サイクルマーク



 同じ顔が意味するものとは。

「すき」

 艶やかに肩口へと広がる、メープルシロップのように甘そうな彼女の髪を眺めていた。グラウンドの校旗マストに反射した赤い夕暮れが、きらりと教室内を照らす。俺は思わず目を閉じた。その瞬間が俺の人生で一番眩しかったと、今もなお焼きついた目の裏の影を見るたびに思うんだ。眩しくて眩しくて、俺の視界は未だに戻らない。





 俺たち双子のことを理解してもらうには、いくつかの補足がいる。
 二人の名前はもえぎとあさぎ。早生まれの十七歳。卯年、天秤座。一応二卵性双生児だ。ここで補足。一応と言うのはパッと見どう見ても一卵性双生児だからである。しかし俺たちは双子の兄弟でも姉妹でもなく姉弟だ。性別が違う。
 そんな俺たちは度々一卵性双生児と間違われたし、その時々で姉妹と思われたり兄弟と思われたりした。補足二。何故ならショートボブに切り揃えたもえぎの頭と、だらしなく伸ばしっぱなしになっている俺の頭はちょうど似たようなシルエットをしているからだ。
 人曰く中性的な顔立ち。聞こえは良いが実生活においては中々不便なものである。もえぎは高確率で男と間違われたし、俺は高確率で女と間違われた。補足三つめ。とても心外な話なのだけど、これは俺たちの内面に由来しているらしい。同じ顔を見て人は「凛々しい」と姉に言い、「女々しい」と俺に言う。
 バイタリティ溢れるもえぎは運動神経がよく、責任感も強く、リーダーシップもあり、勝ち気でハツラツとしている。一方の俺は外で体を動かすよりは家で本を読んでいる方が好きだし、無責任で、個人主義で、いくじなしでわりと陰鬱だ。……こう並べると俺の方が圧倒的に人として遅れをとっているように聞こえるが、遺伝子の近い双子なんだから総能力値に偏りはないと信じたい。そうだ、俺は手先が器用だから図画工作や裁縫が得意だし、まめだから家事も好きだ。

「それだから、草食系って言われるんだよ」

 もえぎはキタキツネの子供のように目を細め悪戯っぽい顔をすると、俺の作った夕飯の最後の一匙を口に運んだ。クラスの女子たちは俺を若干時代遅れの草食系男子と言って憚らないらしい。べつに俺は草食ってるわけでも天敵から逃げ回ってるわけでも、ましてや男としての性欲がないわけでもないというのに。草食のキタキツネがいてたまるか。

「噛みちぎってやりたいね」
「……そんな口調のわりに、あんたはどっか色気があるんだよね。おっぱいも無いくせして。納得いかない」
「お前に色気がないのは、そうやって平気でパンツ見せて座るからじゃないか。そういうの、顔が同じだと複雑な気持ちになるからやめてくれ」
「外ではしないよ」

 どうだか。もえぎが解放禁止の屋上へと続く、人気のない階段で週刊少年誌を枕にぐーぐー昼寝をしているのを俺は知っている。無用心極まりない。長くも短くもない紺色のスカートから伸びるもえぎの足はするりと滑らかで色むらがなく、どこか非現実的だ。よくできたオブジェのようなある種の無機質さをたたえているため、色気というより遠目から眺めるのが正解だと思ってしまう……の、かもしれない。世の男たちは。弟として彼女を守りたいなんて思ったことはないが、もえぎの無防備すぎて逆に手を出しあぐねるような、紙一重の雰囲気にやきもきさせられているのは確かだった。しかし天真爛漫な彼女に小難しいことを言って、その光を曇らせたくないと思うくらいには俺は双子バカだ。
 満腹になったらしいもえぎはティッシュで口の回りを吹くと、空になった箱を牛乳パックのように潰しくるくると折り畳み、手首のスナップを効かせた。数メートル先の円の中へ、シュトッと気持ちよく吸い込まれる。ふむ見事。俺には出来ない芸当だ。そういえばいつだか、母さんは俺たちに向かいしみじみとこう言った。

「お腹ん中で魂入れ間違えたかしらねえ。あんたたち随分絡まって入ってたみたいだし、お母さん昔からうっかりしてるから」

 そんな馬鹿な。人のアイデンティティをケアレスミスの産物みたいに言わないでほしい。俺はこれでも自分の内面にそれなりに満足していたし、もえぎの男らしい性格だって嫌いじゃなかった。多分俺たちはこれであっているのだ。多分。





「もえぎせんぱ……」
「じゃないよ。俺は双子の弟」
「……ふた……え……?」
「あさぎ」

 俺はもえぎを待っていたのだ。放課後の教室で居眠りをしながら。頭にふわりと蝶がとまった夢を見て顔を上げると、そこには見たことのない女の子が立っていた。そう高くない背丈で机に伏した俺を見下ろし、なにやら切羽詰まった顔をしていた。綺麗な髪をしている。
 すき、と彼女は呟いた。夕陽が目に入り、とても、眩しい。
 日頃の条件反射で訂正したが、その会話の示すところを考える。彼女は俺をもえぎと言った。彼女は俺に好きだと言った。不幸なことに、俺は今制服ではなくジャージを着ていた。さっきまで夕焼け色をしていた彼女の顔は、陽が沈み夜になる手前の空白の空のように青くなっている。
 なるほど。どうやら俺は告白された瞬間恋に落ちて、恋に落ちた瞬間ふられたようだ。それもかなり笑えない理由で。そもそもちゃんと立っていれば俺ともえぎは体格だってそれなりに違うし、何より喋れば声が違う。やはりこれは不幸な事故である。

「あさぎ、お待たせー」

 教室の入り口から響いた声に、彼女はびくりと肩を跳ねさせ、振り返ることなく後ろのドアから出ていってしまった。揺れる毛先の残像がきらきらと心に残る。

「……ごめん、邪魔した?」
「いや……」

 邪魔したのはおそらく俺の方だ。もえぎの横で育ってきた俺は、女同士の恋愛感情にこれといった偏見はない。もえぎは昔からやたらと女にもてる。本人にその気はないようだが。しかし俺たちがジェンダーに対する感覚に希薄かと聞かれれば、それはむしろ逆だった。こんな姉弟を持つと互いにコンプレックスも育つのだ。そして俺のコンプレックスはここへきて急成長を遂げそうである。何しろ双子の姉が恋敵だ。

「もえぎ、帰るか」
「うん。スーパーに寄ろう」
「たまにはお前が作れよ」
「えっいいの?」
「いや、ダメだわ」

 そうは言っても、俺たちは今日も同じ顔で違う表情をして、同じ家へと帰るのだけれど。
 男嫌いのとある少女が、おかしな双子の間で揺れに揺れ昏倒するのはまた別の話である。


2012.6.1
双子企画さま提出

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