エイジくんは人気作家恋愛読切祭のネームを始めてから、少し人が変わったように見える。相変わらずスケッチブックを走る鉛筆は淀みないけれど、口から発される意味不明な効果音が、いつもよりやや少ない。
「エイジくん、苦戦してるの?」
「カラスに変身して戦う人、実際にはいないです。でも恋愛はみんなしてます」
彼の言葉の意味をしばらく租借し、ああなるほどと納得する。類い稀な想像力を持つこの青年は、誰にも思い付かないファンタジーを描くことは出来る。それは誰にも思い付かないからこそ、面白いのだ。しかしラブコメとなると、求められるのはリアリティーだろう。甘酸っぱくてもどかしくて嬉しいようで辛いようで……そんなごくごくありきたりな感情だ。それを実感として知らないエイジくんは、確かに亜白木夢叶に一歩遅れをとっている。どんなに突飛な設定を思い付いたとしても、相手を好きだという部分だけは、単純で明快であるべきなのだ。恋愛漫画のウケは読者の共感率にかかっていると言っても過言ではない。
「あの日の真城先生は本当に凄かったです。恋愛があんなにカッコイイとは始めて知ったです」
「最近のエイジくんはそればっかりね」
「カッコイイ物は好きです」
「それでこの状況ってのも、ちょっとどうかと思うけど……」
息抜きなのかなんなのか。お気に入りのぬいぐるみにでもするように、後ろから彼に抱えられ私はどうしたらいいか解らない。
「何してるのかな」
「ラブボルテージ溜めてます。ギュイーン!」
「あのね、エイジくん、私のこと別に好きじゃないでしょう」
「好きですケド?」
「うそだ!」
「うそじゃないです。じゃなきゃ触りたくなったりしません」
「……ど、どこが好きなのよ?」
全くどこまで本気なのかサッパリ解らない。だいたい私は自慢じゃないが、突然告白されて納得できるほど自分に自信があるわけじゃない。振り向いて尋ねると、エイジくんはうーんと上目遣いに首を捻って言った。
「本当にイイ物には、心が動くものなのです。ボクはあなたに心が動いた。つまりあなたはイイ女です」
イイ女だなんて面と向かって言われたのは初めてで、私はあたふたとうろたえる。大層な買い被りだ。
「そ、そんなの、エイジくんの個人的ななんというか……」
「そう。個人的ななんというかです! それぞディスティニー!」
やっぱり天才の言うことは今いちわからない。恥ずかしげもなく愛を語るエイジくんの額は少し汗ばんでいて、切り揃えられた前髪が乱れて額が覗いていた。なんだか違う人のようだ。彼の体温が高いのはテンションに合わせて熱を放出する子供のようなものだと思っていたけれど、もしかしたら彼は彼なりに照れているのかもしれない。
熱い掌で両手首を掴まれ、私は思わずくらくらと圧倒される。好奇心旺盛なオトコノコのパワーに勝てる者なんてどこにもいない。彼の目はキラキラと輝いている。それでいてたまにギラリと光る。彼の描く漫画に出てくる、ドラゴンの子供みたいに。
「欲しいです」
簡潔に告げて私を押し倒した彼の、スウェットから生える無数の羽ペンのシルエットが、LEDの照明を逆光に黒く輝く。それはまるでエイジの一部のようだった。
「エイジくんは愛の翼で心の壁を飛び越えるんだね」
「おお! シェイクスピアですか? 名前サン意外とロマンチストです」
「伊達に少年漫画好きやってませんよ」
「そうです。少年はロマンです」
彼は満足気に笑った。私は羽の生えた男の背に腕を回した。
愛の創造は愛の想像から
2010.12.1