僕らの組織



「駄目だ」
「どうして……!?」

 反論の余地もなく両断した彼に、思わず声が大きくなった。
 彼の背後で大きなアロワナがプクリと泡を吐く。水槽に反射した冷たい光を頬に受けながら、シュバインさんは煙草に火を点け、無言の否定を貫く。

「……オリガちゃんが羨ましい。神堂さんはどんな現場にだって彼女を連れていく」
「オリガ嬢とお前じゃ実力が違う」
「それはそうですけど……!」

 確かに彼女は、B・Cクラスの構成員なら男だって軽く伸せるほどの実力者だ。私とは違う。それは解っているけど。

「とにかく、この前みたいに隠れて着いて来たりしたら、それなりの処分を下すからな」
「でもこの前は、結局役に立ったじゃないですか」
「そういう問題じゃない。命令に従えない奴は組織じゃ評価以前ってことだ。とにかく、次の任務にお前は連れていかない」
「……私がシュバインさんの恋人だからですか」
「……」

 僅かに目を見開いた彼に、畳み掛けるように問う。

「付き合い始めてから、私が担当する任務から危険な類のものが減りました。シュバインさん、あなたが意図的に弾いてるんじゃないですか?」
「……」
「私の実力で、私じゃない人間なら、次の任務だって同行させるんじゃないんですか?」
「……どうだろうな。もしくはそうかもしれない。その状況にならないとわからんな」

 飄々と言ってのける相手に、私の声はまた大きくなる。

「冗談じゃない、公私混同しないで下さい! 私は……ちゃんと組織の役に立ちたいんです」

 ちかごろ地下一階の掲示板に、私の名前がちっとも登場しないのは気のせいなんかじゃないはずだ。これじゃあ、一体なんの為に。私が本当に望んでいるのは……。

「こんなことなら……」
「こんなことなら、なんだ?」

 冷静に聞き返す彼に耐え切れず、顔を伏せた。

「……っ、もういいです。シュバインさんの馬鹿!」
「上司に馬鹿はないだろう」
「……公私混同してすみません。頭冷やして来ますっ!」

 厭味を一つ吐き捨て、執務室を出る。後ろからため息のように吐き出される紫煙の音が聞こえ、思わず強めにドアを閉めた。


▽△


 バタンッと音を立てて閉まったドアを見つめながら、煙草を灰皿へと押し付ける。ふう、ともう一度息を吐いた。今度は正真正銘のため息。
 彼女を特別視している自覚はなかった。もちろん仕事上では、だ。
 彼女は自分の恋人で、ふだん特別な感情を持っているからこそ自分の関わる任務にはあまり同行させたくなかった。公私混同してしまいそうだからだ。結局それは本末転倒だったようだ。
 ため息も沈黙も、自分の未熟さへ向けた物だったのだが彼女はそう取っていないだろう。俺は少し、口が足りないのかもしれないと思う。ことプライベートに関しては。ビジネスライクな腹芸が板に付きすぎるのもどうかと思った。

 そう考えながらも、淡々と仕事を片付ける。RD-1に組織の目が向いてからというもの仕事は増えるばかりだ。ネコさんから得た情報を元に本部への報告書をまとめていると、いい時間になったので自分も執務室を後にする。今朝二箱あった煙草はもう残り一本になっていて、いつにもまして減りが早いと驚く。ふと彼女が心配になった。煙草を吸わない彼女は喧嘩をすると……。

「彼女なら、さっきエリート組と一緒に旅館の方に行ったっスよ」
「エリート組と……?」

 酒に走る気がある。通りかかったローライズ氏に礼を言い、もう一度ため息をついた。


▽△


「あーやってらんない、もう。ばか。ばかばかシュバインのばーか」
「相変わらず、絡み酒だなぁ」

 飲みに行こう、と誘われ旅館のバーカウンターに来たはいいけれど、当の本人は序盤からワインをグビグビと煽りあっという間に出来上がってしまった。俺ら二人は、さっきからひたすら繰り返される似たような愚痴を聞いているわけだが。

