青二才に告げる



近頃よく夢を見る。



空が青い。風が吹いている。
青く伸びた雑草が揺れ、さわさわと頬に当たった。

この大学は都市郊外にあるため敷地が広く、自然も多い。
俺は文理棟と人文棟の間にある、小さな草っぱらに寝転んで暇を持て余していた。今日はあと二コマすることがない。

梅雨明けを告げる黄色い日差しは、一月半もの間雲の裏で待たされた鬱憤を晴らすように初っ端から容赦がなく、この先が思いやられた。
今年の夏は何をしようか。気付けば適当だった高校時代と違い、一人の女ときちんと順を追い付き合っている俺がいる。
名前と出会ったのは入るつもりもないサークルの新歓コンパだった。俺は名前の顔を見た時、まるで何百年越しの待ち人にやっと巡り会えたかのような懐かしさを感じ、その日の帰りにはもう、なりふり構わず告白をしていた。おそらく人はそれを一目惚れと呼ぶのだろう。

有り難かったのは彼女の方もまた俺に同じような感情を抱いていてくれたことで、それすら俺には当然のような気がしたから重症だ。運命なんて言葉は唾吐いて蹴り飛ばすほど当てにしていなかった俺でも、その時ばかりは自分の運と命に感謝したものだ。

俺は木陰から零れる太陽が眩しくて目を閉じた。
日差しは強いが、風はまだいくらか涼しい。

ふいにまぶたの裏にいくつかの形が浮かび、俺はまた思い出した。
近頃よく夢を見る。


灰色の空。
硝煙の臭い。

前方には名前によく似た女。
いや、これは名前だ。髪型も服装も全然違うが、俺には解る。胸から赤い血を流し今まさに死にかけている女は確かに名前で、そうであって欲しくないのにそうでなくてはならないような、おかしな気持ちになる。

空には見たことのない宇宙船のようなものが浮かんでいる。体中に今まで感じたこともない激しい痛みが走っていて息が上がる。周囲をかこむ異形の者たち。目まぐるしく動く景色の中で、自分だけがスローモーションのように動作が遅い。これじゃあ何も出来やしない、また間に合わないと、悲しくなる。

そこで決まって目が覚める、のだが。
今回は違った。
ボロボロの名前は俺を見上げごめんねと言った。謝るのは俺の方だ。手を離してすまなかった。もっとちゃんと、しっかり繋いでいればよかった。

彼女を抱きしめると、弱々しい力で抱き返し、小さく何かを言う。俺は聞き取れずに名前の口元に耳を当てた。
しんすけ。なんだ。しんすけ、しんすけ。俺はここにいる、なあ、何を言おうとした。聞かせてくれよ。しんすけ──。


「──晋助!」

耳元に突然、生命力漲る彼女の声が響き、俺はハッと目を開けた。

……いつの間にか眠っていたようだ。キャンパスの光り輝く緑の中に名前の姿があり、心配そうに俺を覗き込んでいた。

「…大丈夫?」
「あ…?いや、」
「顔色悪いよ」

重そうな古典便覧を草の上に置きながら、彼女は俺の隣に座る。

「次出ないのー?」
「代返二人分お願いー!お礼Aランチ!」

名前は後ろからかけられた友人の声にそう返し、晋助の奢りね、と笑った。……そんなに長い間眠ってたのか。

「なんか最近、寝不足?」
「いや、むしろ寝ても寝ても眠ぃ」
「眠りが浅いんじゃないの?」
「そうかもなァ」

欠伸をしながら目を閉じると、先程の光景がフラッシュバックしてぎょっとした。俺は何かとても大きな、大切なことを忘れている気がする。意識がまたそちらに持って行かれそうになって、頭を振り目を開けた。

このままでいいのだ。

思い出せるか思い出せないかなんてことは、きっと大した問題じゃない。
今を大事にできれば、それで。
違うか?片目のない俺よ。

「海行きたいね、市民プールって歳でもないし。山でもいいかなあ」

横で呑気に夏の予定を立てている名前は夢の中より少しふっくらしていて、血色がいい。その肩を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。彼女は少しびっくりした様子だったが、しっかりと力強く俺を抱き返した。

"……今度は離さないでね"

腕の中で名前が小さく何かを言ったが、やはり俺には聞き取ることが出来なかった。

空が青い。
それはもう、泣けるほどに。



2011.6.24
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七さんリクエスト「なんとなく物悲しい感じ。でもあったかい」


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