天使の領分
※下品



 なんかいる。部屋に入った最初の感想はそれだった。
 探偵のアクタベさんに連れられて、事務所の扉をくぐる。室内では米袋大ほどの奇妙な生き物が二匹、もぐもぐとカレーを食べていた。瞠目し活目する。目が合うが、二人はどうやら私よりカレーに夢中のようだった。

「ほぉ、あんた悪魔が見えるのか」
「悪魔……?」

 アクタベさんにそう言われ、私はもう一度彼らに視線を戻す。このちょっとキモ寄りの、キモカワイイ生き物が悪魔? 地方の失敗したゆるキャラマスコットみたいなこの生き物が? 某国のテーマパークにいそうな惜しい感じの彼らが悪魔?
 私は悪魔なんて実際見たことないけれど、悪魔がこんなにポキュポキュしているはずがない。ていうか、悪魔なんて現実にいるはずがない。これはそう、ポケモンだ。こんなポケモン知らないけれど、かれこれ十数年もやっているんだ、こんなのもいたかもしれない。

「……何か失礼な事を考えてる顔ですね」
「あれやろ、ワシらの可愛さに頭ぶち抜かれて声も出んのやろ。なんやったら別のトコぶち抜いたってもええんやで?おん?」

 なんか言ってくる。こいつら絶対ポケモンじゃない。ポケモンがこんなお子様の夢を壊すような猥談をするはずがない。いやどうだろう、最近のポケモンはよく知らないからな。いやない。ていうか、ポケモンが現実にいるはずがない。

「まあ座れ。今回の依頼はどう片付けようかと思ってたが、こいつらが見えるなら話は早い」

 アクタベさんの言葉で事務所に来た本来の目的を思い出した私は、この生物たちに関する細かいどうのこうのを全て保留にした。今自分の身に迫っている問題さえ解決できれば、彼らが悪魔だろうとポケモンだろうとデジモンだろうとなんだっていいのだ。
 と思ったが、カレーを完食しこちらに近付いてきた犬っぽい方に、少し腰が引ける。

「あ、悪魔なんですか?」
「せやで。ドヤ、悪魔のおっちゃんがバスト占いしたる」
「!?」
「話が終わるまで引っ込んでろ」

 悪魔が躊躇なく伸ばしてきた腕を途中で掴み、睨みを利かせたアクタベさんは正直彼らよりずっと悪魔っぽい。そしてなにがドヤ、だ。悪魔というかただのエロ親父じゃないかこいつ。依頼とかやっぱいいからもう帰りたい、と私が思いかけた時、部屋のドアがバタンと開き眼鏡をかけた女性が一人入ってきた。

「あ、もうカレー食べちゃったんですか?生け贄はお客さんが帰ってからって言ったじゃないですか二人とも!」

 自称悪魔と悪魔っぽいお兄さん、という平凡な人間にとっては完全アウェイな空間に現れた、常識人らしき彼女に胸を撫で下ろす。

「こんにちは。助手をしてます、さくまです。そこの二人が何か失礼をしませんでしたか?」
「あ、ぎりぎり大丈夫で、」
「何が失礼や、保護者気取りかおのれは! 揉み損ねたおっぱい後で返してもらうでさくおんどれあぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!」

 悪魔は絡んでいたかと思えばいきなり雷に打たれたように発光し、すごい勢いで向こうの壁へと飛んでいった。さくまさんはクールな顔で見送っているが、たぶん彼女がやったのだろう。この部屋に常識人はやはりいないようだ。

「落ち着いたところで本題だが、」

 すごいやアクタベさん。部下(おそらく)が壁に突き刺さっているのに、まったく意に介していない。

「簡単に言うと、無理矢理させられた見合いの相手がストーカーに成り下がって困ってると、そういうことだな?」
「あ、ハイ、そうです。……父の上司のご子息なので表立った警告ができなくて。最近はそのせいで家の雰囲気までギクシャクしてしまって本当に困ってるんです……」
「そんなら簡単やな、おっちゃんがチョチョイと君の心をいじくって、その男に惚れさせたる」

