ニーチェ


ずっと愛せるか


仮に天国なんていうものがあるとしよう。
私は、凄く困る。

むこうで浮気していないかとか、下を見てやきもきしたりだとか。遺すにしろ遺るにしろ穏やかではいられなさそうだ。

なので私は、天国などないと思っている。死してなお人を想うことなどできはしないのだ。愛は有限である。

「私が教授を愛せるのはあと何年でしょうか」

私が浮かされたようにそう呟いた時、教授は古ぼけた革張りの椅子に深く腰かけ、新聞を広げていた。一面におどる『グリンゴッツ、セキリュティ強化』の見出しの下から、年老いたゴブリンがギョロギョロと私を睨んでいる。さらにその上からは、教授の双眼もじろりと私を睨んでいた。
きっと何をまた少女趣味な妄想に取り憑かれているのだと、呆れているのだろう。

「何年? 今更、途中で下りる気かね?」

教授は最近、わりと厚かましい。

「下りるとか飽きるとか止めるとかの話じゃなくて。私だっていつかは死にますから」
「死んだらそれまでだと」
「ええ。だって、教授は天国を信じているんですか?」
「信じていない。そんな人の思い描く軟弱なテーマパークのようなものは存在しない」

すげなく言った彼の様子はいつも通りだ。しかし私はその言葉の裏を覗き込もうとする。教授はリアリストであるが、同時にロマンチストでもあると知っているからだ。
天国を信じない彼は、しかし永遠の愛を信じているのだろう。

「矛盾しているように思うけど、きっとそうではないんでしょうね」
「いや」

教授は新聞を折りたたみ、目頭を指で軽くつまんだ。預言者の紙面はいささか目にうるさすぎるのだ。

「矛盾している。しているが……」
「……」
「死後も思念は残るのだ。愛は生きている人間の心に根付く。そして、育つ」

教授はそう言うと、眉間から指を離し、閉じていた目を開けた。そうして何事もなかったかのように、手元の本を開く。

彼が時おりこぼす本音を、私は一粒も逃さずに受け止め、綺麗な瓶に詰めしまっておきたいといつも思う。いつか見たダンブルドア校長の持つ、記憶の小棚のように。

「それって随分、無責任に感じます」
「そうだな」

彼は一言肯定すると、それきり何も言わなかった。彼の部屋が静かなのは常だが、その日の沈黙は何かしら親密な空気を纏っていた。
私も本棚から一冊、古い哲学書を拝借して目を伏せる。愛は遺るのだと、何度も心で呟きながら。

誰かが彼に渡しそびれた愛が、今になって芽吹き、彼の心で花を咲かせているといい。
例えそれが狂おしく、また私を疎外するものであっても。



2012.9.8
ニーチェ曰く、提出





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