一九三八



目の前の敵が突き出してきた槍の杖を刀の背でいなし、そのまま逆袈裟に斬り上げた。

うつぶせに倒れ込んでくる躯をかわし、その向こうに危険な影が無いことを確認する。

止めていた呼吸を再開し体の力を抜きかけた時、背後でゆらりと影が揺れた。しまった。後か。

反応は間に合わない。
瞬間的に嫌な汗と死の予感が湧き上がり、ぐっと歯を食いしばった。
せめて後ろ傷は負うまい。
そう思い振り返った先に見えたのは、ふわりと翻る二筋の白。

私に向けて刀を振り上げていた敵がドサリと音を立て倒れるのと、風を含んだ彼の鉢巻が音もなく背中へと落ち着くのは同時だった。

「油断するな」
「……ありがとう」

ふだん特別親しくもない彼が、戦場でだけ私を助ける事が、不可解だった。

彼は戦場の顔をしながら「死ぬなよ」と一言告げ、再び私から離れて行った。頷いた私も、おそらく戦場の顔をしているのだろう。
高揚と集中。
ほぼ無心に近い戦闘中の心に、彼の言葉が妙に染みる。

すぐ近くでいくつもの命が消えてゆくのに、私の頭は冷静だった。
見えるのは自分と同じ色をした敵の目だけで、聞こえるのは自分の中に響く呼吸音だけだ。
罪悪感や恐れなどはいつだって、寝床へと帰った後にやってくる。
毎日確実に仲間は死んでいくのに、戦うことを止めない私たちはやはりどこか狂っているのだ。

ふと、いつだか交わした高杉との会話を思い出した。




「細っせぇ腕」

私が休息所の井戸で泥だらけの手足を洗っていた時だ。いつからいたのか、順番を待つ高杉が吐き捨てるようにそう言った。

今じゃ鬼兵隊と名付けた小隊を率いるほどの彼だが、鉢巻きを外し陣羽織りを脱げばなんてことのない、少し尖った青年だ。泥のついた頬は、夢中で遊びすぎた後の少年のようなあどけなささえあった。

「喜八が死んだとよ。あと小坂も」
「そうなんだ」
「…お前ェはいつ死ぬんだ」
「そんなのわかんないよ」
「俺はここでは死なねぇ」
「だろうね」

高杉は言いながら私の濡れた腕を掴むと、押しやるように井戸を奪った。

「まだ使ってるんだけど」
「お前、なんで戦うんだ?」
「…え」
「昨日まで一緒にいた奴が、横見りゃバタバタ死んでる。明日は我が身だ。神経おかしいんじゃねぇか」
「……」

私は何も答えられなかった。
おかしいことくらい解っている。でも何故それで平気かと問われると、答えられなかった。

高杉とまともに話したのはその時くらいだし、私達は互いに背中を預けることなんてなかったけれど、互いの背中を見つけるのは得意だった。

高杉の背中は他の男よりやや小さくて、それなのに戦場では誰よりも力強い。彼がこんな場所で死ぬことは、確かに想像できなかった。


私は自分の周りが小康状態になったのを確認し、方位磁針のようにいつだって把握している、彼の方向へと視線を向ける。

高杉は身体に添わせるよう小さく逆手に構えた刃で、自分の数倍はある天人の喉元をかき斬ったところだった。

そのまま切っ先は弧を描くように空を走り、後ろに迫っていたもう一人の脇腹へ差し込まれる。背を丸めた天人の後ろへ周ると、地面へ蹴り倒し背後から心臓へトドメをさした。

鍔のない、反りの浅い長刀から繰り出される殺陣は独特で、無駄のない動きは圧倒的体格差を持つ天人たちを殺すためだけに編み出された物のようだった。

目的のためならどこまでも純粋になれる高杉の性格を表しているようで、私はゾクリと背筋が粟立つ。彼が味方で良かったと思った。
それはこの先も、彼を敵に回してはいけない、と脳裏に刻み込むには充分な光景だ。

しかし、鳥肌の原因が恐怖だけではないことにも気付いてる。
恋を自覚する瞬間としてはあんまりな惨状に、自分の神経はやはりおかしいんじゃないかと疑いながらも、小さく笑わずにはいられなかった。

何故戦うことを止めないのか。
今ならその問いに答えられる。もし明日二人とも生きていたら、告げてみようと思う。

「似た者同士だ。答えはあんたが一番よく知ってるでしょう」

小さく呟き、再び鯉口を切った。余計な思考は遠退き、やがて消える。
刀を握ったら私たちはただただ命を守り、命を奪うだけだ。


いくさばで、きみのせはうつくしい



「なにぼんやりしてんだ」
「ううん、ちょっと昔のこと思い出してた」
「この後ぁ春雨のお偉方と交渉だ。ちゃきちゃきしろ」
「はいはい」


鬼兵隊もずいぶん大きくなったものだね総督殿。
でもあんたの背中はあの日のままだ。小さいようで、大きいようで、全てを背負うにはやはり小さい。


2011.1.15

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