漂っていなくてすむ。あなたのそんな顔だって、もう見なくてすむのに。



2013.7.25

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