君を連れてどこへ行こう



 目の前の紳士は、紳士を自称するだけあってとても親切である。てつこちゃんに用事があり訪れた日野家の玄関で、揚々と私を出迎えたのは黒服の中でも異端と騒がれる、紳士組の二人であった。

「お兄さんたち、今日は旅館に遊びに行ってるんスよ。代わりに俺たちが留守を」
「そうなんですか」

 日野家の留守を預かる彼らは、妙に慣れた様子で私をもてなしてくれている。おそらく事あるごとにこの家に上がり込んでは、お兄さんの作った料理をご馳走になっているのだろう。てつこちゃんの怒鳴り声が浮かぶようだ。彼らの朗らかすぎる雰囲気にあてられて、近頃下降気味だった気持ちがわずかに持ち直した。

「なんだかすみませんね、突然お邪魔してしまって」
「なに、遠慮することはありません。美しいお嬢さんが悲しそうな顔をしていたら、慰めるのは路傍の紳士の役目。太古の昔からのお約束です」
「エターナリーっスね」

 紳士ウィルバーの悠然とした宣言に、ローライズ・ロンリー・ロン毛氏が適当な相槌をうつ。彼のそのエキセントリックな呼び名は紳士が付けたのか、自分で付けたのか、はたまた親が付けたのか。どれにせよ息を飲まざるを得ない。私は彼の目を見張るほどのローライズを横目に、紅茶を口に含んだ。お腹、冷えないのだろうか。

「そ、そんなに顔に出てますか……? べつに悲しいってほどでも、ないんです」
「いつもより眉毛が下がっていらっしゃる。笑顔もどこか淋しげだ」

 紳士然とした彼の口調は普段とそう変わらないが、子供たちに囲まれている時とはわずかに雰囲気が違って見えた。彼は相手の年齢で態度を変えるような男ではないが、それでもやはり、いろいろと考えているのだと思う。非合法組織に所属する、黒服を着た大の大人二人が、小学生の女の子や人見知りの幽霊、幼いわんちゃんたちに余計な威圧感を与えないよう。限りなく素に近いとはいえ、おどけた態度も彼なりの気遣いの一つなのかもしれない。

「さて、あなたにそんな顔をさせる悪い男はどこのどなたでしょうか」

 彼はティーカップからわずかに口を離し、上目で私を見る。純粋さの中に、確かなしたたかさを兼ね備えた大きな瞳で見つめられると否応なしに心臓が鳴る。彼はいつでも真っ直ぐに人を見るため観察眼が優れているのかもしれないし、もしかしたらそうではなく、当人から直接何かを聞いているのかもしれない。ウィルバーさんは彼の直属の部下だ。
 そう思ったのもつかの間、部屋に電子音が鳴り響く。ウィルバーさんの携帯だ。私はどきりと息を呑んだ。

『紳士組か?』
「おや。管理官、いや失礼、日本支部長が仕事以外で部下に電話をかけるなんて珍しいですね」
『……仕事でないと何故思う?』
「紳士の勘というやつです。しかし紳士組と言っても、ロン毛はここにはおりませんな。代わりに恋人を想いさめざめと泣くご婦人が一人」

 ウィルバーさんの受け答えに、私たちはハテと顔を見合わせる。相手の言葉が聞こえないため会話の内容はわからないが、私は泣いてはいないし、ロン毛さんはここにいる。

『……日野家の留守をお前たちが預かっていると聞いて、少し気になってかけてみたが』
「気になっているなら、本人にかけるのがよろしい」
『なんの話だ?』
「ご安心を。紳士は女性の弱みに付け入ったりはしません」
『ウィルバー。喧嘩を売っているなら買うぞ』
「決闘ですかな? 自慢じゃないが私、あなたが二秒でうんざりするくらいには弱いですよ」

 話しているのはおそらく私が今最も会いたい、そしてずっと会えていない、その人だ。

『……とにかく、お前がこれからも紳士を自称する気があるなら、それでいいんだ』
「もちろんです。しかしこういう言葉もある。据え膳食わぬは紳士の恥」

 本当になんの話なのだろう。ウィルバーさんは聞いたことのあるようなないような慣用句を電話口に告げ、自慢の前髪を揺らした。

「おや。切れてしまいましたな」

 はっはっはと笑いながら、彼はすっくと立ち上がった。そしてクロークの取っ手にかけられた高そうな帽子を手に取り、颯爽と身をひるがえす。

「さて、私たちは例の階段部屋から、草津温泉にでも行くとしますか」
「ウィルバーさん……? 俺ら留守宅まかされたんじゃ……」
「ロン毛、お前は売った喧嘩でぼろ負けする私が見たいのか? それにじき、代わりが来る」

 自信満々といった様子で廊下を奥へと進み、そのまま赤い階段を上って行くウィルバーさんの後を、ロン毛さんがひょこひょこと追いかけた。

「よくわからないっスけど、困ったら電話してください」
「はあ。自由な上司を持つと大変ですね」

 階段部屋から行けるのはその人が行ったことのある場所だけのはずだが、彼らは日本に来て温泉巡りでもしているのだろうか。ろくに仕事をしていないのだとしたら、シュバインさんの多忙も頷ける。

 二人が階段部屋を出て行く音がして、家はひとたび沈黙に包まれる。しかしわずか三十秒ほどでそれは破られた。バタンと勢いよく扉が開き、入れ替わりで下りて来た黒服は彼らではない。ロン毛さん風に言うなら「イリュージョンっスね」だ。

「シュバインさん……」
「日野家の幽霊に、ドアを描いてもらった」

 組織の有事の際ような殺気立った雰囲気を纏っている管理官、改め日本支部長のシュバインさんが、ビジネスライクな口調でそう言うものだから、私は思わず笑ってしまった。

「今日はてつこちゃんたちにあるお願いをするためにここへ来たんだけど……」
「お願い?」
「シュバインさん、忙しくて中々会えないから。せめて階段部屋から会いに行けるよう、アジトのどこかへ繋げてもらおうと思って」
「それなら」
「ええ、もう済んでるみたいですね」

 彼は胸ポケットからタバコの箱を取り出し、しかしここが自室でも仕事場でもないということに気付くと、その手を所在なさげに組んだ。

「……本気にしたわけじゃあないが、挑発に乗らないわけにもいかないだろう」
「負けず嫌いですね」
「全く、何が紳士だ」

 ため息をついた彼が再び目付きを変えたかと思うと、次の瞬間には唇が重なっていた。肩を掴む腕は有無を言わさぬ強さだ。確かに、これはあまり紳士的でない。スーツのサラついた生地に染み付いた煙草の匂いが懐かしくて、胸がぎゅうとなる。

「……シュバインさん」
「わかってる。釈然としないが、人の家でこれ以上するわけにもいかないからな」

 彼はそう言って私から離れ、こきりと首を回した。デスクワークも大変なのだろう。

「今度、ゆっくり温泉旅行にでも行くか」

 なんだこの組織は、温泉好きばかりか。

「草津なら行けるみたいですよ」

 リリちゃんとマリーには、いくらお礼を言っても足りないようだ。


2013.3.7

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