ぼくいも



「曽良さん、曽良さん」
「なんですか、今芭蕉さんの水筒におろし生姜を入れるのに忙しいから後にして下さい」

 背を向けたまますげなく言うと、彼女はこちらに伸ばしていた手をひっこめしょんぼりと俯いた。イライラして振り向きざま脛を蹴った。

「ぎゃあふ!! なんで!?」


僕の妹弟子がこんなにかわいいわけがない


 しばらくして戻ってきた芭蕉さんに擦りおろし終わった水筒を返し、旅のゆく先を見る。やや強い春風に、芽吹きはじめた草葉が揺れている。旅中の俳人が何か気の利いた句を詠むにはうってつけの日和だった。
 隣りですっと息を吸った師匠の二の句に、一応耳をそばだてる。彼はボンクラだが、ほんのごくまれに真価を発揮する時があるのだ。

「春過ぎて 油しみ出す 鼻頭」

 つまり大部分はボンクラだ。

「冗談は顔面だけにしなさいクソオヤジが」
「フゲェ! まつおばオイルショック!」

 てかった鼻頭に水筒の先を減り込ませていると、横で見ていた妹弟子が慌てて間に入ってきた。

「曽良さん、腐ってもテカっても師匠ですよ! 乱暴はよしてください。それによく噛み締めればいい句じゃないですか、春から夏に向かう切なさを孕んだ退廃的な……」
「こんな油ぎった句噛み締めたら腹下しますよ」
「曽良くんひどいよ、芭蕉こんなに頑張ってるのに!」

 彼女の背中にしがみつき震えるおっさんにイラァとし、後ろに回り込もうとするが、彼女が庇うように向きを変えるのでぐるぐると歩く嵌めになる。馬鹿らしい。指先を揃え、肩からはみ出たお粗末な頭頂部に狙いを定めた。

「そうですね頑張ってますね、すごいですね偉いですね」
「ヒーッ、私の弟子がこんなに優しいわけがない」
「僕の師匠がこんなチョップで死ぬわけがない」
「死ぬ死ぬ普通に死ぬ、普通に無理!」
「僕が手加減するわけがない」
「オゲフ!!」

 二人のバカのうち一人を始末すると、残った方のバカがあっさり師匠を見捨て逃げようとし、木の根っこに躓いて転んだ。彼女はすぐ転ぶ。

「……ドジっ子」
「え?」
「ドジっ子気取りですか」

 イライラしつつも起こしてやろうと手を差し延べると、彼女はチョップされるとでも思ったのか尻もちを着いた状態でずるずると後ずさりした。

「すみませんすみません、これあげるから許して下さい」
「はぁ?」
「本当はさっき渡そうとしたんだけど、曽良さん忙しそうだったから」

 彼女の手には白つめ草でつくった輪っかが握られていた。

「……いや、あのべつに曽良さんのために作ったわけじゃないですけどね、ただ芭蕉さん待ってる間暇だったから、捨てるのもったいないし」
「……ツンデレ」
「え?」
「ツンデレ気取りですか」
「そそそんなつもりでは」

 イライラは募る。本当に断罪してやろうかと、彼女に向けていた手を返そうとしたが、手首にふわりと何かが絡む。

「頭は通らないけど、腕輪ならちょうど……ほら。あれ、ほどけた、うわぁすみません、もっかい、あれ、ダメだ、」
「……天然」
「え?」
「天然気取りですか、この猛禽女子が!」
「ヒィースミマセン!!」

 さっきからこの女はわざとやっているのか。肩を掴んで無理矢理引っ張り起こしながら、ため息をつく。

「まったく、あなたは油断するとすぐ可愛こぶるから困りますね」
「そんなつもりは……ていうか曽良さん、私のことちょっと可愛いと思ってるんですか?」
「……」

 えへへ、と顔を赤くしながら彼女は嬉しそうに聞いてきた。これはもう堪えられたものではない。

「……生姜」
「え?」
「生姜と唐辛子どっちがいいですか」
「は」
「ああ、生姜はさっきのでなくなってしまったから唐辛子にしよう」
「……ちょ、どうするつもりですか! どこに擦りおろすつもりですかぁ!」

 僕の服を掴みながら涙目になる彼女に一人独白。僕の妹弟子がこんなにかわいいのは、僕の頭が手遅れだからだ。


2011.4.27

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