しょかにきずく



「ス、スネイプ教授……あの」

自室で茶を飲ませてしばらくすると、だんだんと意識がしっかりし始めたらしい名前が、口ごもりながら私の名を呼んだ。
その様子に妙に腹が立って、机を思い切り叩く。

「貴様は馬鹿か? 学習能力というものがないのか!」
「教授……」
「あの男がお前に下心を持っていることなど、解りきっているだろう! 何をのこのこと、二人きりになど」
「ご、ごめんなさい。でも私いつの間に」
「まったく……これが何かも知らないのか」

没収した包みを指差す。
ハニーデュークスの大鍋チョコレートに惚れ薬まがいの物を仕込んで、目当ての異性に渡すというのは、自分達が学生の頃から続いている悪囚だった。

「それとも知っていての事かね?」
「ま、まさか……!」

違います! と叫びながら、名前はぶんぶんと首を振った。綺麗に結い上げられた髪と、肌を惜し気もなく晒すシルクのドレスは、彼女をいつもより数段艶めかせていて、しかしそれさえ今の自分には苛立ちの原因にしかならなかった。

「愚かにもほどがある。これだから思春期の子供なんていうものは信用ならない。愛だの恋だのと言ったところで、結局は菓子一つに負ける程度のものだ」
「そんな、そんな言い方は」
「くだらない。パーティーに浮かれ騒ぐのはいいが、我輩に迷惑をかけるな」

吐き捨てるように言えば、名前は下げていた眉を僅かに吊り上げて、こちらを見た。

「……私がマクガーレンくんとどうにかなった所で、なんの迷惑がかかるっていうんですか? 私の顔なんて見たくもないと思っているような、教授に」

半ば彼との関係を肯定するような問いに、苛立ちはつのるばかりだ。やれやれと大袈裟にため息をつく。

「……そうだな。すまなかった」
「きょう、」
「間違いはこちらにあったようだ。お前があのグリフィンドールの首席にたぶらかされ、いいようにされた所で我輩には何の関係もない。なんならこの菓子もお返ししよう。今から彼の部屋に行って渡してくるといい」
「……いりませんこんな物」

彼女は小さくエバネスコ、と唱えチョコレートの包みを消した。
そして傷付いたような目で、黙り込む。てっきりいつものように口答えをされると思ったので、少し驚いた。……なんだというのだ。

「何を、しおらしい。お前らしくもない」

その場しのぎでこぼした叱咤に、名前の表情がふっと消えたため、なんだか無性に後悔にかられた。彼女は静かな声で言う。

「怖いもの知らずの子供には、何を言ってもめげないとお思いですか。若いからって、際限なしにいくらでもエネルギーが湧いて来るとでも?」

すっと息を吸った上唇は小さくわなないている。

「私だって怖いんです! どんどん大きくなる自分の気持ちも、だんだん少なくなる教授との時間も、どうしようもないくらい怖い! 冷たくされればめげるし、報われなければエネルギーも尽きます! 人間なんだから当たり前でしょう!」

いつになく感情的な名前に、返す言葉がみつからない。動揺のせいではなく、反論の余地がないのだ。自分はずっと、この無鉄砲な若者が怖れたり力尽きたりすることなど、想像もしていなかった。
しかし私は、どうやら子供と大人の中間にいるこの女をひどく傷付けているのだと思った。

彼女ははっとしたように目を見開き、再び静かな、しかし今度は喉の奥からしぼり出すようなか細い声で言う。

「ごめんなさい、八つ当たりです。辛いならやめればいいなんてこと、わかってるんです」

謝らなければいけないのは多分彼女ではない。そんな顔をさせたい訳ではないのだ。こちらまで息が詰まる。

「すみません。教授は今日、助けてくれたのに」
「名前」

何故か黙っているのがとても辛くなって、名前を呼んだ。
そうだ。
彼女を助けた時点で自分は破綻しているのだ。最初にそれを認めるべきだった。矛盾の矛先を彼女に向け、混乱させ、傷付けた。全く、大人げないにも程がある。

しかしあの状況を見過ごすことは、自分には不可能だったと思う。二人の元に踵を返す時、私は数ヶ月間掲げていた自分の方針など一瞬も省みなかったのだから。

「……どうすればいい」

この後に及んで、子供に意見を求めるのもどうかと思うが。

「お前は今どうしてほしい」
「どうしてって」
「いいから言いなさい」

もう、何を言われても聞いてやろうと思った。彼女は当然のことを話す口ぶりで言う。

「好きになってほしいなんて、そんな贅沢は言いません。ただの一瞬でもいいんです」
「……」
「教授が今ここで私を抱きしめてキスをして、"待っていなさい" と言ってくれれば、私は一生でもあなたを待ちます」

まっすぐこちらを向いた瞳には、薄暗い部屋だというのに少しの陰りもなかった。冷静に言葉を選んでいるが、余裕などは一欠けらもないという、聡明な、恋をする、少女の言葉だ。

白いうなじを抱き寄せ、腰に腕を回す。初めてしっかりと感じる彼女の身体は想像よりずっと脆い。
なんでもしてやろうという気だったが、抱きしめてみて気が変わった。嫌になったのではない。自分が怖くなったのだ。
唇の代わりに、額の端に口づける。

名前は僅かに震えながらそろそろとこちらを見上げた。目の端が不死鳥の尾羽のように赤い。

「……せめて、卒業までは待つんだ」

彼女は何かを言おうとして口を開きかけ、しかし出たのは微かな吐息と涙だけだった。胸元へ顔を押し付け、何度も頷く。

実のところそれは、必死に自分に言い聞かせた言葉だったのだけれど、まあいい。

自らへの戒めは、はからずも彼女との甘い誓いになった。


そして一年は果てしなく長いのだ

2011.2.28


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