「ちょっと黙ろうか、名前」
「黙ってると泣きそうなの」
「じゃあこれでも」
ルーピンはそう言うと、板チョコをぞんざいに私の口へと突っ込んだ。そんなに押し付けないでほしい。角が刺さって痛いから。
唇からはみ出たチョコがほっぺたに子どものような跡を付ける。ルーピンはそれを親指でふき取りぺろりと舐めた。
「甘いね」
「甘すぎて泣ける」
「どっちにしろ泣くんじゃないか君は」
枯葉色のローブを揺らしルーピンは頭を掻く。当たり前だけれど、学生時代よりも大人の顔になっている。人の良さそうな目で、それでも人並み以上の苦労を刻んだ顔は、彼の実年齢や実体をあやふやな物にしていた。
同じく人と違う体感時間を長いこと感じてきたシリウスも、彼同様に年齢不詳である。
私は二人に挟まれるといつも自分の人生の密度が薄まっていくような気がした。それは多分幸せなことなのに。
「少し落ち着いた?」
「駄目そう。ルーピンは怖くないの?」
「怖いよそりゃあ。この先のことを考えると、思わずチョコも進む」
ブラック家の書斎から外を見下ろしながら、彼はなんてことないように言った。
下の階ではモリー母さんが私達の為にディナーを作っている。今日は彼女の息子達もこの隠れ家へ来るようだ。
私は彼らと同席するのが少し苦手だった。彼らのエネルギーは眩しすぎる。そして私はその源をよく知り過ぎている。
怖いものなど何もなかった青春時代は、ジェームズという一人の男を欠いたことにより文字通り砕け散った。
私達は齢を取り、智恵を付け、経験を積み、その分だけ増えた恐怖を背負っている。無知や無謀のなんと強いことか、それを知るのは臆病になった後だ。
ジェームズは青年の心のままに死んだ。だからあんなに輝いているのかもしれない。
しかし彼は伝説なんかじゃない。もちろん私達も。こうして笑えないことを笑い合って、今もささやかに生きている。
例え終わりがすぐ傍に見えていても。
「ホグワーツはどうだった?」
「変わらないさ。首になったけど」
「考えてみれば当然よね。スネイプにしては正しい判断だわ」
「僕もそう思うよ。……でも、」
「ん?」
「もう少しあそこに居たかったな」
そう言った彼は思わず遠吠えでもしそうに見えた。
私は母校で教授として立ち振る舞う級友の姿を想像してみる。なかなかに可笑しかった。
「また行けるわよ、ムーニー」
「ハハ、懐かしいな」
いつの間にか胃を凍らすような恐ろしさは身体から失せている。生徒達も彼からその力を学んだのだろうか。
やはり彼は特別な人間だ。
私はルーピンの穏やかな横顔を見て、彼は人並み以上に幸せになるべき人物なのにな、と口惜しく思った。
「大丈夫だよ。下へ行こう。名前」
モリー母さんが呼んでいる。赤毛の彼らの声もする。
お願いだからそんなに優しい顔で笑わないでよ、と言おうとして開いた口に、チョコレートが一つ飛び込んできた。
ひとかけらの幸せが大事なんだ(彼曰く)
2011.7.25