スコアレス・ドロー



「『めだかちゃんを異常のプラス、僕を過負荷のマイナスと言うなら、君は無個性のゼロだね』」

 彼がその日最初に発したのは、そんな言葉だった。

「『おっと、何も言わなくていいんだぜ。君を中心とした物語なんて誰も必要としてないんだから。君はしょせん漫画でも小説でもヒロインにはなれないような女の子なんだ』」

 独特の白々しい口調で、球磨川禊は語りだす。一見して虫も殺せないような純真な瞳は、蟻を笑顔で踏み潰す子供じみた残酷さと表裏一体となって対峙する者に不安感と不快感を与える。

「『ヒロインの友達役、も無理かなあ、彼女たちは一応名前がある。下手すりゃ名字も。君は名前も名字も、場合によっちゃ目すらない、コマの端っこに場所埋め程度に描かれたような存在だ。それはもはや人ですらない、言うなれば背景だね』」

 学ランに包まれた彼の手足は、まるで成長や向上を拒むように華奢で繊細だ。

「『だから僕は君の名前を呼ばないよ。きっと一生。君に個体識別記号なんてもの必要ないんだもの』」
「……」
「『言い換えれば、君は何にもなれないんだから何をしても許されるし、何もしなくても許される。0には種類も段階もない。……ここまではいい?』」

 ここからが本題だよ、と真面目な顔をして球磨川は指を立てる。

「『それなのに僕は、その画一化された無数の0の中から君を見つけ出すことが出来るのさ!うごめく二進法の海から、君という0だけを掬い上げることが出来る。すごいことだと思わない?』」
「……ねぇ球磨川」
「『ん?』」
「もしかしたら、いくつもの薔薇から自分だけの一輪、とか星の王子さまみたいなロマンチックなこと言おうとしてるのかもしれないけど……さっきからちっとも嬉しくないんだけど」

 一人舞台の長口上を聞き終え、私はやっと自分の意見を口にする。

「『それは残念だなぁ』」

 彼は両手を上げて対して不満もなさそうに肩を竦めた。

「『これは僕なりの愛の告白なのに。人はどうして解り合えないんだろう』」
「……どうしてだろうね、本当に不思議だよ」

 だいたい、さっきから黙って聞いていれば人のことをゼロだとかモブだとか、この男は本当に私を好きなんだろうか。確かに私はこの学園の生徒会役員のように壁を駆け登ったり光速で動いたり、ましてやマイナス十三組の奴らみたいに居るだけで周囲を傷付けるようなぶっ飛んだスキルはない。
 前者をプラス、後者をマイナスとするなら私は限りなくゼロに近いだろう。彼の言う通り無個性だ。ここを舞台に学園モノを描くとしたならば、いつでもコマから半分以上見切れているようなモブキャラに間違いない。……でもね、うっかりコアなファンが付いていつの間にか名前をもらって、みるみるレギュラー陣を食っちゃうようなモブだってたまにはいるんだからね。
 そのきっかけを球磨川、あんたが今日くれたんじゃないの。

「私はさ、いくら頑張っても黒神さん達みたいなプラスにはなれないけど。私の人生に人並み以上のドラマ性を与えてくれた球磨川のためなら、マイナスに成り下がってあげてもいいよ」
「『ハハ、成り下がるなんて出来やしないよ。マイナスは生まれながらにして死んでゆくまでマイナスなんだから』」
「でもさ、二人ならどうだろう。マイナスとマイナスでプラスだ」

 そう言うと、彼は少し驚いてから顎に手を当てた。

「『うーん……』」

 相変わらず仕種は嘘臭いが、彼なりにちゃんと考えてくれている、のかもしれない。

「『でも、人はそんな掛け算のようにはいかないんじゃないかな』」
「だめかな」
「『それに仮にそんなことが可能だとしても、君は0のままでいいのさ』」

 球磨川はそこでスッと目を細めると、幸の薄そうな笑みを喜々として浮かべながら私に近付く。

「『ゼロとマイナスを掛けたらゼロだ。僕は君と交わって君になれる』」
「……」
「『異常の"プラス"も過負荷の"マイナス"も悪平等の"ノットイコール"さえも、』」

 3つ目のは聞き慣れない。彼は口角を上げたまま目を閉じた。

「『人類史上最大の発明"ゼロ"という概念の前には皆、等しく親しく無に帰すのさ』」

 なにやら中二臭いことをけろりと言い切り、再び脳天気な顔に戻った球磨川は、やはり私の理解に及ばない。

「……よくわからないけど、私は身の丈のままでいいってこと?」
「『その通り』」
「そっか。球磨川が言うならそうなんだろうね」
「うん。……それにね、この前とあるヒーローが"人生はプラスだ"って豪語してたから、せいぜい期待してようよ。僕らみたいな落第点"スコアレス"もさ」

 彼は顎を上げ、その辺の少年のようにやさぐれた顔をしながら、初めて聞くやや低い声で言った。芝居臭さの抜けた球磨川は笑っていないのに、さっきよりずっと幸せそうに見える。

「『おっとうっかり。僕としたことが、最後の最後でカッコ付け忘れちゃったよ。恥ずかしいなあ、好きな子の前なのに』」
「カッコ付いてなくても、格好悪くても、私好きだよ球磨川が」
「……まいったな、ヒーローの言う通りなのかもしれない」


−×0≠−
まいなすかけるぜろ のっといこーるまいなす

2011.4.19

- ナノ -