初めての死亡診断書



カラン、とアイスティーの氷が鳴り、彼女の腕がソファーへ垂れた。

カラオケルームの狭い四片にはそれぞれ違う制服を着た女子高生たちが、バランスを崩したビスクドールのようにがくりと横たわっている。

「彼女、君の友達?」
「いえ。ただの同級生です」

その中でも私と同じ制服を着ている少女を指差し、彼は聞く。私は簡潔に事実を告げた。
彼女は確かに毎日同じ学校に通っている顔見知りではあるが、一度も話したことはないし名前も定かではない。友達と同じ中学の出身ということで、いつか彼女の悪口を聞かされたことがあった気もしたけれど、それも人違いかもしれないと、その程度だ。

「ふうん。それで、君はあまり喉が渇いてなかったのかな?外はあんなに暑いのに」

やはり、このアイスティーに何か薬が入れられていたようだ。苦しんで倒れた者はいなかったから、睡眠薬や弛緩剤の類かもしれない。

「これから死ぬのに、みんな当たり前に喉を潤すんだな、なんて思ったらなんか馬鹿らしくて」
「なるほど。……でも君は、死ぬ気なんてなかったよねえ?」

愉しそうに細められた瞳は赤茶を帯びていて、薄暗い室内の中にきらきらと浮かんでいる。アリスに出てくるチェシャ猫のようだ。惑わすような、導くような、宙に浮いた表情と台詞。
得体の知れない生き物は笑いながら私に近寄ってきたため、最悪死に至るだろうと覚悟を決め、これまでの経緯を走馬灯のように振り返った。




なんの変哲もない、気怠い日曜日の夜だった。
『進む情報化社会とその弊害』という課題レポートを書くにあたり、うろうろとネットサーフィンを繰り返した末、辿りついたあるホームページ。
そこは地域別や年齢別のカテゴリーに振り分けられたよくあるタイプの掲示板で、昼夜問わず賑わい、さまざまな雑談や情報交換が繰り広げられていた。都合の合う者同士の間ではオフ会なども開かれているようだった。赤の他人同士で、と思うかもしれないが、今の時代にはよくある光景だ。集まる人間が自殺志願者で、会ったのちにすることが集団自殺ということを除けば。

以降、私は魅入られたようにそのサイトに入り浸るようになっていた。私自身、べつに積極的に死にたいわけではなかったのだが、そんな世界があると知った以上画面を閉じ履歴を消して、何もなかったように昨日と同じ生活を続けることはできなくなってしまっていた。
病のような興味本位は日毎膨らんで、匿名で書き込むことから始まり、ハンドルネームを考え、それが定着してしまえば後は早かった。自然とコミュニティが生まれ、承認欲求が湧き、目的と手段が入れ替わる。黒いディスプレイはあっという間に現実世界に溢れ出した。
死ぬ気などないままにオフ会の約束をし、私はパソコンの中ではなく生身の体で、現実の街の一角へとその足を向けていた。彼女たちが思い直せばそのまま友達になってしまえばいいし、巻き込まれて死ぬのならそれもよかろうと、今思えば果てしないほどの軽挙妄動である。女子高生の価値観なんて、周囲の人間関係によりどうとでも染まってしまうのだ。

「私を殺すんですか?」
「殺す?俺は自殺志願者を殺すほどボランティア精神に溢れてないし、死ぬ気のない人間を殺してるほど暇でもないよ」
「……」
「でも、君は少し無用心が過ぎるようだね」
「……べつに、巻き込まれたら巻き込まれたで、良かったんです」
「ふうん。ずいぶん無気力だねえ。中二病ってやつかな?」
「……私はまだ高校生だからいいけど、あなたはもういい大人に見えるから目を覚ました方がいいと思う」
「…一緒にしないでくれよ」

いかにもセンシティブなこの美青年と、最期を共にできることに酔いしれていた彼女らは、この部屋に入り暫くしたのち、突如豹変した彼に文句をつける間もなく床やソファーと仲良くなってしまった。自殺志願者の高校生を騙くらかして悦に入ってるような大人が、中二病じゃなければなんだと言うのだ。

「しかしまあ、死にたくもないのに自殺オフに顔を出すなんて、君は彼女たちよりよほど命知らずみたいだ」
「…そうですか」
「でも彼女たちは彼女たちなりに、真剣に思いつめてここに来てるんだよ。そういう人達を馬鹿にする行為は良くないなあ」
「……」

どの口が言うのかと睨みつければ、彼はチェシャ猫の目をすうと細め首を傾げる。

「何か文句でも?」
「べつに…」
「あははっ、べつに!多いよねえ、それ!」

何がおかしいのか知らないが、『今時の若者』とラベルを貼られ馬鹿にされているようで腹が立った。わけがわからない。一体彼の目的はなんだというのか。

「あなたを見てると、近ごろ不感症気味だった心がむかむかと燃えてきて、汗出てきます」
「うんうん。どうやら俺って、人に生命力を与えちゃうみたいなんだよね。宗教家でもやった方がいいかな」

ここへ来て、自殺ではなく殺人を犯しそうな自分をなんとか宥め、私は携帯電話を開く。その手を彼が掴んだ。

「どこへかける気?」
「警察」
「なんて?」
「女子高生マニアの変態が大暴れしてるって」
「酷いなあ。俺、君らみたいな頭の悪い子供と遊ぶくらいなら新宿二丁目でも行くよ」

本当に、彼は人の心に火をつけるのが上手いようだ。私は空いている手でテーブルのグラスに手を伸ばし、口を付けていないアイスティーをまるまる一杯彼に浴びせた。

「……冷たいな。度胸がいいのは認めるけど、もう少し後先考えないと、早死にするよ」
「うるさい、離して!」
「飲み物を飲まない子くらい、今までだって何人もいた」
「……」

そう言った彼の手がポケットから小さなスプレー缶を取り出すのを見て、私はもう一度、今度は家族からの愛や幼少期の思い出なども含めた感動的な走馬灯を見直そうと目を閉じた。

「生意気な女子高生はトランクに詰めてしまおう」

次に目を覚ます時、私は天国が新宿の高級マンションのような所だと知る。



2013.3.16
タイトル交換企画 提出

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