喫茶店の小さな窓からはスノードームのような海のかけらが覗いていた。ずいぶん遠くまで来てしまった。
隣でアイスコーヒーのストローを咥えている高杉が「帰ろう」と言い出す気配はない。私はそれにホッとしているような、虚しいような、よくわからない気持ちのままで同調していた。高いところでシャボンが割れるよりは、昇らぬうちにあっさりと消えた方がいい。しかし自分から台無しにする勇気まではない。
*
「人、少ないな」
「平日だもん」
店を出て登った丘は、砂丘にちょっと草が生えたようなものだったけれど、眺めは良かった。太陽は悲しいくらいに傾いている。高杉のシャツが古い活動写真のようにオレンジ色に光っている。
「眩しいな」
「海辺だもん」
核心に触れない高杉は、もうとっくに諦めているのかもしれない。私を説得するタイミングを伺っているなら申し訳ない。お父さんとは違う高杉の骨ばった肩は、私たちがまだ子供で、本当に大事なことを変えたり動かしたりする力など無いと、物語っているようだった。嘆いているようだった。
「ごめんね」
全部を合わせて、私は言う。高杉は振り返りこちらを見つめた。海風に背を預け、彼はしばらく黙って私を見ていた。落ち着いている。高杉は私の発言にいちいち慌てたり、怒ったり喚いたりしない。私たちは同じ高さで今を見つめ、今だけを見つめ、結論を急いだり常識を探したりはしなかった。きっとそういうところは、大人に勝っているのだと思う。私たちの世界は狭く、等身大だ。
「帰りたいか?」
「帰りたくないよ」
「でも、家族好きだろ。お前」
「…好きだよ」
高杉はまた黙った。優しいからだ。
「好き」
「……」
「家族も、高杉も」
「ああ。だから辛いんだろ」
「そうだね」
どんなに好きでも、私が高杉を選ぶことはないから辛いのだろう。最後には家族を選んで、私は高杉を置いて飛び立ってしまう。そうしたらお別れだ。
「行くぞ」
高杉の手をとって、丘を降りる。
そっちは駅に向かう道だと知っていたけれど、何も言わなかった。きっと、ここまで来ることが大事だったんだ。私たちは大きなことを変えられないけれど、それを解っていたって遠くまで逃げるくらいの、エネルギーと熱がある。無駄なことだって迷わずにする。相手を世界のすべてと思い、世界を救おうとするのだ。
「俺は、平気だ」
「私も平気だよ」
離れていても。でも約束はしないでおこう。手を握る強さだけで、今はもう。
胸を焼くような西日も、浴びていられるのは電車に乗るまでだろう。降りる頃にはもう、夜になっている。
2012.10.6
企画『キリトリセカイ』提出
画像提供『楽園ユートピア』