たそがれ


薄闇、いや、薄い光だろうか。

暗いとも明るいともつかない色に満たされた空間で、私は上を見ていた。上を向いていた自覚はないが、天井が見えている以上それは上なのだろう。
体を包む温もりに、ここは布団の中なのだとやっと気が付いた。

今は何時だろう。

始めに浮かんだ疑問は、その答えより先に、すでにこの問いを幾度となく自分にしていることを気付かせた。

いい加減、起きなければ──。

頭で思いつつも、体は水を含んだように重く動かない。
立体感をもたない視界にふいに浮かんだのは人の手だった。

ゆっくりと落ちてきて、私の額を優しく撫でる。
心地良さに再び瞼を閉じようとしたが、なぜだかドキリと心臓が脈打ち、私は体を跳ねさせた。
視界の端にちらつく袖の色は黒──ではない。目の覚めるような紅だ。

息をハッと吸い込みながら咄嗟に体を起こす。枕元に座り私を見下ろしていた高杉と、目が合った。

九死に一生を得た私たちはあの後、すぐに鬼兵隊の仲間と合流し京にある宿へ身を隠していた。
私はそこで答えの出ないことばかり延々と考えては、異様なほど尽きない睡魔に襲われ眠り、たまに起きては考え、また眠り、そんなことを繰り返している。

「よく眠る女だな」
「………はい、本当に」

さっきまで触れられていた部分を確かめるように額に手を当てると、高杉は口端に皴を寄せるように笑い、言った。

「お前、俺を誰と重ねて見てる?」
「……え?」
「お前の上司か?」

言葉の意味を理解する前にするりと首と腰に腕が回り、抱きしめられた。

それは私を甘くあやすような誘惑的なものではなく、あくまで衝動的な、何かを哀れむような、しっかりと感情のこもった抱擁だった。
強くなる腕の力から、何かしら苛立ちのような物を感じる。
私は驚き、ゆっくりと彼を見上げた。

「……なんて顔しやがる」

怒っていると思った高杉は、私の顔を見ると困ったように片目を細め笑った。
一緒に過ごした一年の中でも、見たことのない表情だった。
全てを割り切ったようなこの人でもこんな曖昧な顔をするのか、と思うと同時に私はすごく寂しくなった。

私はこの目を知っている。
私はこの目を、遠くに置いてこの場所へ来たのだ。もう戻れないくらい、遠くに。

「お前今、憎いだろう?奴らが」
「……憎い?」
「大層な正義とやらのためなら、人を人とも思わねぇ。身を以って知ったろ?」
「………」
「犠牲さえ美徳と思うような、偽善者どもだよ。お前から情報を搾れるだけ搾っといて、自分らの情報はお前に一切通さなかった。捨て駒扱いだ。悔しくねぇのか?」
「そんな…ことは…」

あの地獄のような熱の中で、考えようとして止めたことを突き付けられ言葉が出なくなる。
彼の口車に乗せられてどうする。
高杉は私を手の内へ引き込み、再び何かあった時の切り札を作っておきたいだけなんだ。

人を人とも思わない偽善者?

違う、彼らは、そんなの、違う。
だって、あんなに。

決して短くはない、彼らと過ごした日々を思い出す。
くだらない思い出と大切な記憶が、春夏秋冬と順番に頭を巡り、それは覚えきれないほどに何周も私の中にあるのだ。
だけど、でも。

来なかったじゃないか──。

私は事実、炎の中に取り残され、死の淵に追いやられたじゃないか。
思い出がなんだ、と思う。
絆があってもなくても、彼らが自分を見捨て殺そうとしたことは紛れも無い事実。
私を助けたのは、高杉晋助だ。

そこまで考えて、私はいつも混乱する。
もしかしたら私が記憶を飛ばした直後、仲間たちが助けに駆け込んだのかもしれない、と思う。
しかしそんなことは有り得ないのだと、解ってもいる。

彼らの大義は、テロリストの粛清だ。
それは所属する私の大義でもある。ならばあの判断は、何も間違っていない。理屈では解る。
しかし私は彼らの素顔を知っているだけに、実感できない。人間味に溢れた彼らが、大義のために仲間を利用し見捨てたということが、うまく理解できない。

私は何も解ってなかったのかもしれない。組織のことも、……あの人のことも。

当たり前のことなのだろうか?私の覚悟が、足りなかっただけなのだろうか?
それとも、高杉の言うように彼らは、私の信じてた物は、汚くて、くだらない物なのだろうか。
でも、だけど、そんなこと、でも。

来なかったじゃないか──。

堂々巡りだ。
私はなんのために生きていた?なんのために生きていく?誰のために?自分のために?彼らのために?

彼の、ために?

私が信じたものは、私が愛した人は、私が愛してるのは……誰?



「名前……名前!」
「…!」
「……」
「あ…」
「……お前、もう寝ろ」

高杉は呆ける私にため息をつくと、あの時と同じように掌で目を覆った。
前髪がくしゃりとよれ、指先の温度に何も考えられなくなる。
そのまま布団へと押し倒され、熱い唇が重なった。

…やめて、わからなくなってしまう。何もかもわからなくなってしまうよ。

誰に誰の面影を見てるのか。
どちらにどちらを重ねてるのか。

それらはやがて反転し、私はこの人を裏切れなくなるだろう。
嘘は真実になり、真実だったものは…どうなるんだろう。

すっかり見慣れたはずの鮮やかな着流しが目に痛い。
かちりとした黒から、ゆるりとした赤へと、私の心は移ろっていく。

相変わらず部屋の中は暗くも明るくもなく、今が昼か夜なのかもわからなかった。


誰そ彼


誰かを裏切らなければ、私は人を愛せない。


2010.10.31


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