ちょうど同じほどの高さにある三白眼が、私を貫いている。痛い。痛覚の伴う視線など初めてだった。それほどまでに彼の目付きは鋭い。
「兵長、痛いです」
「あ?」
「ごめんなさい」
感じたことをそのまま告げると威圧感はさらに増した。もはや重い。視線は刃から固定砲へと変わり私を圧迫している。巨人に踏まれて殉死するならまだしも、仲間の目力に押し潰されて死ぬなど御免だ。そう、彼は殺気を放ってはいるが仲間なのだ。とても仲間、いや、人を見る目とは思えないけれど。
「ゴミが」
「あ、はい。ゴミです。すみません、ゴミです私は」
「違う。いや違かねえが、そうじゃなくて、なんで俺の部屋の前にゴミが積んであるのかを聞いてんだ」
彼の迫力を前にあっさりと人権を手放した私は、同時に持っていた立体機動装置まで落としそうになった。現代技術の結晶であり兵士の魂でもあるそれを兵士長の前でないがしろにした日には、おそらく削がれに削がれベーコンにされ、巨人の餌となるのだろう。ずり落ちるボンベを抱え直す。
「す、すみません! 廊下の掃除をしていたところ、修理班に呼ばれてつい……!」
「早く片せ。ちんたらしてると俺がお前を片すぞ」
「勘弁してください!」
うなじを綺麗に削ぎ落とされた巨人たちを思い出し、何故か私がゾッとする。味方としてこれほど頼りがいのある人物もいないが、つまり敵に回してはいけないということだ。人類最強の刀の錆にされる前に、私はそそくさとその場を後にした。
*
片付けを終え広間へ戻ると、兵長はテーブルの一角に書類を広げ何か書き物をしていた。謝罪の意味を込めコーヒーを持っていく。彼はこちらを見もせずに、ああ、と言って足を組んだ。尊大に見えるのはきっと膝まである大仰なブーツのせいだろう。そういうことにして、笑顔でカップを置く。先ほどから怯えてはいるが、そもそも私と彼は同期なのだ。団長がどこからか連れてきた彼は他の訓練兵とは扱いが違ったし、上達の早さも比ではなかったけれど、入団直後はもっとフランクに話をしていた。軽口を叩いたりもしたものだ。
しかしここは軍隊。今となっては役職の上下が全てである。私は彼を尊敬しているからこの関係に満足しているが、たまにふと昔が懐かしくなる。あの頃から変わらないと思っていた彼も、比べてみれば大分落ち着いたのだろう。実力のある者にとって統率された縦社会というのは心の落ち着く場所なのに違いない。私は少し迷ってから、ごほんと一つ咳をして彼を見た。
なんだ、とこちらを見上げた兵長はどうやらもう怒ってはいないようだった。彼は怒りを抑えない人間だが、その分めりはりがきいているのだと思う。ほっと息を吐き、点検から返ってきた機動装置の手入れをするため椅子を引いた。
十二本あるブレードのうち六本まで磨いたところで、先ほどから引っかかっていたあることについて、私は尋ねてみた。
「……兵長。そういえばさっき私のことゴミって言いましたか?」
「てめえが自分で言ったんだろうが」
「言いました、言いましたけど、兵長も肯定しましたよね?」
「否定する必要がどこにある?」
兵長はカップを傾けコーヒーを口に含むと、薄いな、と呟く。
「いやそこは、フォローしましょうよ。仮にも三十年生きてる男なんですから。女性の少ない調査兵団、少しくらい女を立てておいてもばちは当たらないと思いますよ」
「うるせえな。五十年生きようと百年生きようとゴミはゴミだ。というかお前女だったのか」
「酷い!心外ですね!おっぱい見せましょうか?」
「殺すぞ」
再び凶悪な視線を向けられ、私は慌てて服の裾から手を離した。怒られるのなら見せ損だ。しまっておくに越したことはない。
「お前はアレか、現実が辛すぎて頭がおかしくなった口か」
「兵長、柄にもなく部下の悩みを聞こうとしてるのかもしれませんが、余計辛いのでよしてください」
「なんだよ」
「私の性格は平和な幼少時代からずっとこうですよ、残念ながら」
「そりゃ本当に残念だな。ハンジといいお前といい、近頃入ったガキ共といい、立体機動に秀でた女はみんなどっか頭のネジがぶっ飛んでやがる」
そういえば、現訓練兵の百四期は女が優秀だと聞いていた。調査兵団の精鋭たちに負けず劣らずの個性派ぞろいだ、とも。
しかしその内の何人が私たちの歳まで生き残れるというのだろう。終わりの見えない戦いの中で「補充」される新戦力は、刃こぼれをしては代えられていくこの刃と同じだと思った。確かにまともな神経では壁の外になど行けやしない。手を止めそんなことを考えていると、隣から聞こえていたペンの音も止んでいることに気付き、顔を上げる。
「大事にしろよ」
彼は機動装置の薄い鉄をコンと叩き、私を見た。その目付きはやはり良いとは言い難いものだったけれど、私は何故か褒められたような気になって紅潮した。
「はい、リヴァイ兵士長。尽力します」
私の返事に反応することなく、彼は書類をまとめ席を立つ。塵一つない自室にこもり仕上げるのだろう。ベルトをしていない彼の後ろ姿は凛としていて、まるでどこかの貴族の若者のようだった。実際のところはゴロツキ出のいい歳をした男だというのに。
気を取り直し、作業に戻るため前を向く。磨かれた刃には阿呆のように緩んだ女の顔が映り込んでいたため、私は思わず頭を掻きむしった。薄いコーヒーが倒れて染みる。とりあえず訂正だ。巨人に食われて死ぬより、兵長に目で殺される方がずっといい。
2013.6.3