 すごいことになっていたはずの悪魔は、何もなかったようにひょいと横から顔を出し、とんでもないことを言った。復活早いな。

「ちょ、依頼主は彼女なんだから本人の意思を尊重させましょうよ!」
「だあらっしゃい!! よお考えてみい、息子は報われるし嬢ちゃんには恋人が出来る。おとんは出世しおかんは大喜び、家族円満、一族繁栄、みいんな幸せになれる最高の手やんけ」
「そりゃそうかもしれませんけど……」

 まずい、唯一の味方候補さくまさんが悪魔のわけのわからない勢いに押されている。このままじゃ私はわざわざお金を払って自分の身を売る事になってしまうじゃないか。それは困る。アクタベさんとどこ見てんだか解らないペンギンさんも、他人事みたいな顔してないで何とか言ってやって欲しい。

「ちょっと待ってください! 私が頼んだのはストーカーと縁を切ることです! なんでいつの間にか向こうの依頼みたいになってるんですか!」
「まあええやない、そない緊張しいなや。初めての子には優しくするで」

 悪魔は嫌な顔で笑いながら手をワキワキさせ、何かを出した。

「今かけてどうするんですかアザゼルくん」
「あ、まちごうた」

 ペンギンさんのツッコミもむなしく、その何かはパァと光り私の中に入ってくる。眩しくて目を閉じた。
 再び目を開けると、解決するならなんでもいいかみたいな顔で見ていたアクタベさんの顔が、視界に飛び込んでくる。オイどうなってんだ、と悪魔を睨むアクタベさんから、私は目が離せない。さっきまで何とも思っていなかったスーツのシルエットが、着痩せしてそうな身体が、人を殺せそうな目が、次々と私の心臓を掴んでは弾けた。

「わ、悪気はなかってん、ちょお手が滑って……ほなお幸せに」

 そそくさと席を外そうとした悪魔の頭を、アクタベさんの大きな掌がガシリと掴む。しかしもはやそんなこと、私にとっちゃどうだってよかった。熱い身体に操られるようにフラフラと歩み寄り、座っているアクタベさんの上に跨る。

「け……っ」
「……」
「結婚を前提にセックスしてください! アクタベさん!」

 もうそれしかない。この人は私の運命の人だ、そうに違いない。もうこの人といかがわしいことする事しか考えられない。ああ頭が熱くておかしくなりそうだ。

「……ちょっと、とりあえず離れて」
「はい」

 冷静なアクタベさんに制され、今にもくっつきそうな顔を5センチほど離す。

「離れて」
「はい」

 凄みを増した彼の声はありえないほど怖いけれど、そんなところもまた素敵だ。しかし肩を押され床にずり落ちる。横には心配そうに私を見るさくまさんがいた。大丈夫だよさくまさん!私この人と結婚してみせる!グッと親指を立てた私の目を、さくまさんの手が覆う。めしゃあと何かが砕けるような音が聞こえた。そういえばアクタベさん、いまだに悪魔の頭を持ったままだったような。

「ぎゃあああああ堪忍して! 戻す! 戻すから!!」
「はやくしろ……」

 何やらすったもんだの末によろよろとこちらに近付いてくる悪魔の気配を感じ、私は咄嗟に身を固くした。再びパァと光が体に入り込み、ようやくさくまさんの手が顔から離れる。

「アクタベさん、私と! 私と……私いったい何を言ってしまったんでしょうか」

 死にたい。おそらく先の数分間の現象はこの血みどろになっている悪魔の力のせいなんだろうけど、こういう操り系のことをするなら記憶もちゃんと消して欲しい。なんで間近でドン引きしているアクタベさんの目付きまで、こんなに克明に覚えているんだ。あまりの恥ずかしさに、さっきより酷いんじゃないかというくらい顔が熱くなった。

「こっちの茶番に巻き込んで悪かったな。お詫びにストーカーの件は俺が完膚なきまでに叩き潰すから」

 そんな私の頭を掴んでぐるぐると回しながら、アクタベさんは言う。……ちょっとバカ悪魔、この呪い副作用でもあるんじゃないの。さっきからちっともドキドキが引かないんですが。


キューピットの領分ですよ、アザゼルさん。
2011.9.10

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