煩悶の多い料理店



「片想いって辛いよねえ」
「えっ、ああ、佐藤さんのことですか?そうですね、八千代さんそういうの鈍そうだから、大変ですよね」
「うん、まあ佐藤君も今は自分のことでいっぱいいっぱいなのかもしれないけど、人のこと言えないよね。鈍さに関しては」
「え?」
「これいる?」

 上がりの時間だというのに、何をするでもなくバックヤードの廊下からキッチンの方を見ていた名字さんに、現像した佐藤君の写真5枚セットをチラつかせる。彼女は顔を青くしてよろめいた。この店は極度に解りやすい人と極度に鈍い人が絶妙な均衡を保ちなんとか成り立っているけれど、彼女はその中ではわりと常識的な感覚を持っている。
 おそらくうまく隠しているつもりだったのだろう。実際俺以外のスタッフが気付いている様子はない。

「わっ、わわわ私の弱み握ったところで何の特にもなりませんよ……! 相馬さんの脅迫には屈しません!」
「脅迫だなんて人聞き悪いな。俺は別に自分の利益の為にネタを集めてるわけじゃないんだよ。ただ集団生活をおもし、いや円滑に進めるには時には仲介人とか説得役が必要なわけで…そういう時皆に平等に力になってあげられなくちゃ悪いでしょ?」
「今おもしろくって言いかけましたよね……。そんなんだから友達できないんですよ相馬さんは」
「うっ、ほっといてよ。俺は確かに友達少ないけど別に嫌われてるわけじゃないし、今の距離感でいいんだ」
「ああ、相馬さんって同僚くらいがちょうどいいっていうか、敢えて友達になりたいタイプではないですもんね」
「わあ、えぐってくるなあ」

 わりかし酷いことばかり言われている気がするが、俺はめげずに食い下がる。なんせこの仕事場の女の子たちはからかおうにも、なかなか手強いキャラ揃いなのだ。
 伊波さんは会話以前に初動で殴ってくるから近寄れないし、山田さんは人の話聞かない子だからなんか苦手だ。店長は暴挙を暴挙と思わないタイプだから弱味として成り立たないし、轟さんには佐藤君、種島さんには小鳥遊君というガードが付いているから迂闊に手を出せない。それに比べれば名字さんは適度に常識人だし、弱点ももはや明確だ。偲ぶ恋を決意した彼女なら、このネタだけでどんぶり五杯は堅いだろう。かっこうのカモである。

「ああ別に誰かに言うつもりはないよ。ところで俺今日、飲んで帰りたい気分だなあ。お金ないんだけどね」
「ぐっ……いつか謎に包まれた相馬さんの弱み突き止めて、ぎゃふんと言わせてやりますからね!」

 俺の弱みそのものである彼女に啖呵を切られ、若干複雑な気持ちになる。
 いつだって轟さんを見ている佐藤君を見ている名字さんを見ている俺は、今のところ一方通行の最後尾だから自ずと全ての関係を把握できるのだ。まったく馬鹿らしいが、このワグナリア負の連鎖が解消される兆しは今のところ見えない。
 他人同士のことならいくらでも立ち回れるけれど、自分のこととなるとどう説得していいやら解らなかった。佐藤君なんて見てないで俺にしなよ、とか? まさかそんな。それは一周回って俺の弱みを相手にさらすようなものだ。恋愛なんてのはつまり、相手に自分の最大の弱みを握らせるのと同義なのだ。

 そんなことを考える俺をよそに、彼女は破損報告書にせっせと自分の名前を書き込んでいる。ハンディ、ハンディ、ハンディ。どうやったら3台連続でハンディを破壊できるんだ。

「名字さんってしっかりしてるように見えて、よくわからないところダメダメだよね。……まあそんなところがほっとけな、」
「あ、佐藤さん! 佐藤さんももう上がりですか?」
「いや、休憩。俺今日ラストまでだから」

 いいところで入ってきた同僚に少しイラッとし、俺はついつい、悪い癖がうずいてしまう。

「やあ佐藤君、俺今日この後名字さんと飲みに行くんだけど、後から佐藤君も来ない?」

 突然の提案に、名字さんはえっと唇だけで驚いて俺を見た後、頬を染めながら佐藤君に視線を移した。

「名字と? なんだお前ら、そんな仲良かったのか」
「ちっ違います、相馬さんとは同僚だけど友達じゃありませんし」
「なんでそこ強調するの?まあいいや、とにかくおいでよ。一緒にあがる轟さんも誘ってさ」

 名字さんは再びえっと驚いて俺を見る。そして今度はもじもじと手を握りながら佐藤君を見た。ふきだしそうになるのを必死にこらえる。わかりやすい子だな。特に深く考えての提案じゃなかったけれど、負の連鎖勢揃いなんてまったくそんなメンバー、涙が出るほどおもしろそうじゃないか。

「……いや、俺はいいわ。お前らで楽しんで来いよ」

 轟さんの名前に反応し、佐藤君は少し思案を巡らせたが、結局そう言って煙草の煙を吐いた。来客を告げるチャイムがホールから不規則に響いている。
 少しだけしょんぼりした様子の名字さんは俺に向かって「じゃあ私着替えてきますね」と言うと、パタパタと更衣室に駆け込んだ。一服終えてキッチンに戻る佐藤君の背中に、軽くパンチする。

「もうヘタレ……!そんなんだからいつまで経っても片想いなんだよ!」
「なんなんだよいきなり」

 八つ当たりよろしく絡めば案の定、いつもの無表情で殴られた。

「……はぁ。お互い頑張ろうって意味じゃないか」
「意味がわからん」

 恋敵である彼を憎めないのは、同時に同志でもあるからだ。不憫な労働者たちにどうか幸あれ。


2011.9.20

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