「『勝てないなあ』」
「何と戦ってるの」
「『言っても解らないよ』」
僕が彼女のほつれたスカートをワンタッチで直してやると、彼女は顔を輝かせありがとうと言った。礼を言うなら付き合ってほしい。その体に触りたい。
彼女を見ているといろんな欲望が弾けては消える。些細なことから、過激なことまで。自分の中でその間に大した差はなかった。何一つ経験がないからだ。妄想の中と違い、ぱちぱちと大きなまばたきに見上げられた僕の頬は、あっという間に赤くなる。
「球磨川さんってさ、勝てないってより負けたいだけなんじゃないの」
「『いじわるだね』」
彼女は真理を突いているようで、全く的外れで残酷なことを言う。連戦連敗の僕が、この期に及んで負けたいわけあるか。
「『まあ、あまりに勝ちたくてあまりに勝てないから、勝利に対するハードルが上がってるのは確かだ。童貞の理想が高いようにね。僕の思い描く勝利は完全に完成された完膚なきまでに完璧な素晴らしいものさ。そうでない限り、勝ちでもないし価値もない』」
「……そんな大層なものを勝ちと言うなら、この世に何かに勝てた人なんてそういないだろうね」
「『そんなことないさ』」
彼女の言うことはたぶん正しいが、僕は正しい彼女を論破して自分のマイナス思考に引き摺り込みたかった。ネガティブとか、そういう意味でなく。
「『君たちは気付いてないだけだよ。普通にできる人間の普通が、僕らから見てどれだけ完成されたものかに。普通に傷付き、普通に立ち直り、普通に克服し、普通に乗り越える。君たちの成長自体がマイナスに対する暴力だ。僕は毎日君に踏みつけられながら生きてる』」
「そんな……」
彼女はスカートの裾を掴みながら下を向く。つられて視線を落とした。脚をまじまじ見ていても怒られないから、女の子はいつもスカートの裾を掴んでいればいいと思う。
「球磨川さんの力は魔法みたいで、いつも私の願いを叶えてくれる。私にも周りの誰にもそんなこと出来ないから、やっぱり球磨川さんは凄いよ」
「『……うん。ありがとう。でもそういうことじゃないんだ』」
「そういうことじゃない?」
彼女の言葉が眩しすぎて辛い。脚を見ているつもりがいつの間にか奥の木目を見ていた。どこにでもある木の床。どこにでもある放課後。どこにでもある二人の関係。彼女と僕の間に特別なものなんて何もない。
「『……人間の価値って何が出来るとか何が出来ないとかじゃないだろ?勉強ができても大切にされず、えらい馬鹿でも慕われる。そういうこと』」
僕らは例え能力があったって人間としての価値は限りなく低い。そこに理屈はない。
「わかんないよ。球磨川さんの言ってることはちっともわからない」
「『そうだろうさ』」
普通に優しくて、僕みたいな男にだって普通に接してくれる君には、きっと一生解らないに違いないよ。僕が君に何を言いたいかも、僕が君にどれほど感謝しているかも。解らないから側にいてくれるし、解らないから結ばれることもないんだ。
「『勝てないなあ』」
「だから、何と戦ってるの」
「『言っても、解らないんだよ』」
2012.6.26