「シュバインさんもなかなか不器用ですよね。仕事は出来るのに、恋愛に関してはさ。ぼくなら、あなたを泣かせたりしないのに。どうですか」

 相棒の方はちゃっかりしているというか抜目ないというか、まあとにかくいい度胸しているのは間違いない。

「おい龍之介、やめとけ。上司の女口説いたりして、今度はトイレ掃除じゃすまないぞ」
「まだ根に持ってるんですか、この前のこと」

 チビチビとワインを飲みながら龍之介と言い合っていると、ぼんやりとした目でカウンターの奥を見つめながら彼女が呟いた。

「……私は」
「ん?」
「本当はそこまで、組織の事なんて考えてない。……ただ、少しでもシュバインさんの役に立ちたいだけなのに。それが出来ないなら、」
「……」
「片想いのままの方が良かった」

 惚気とも愚痴ともとれないそれは、つまり随分淋しそうで。

「はぁー、どっちにしろ、公私混同だなそりゃ」

 酔った勢いにしても、そんな贅沢なことは言うもんじゃない。とは言ってやらずに、茶化せば頭をハタかれた。

「うるさいピエトロ」
「いて! ちょっと俺と龍之介の扱いに差がない?」
「そりゃ、ぼくは彼女のお気に入りですからね」
「自分で言うな」

 調子のいい相棒に呆れつつツッコミを入れる。確かにまあ龍之介とシュバインさんは似たところがなくもない。冷静で、自己研鑽に余念がないところとかな。俺には真似できねえや。頭の後ろに手を組み、グッと伸びをしたところで、視界に見慣れた茶髪が飛び込んできた。あーあーまた面倒臭いのが来た。


▽△


「……お前ら、シュバインさんの女酔わせて何する気だ!」
「でたよ。アキラは本当にシュバインさんが大好きだな」
「んだと……!? お前ら上司を慕ってないってのかよ?」
「へいへい、ここにも公私混同が一人」

 ピエトロの言葉の意味はよくわからなかったが、馬鹿にされたのはわかった。サングラスはないが強気を保ち睨みつける。

「そうキリキリするなよ。別にただ飲んでただけだって。お前も飲むか? あ、お前まだ未成年だっけ」
「うるせぇ!どっちにしろお前らと飲む気はねえよ!」

 俺はネコの恨みを忘れない。ボンボン組の奴らはいまいち信用出来ない。声を張ると、今までうなだれていたシュバインさんの恋人が顔を上げた。

「アキラくん、いつのまに」
「いや、俺はその、偶然通りかかって……ってか顔真っ赤っすよ?どんだけ飲んだんですか!」
「そんなのんれないわー! まだまだたりない」
「いや呂律回ってな、ってあぁ! ワインが!」

 彼女がグラスに手を伸ばしたので、遠ざけようと咄嗟に持ち上げたのだが、勢い余って彼女の袖に盛大に赤ワインを零してしまった。

「あーあスーツにビッショリ。アキラ、俺ハンカチ濡らして来るから」
「あ……あぁ、悪いなピエトロ」

 夕方執務室に行った時シュバインさんの元気がなかったような気がして、プライベートにまで気が回る頼りがいある部下であろうと、わざわざ偵察しに来たってのに。何やってんだ俺は。

「とりあえず、そのジャケット脱いで」
「んー」
「んーじゃなくて、ほら、シャツまで染みになりますよ……!」

 完全にオチている彼女の肩を掴みながらどうにか脱がせようと試行錯誤していると、自然と気の引き締まる香りが鼻孔を掠め、背筋が伸びた。……気の引き締まる?
 カキッとジッポのフタが閉まる音が鳴り、振り向く。なんとなく嫌な予感はしていた。

「……アキラ」

 シュバインさんの静かな声が旅館の赤い絨毯の上に響く。冷静になれ、俺。何故こんなに背筋が寒くなるのかを考えるんだ。彼女は今酔い潰れている。俺は彼女のジャケットに手をかけている。ジャケットは黒い。赤いワインの染みは、遠目にはわからない。

「……!? 違います、これは! な、龍之介。龍之介……!?」
「俺には、お前ら二人の姿しか見えないんだが」

 フーッと煙を吐いた我が憧れの上司の目は、座っている。泣きそうだ。龍之介のヤローどこ行きやがった!

「本当に違うんです! つまり俺は、ただ好意で脱がそうと……」
「成る程。好意でな」
「そういう意味じゃなくて……!」

 咄嗟に自分と相棒の分のワイングラスを携え、カウンターの裏側に隠れた龍之介の素早さと判断力はさすが「エリート組」といえよう。

(……これでしばらくアキラはCクラス止まり、と)


2010.8.9




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