はるさきにふれる




魔法使い及び魔女に開かれた進路というものは、実はそれほど多くはない。

マグルなら人件費がかかるのだろう地道で地味な仕事のほとんどを、魔法でカバー出来てしまうからかもしれない。その代わりに、一つ一つの仕事にかなりの専門性を求められる。

私も来年で卒業だ。
そろそろ本気で、自分の進む道を考えなければいけない。何をやりたいか、何ができるか、何をするべきか。ここのところそんな事ばかりに頭を悩ませている。

まあ、どこの世界においても、進路に関する悩みというものはあまり変わらないとは思うけれど。私たちが迫られる選択は、マグルのそれより多少、命に関わる場合が多いというくらいで。
私は今期のレイブンクローの中ではわりに成績が良かったし、監督生という肩書きもあるため、魔法省からの誘いが絶えることはなかった。(彼らはレイブンクローの生徒が特別に好きなのだ)

しかし私は、迷っている。
魔法省にもいろいろな人がいるのは解っているが、私はどうもあそこのチェアマン達を好きになれない。
かといって、例のあの人が消息を絶って久しい今は、闇払いたちにとっても谷間の時代らしかった。要はあまり需要がないのだ。

ホグワーツを出て、私はどこへ行けばいいのだろう。
……ホグワーツを、出て?

私はもう一つの選択肢と、それに纏わる利点や欠点を思い浮かべ、はあと息をつきながら首を振る。頭がパンクしそうだ。
いろいろと考えているうちに訳もなく不安になり、ある人に無償に会いたくなった。





暗い階段を下りる。
そのある人は、相変わらずどんよりとした地下牢教室の片隅で、薬品棚の中身を熱心に整理しているところだった。

ニスの剥げた木の扉を開けると、ギイといかにもな音が鳴った。
教授は生徒には絶対に見せないような穏やかかつ真剣な顔で、プカプカと浮かぶ気味の悪い物たちを順々に棚に並べている。

毒ツルヘビの皮を丁寧に扱う指先を遠目から眺め、私は勝手に嫉妬した。そんな物いくら綺麗に並べたところでたかが知れているというのに!
まあ休日の昼間から暗がりで薬品と戯れているような男に、癒しを求める私だってそうとうなゲテモノ趣味なのだろうけれど。

扉に寄り掛かり、疲れた頭でぼんやりと教授を眺めていた。彼は気付いているのだろうけど、私の方に顔を向けもしない。
腕の動きに合わせて静かに揺れる真っ黒いローブを見ていると、私の中にある欲求が沸いてくる。とっても疲れていて、目の前に好きな人がいたら、湧いて当たり前の欲求である。おそらく。

「教授、触ってもいいですか」

出し抜けにそう言うと、彼はいくつかの小瓶をカチャカチャと器用に摘んだまま私の方を見て、顔を逸らし、もう一度勢いよく見た。二度見って、教授。

よくわからない表情をしばらくこちらに向けて、教授は何も言わずに再び棚へと向き直る。

「ちょっと、なに聞かなかったことにしようとしてるんですか……!」
「黙れ! 見てわかるように我輩は今忙しい」

思ったよりも怒った口調で言われ、私はますますムラムラとしてくる。

「だって、私教授に触ったことなんてほとんどない……」
「何が、だって、なんだ」
「お願いです教授、手を握るだけ!それ以上は何もしませんから!」
「言っている意味がさっぱりわからん」

教授はげんなりしたように拳で眉の上辺りを擦ってから、ため息をついた。
私はこの人のため息が嫌いではない。普段何を言っても意に介さない彼の心が、多少なりとも動いている証拠だ。以前それを伝えたら怒られたけれど。

「大体さっきから、何を葬式みたいな顔をしているんだ」
「教授にだけは言われたくないですね……」
「……進路のことか?」

図星を刺され、小さく頷く。

「お前なら、魔法省からのスカウトがもう来ているだろう」
「はい。実験呪文委員会と、魔法試験管理局から」
「どちらにしようか迷っているのか」
「……いえ」

ごくりと一つ息を呑み、なるべく抑揚のない声で言った。

「……実はフリットウィック先生から、ここの研究室に残らないかって、お誘いを頂いてるんです」

言うべきか否かずっと迷っていたが、言ってしまった。教授は私から目を逸らすと、再び手元の薬品瓶に手を伸ばす。

「魔法省に入るべきだな」

思った通りの言葉を返され、少しくらくらとした。

「……私いま、弱ってるんです。あんまり酷いこと言わないで下さい」

私は不純な動機なしに、この学校に残りたいと思っているのだ。
でもそれを彼が嫌がるのなら、他のどこよりも辛い職場になってしまうだろう。私の悩みはそこにあった。

「教授、触ってもいいですか」

もう一度同じ事を聞くが、やはり何も答えてはくれない。
私はゆっくりと近付き、棚に置かれていた彼の左手に自分の両手を重ねた。

体温の低い、少しかさついた教授の手の甲から、じわじわと何かが流れ込んでくるようで、目を閉じる。やはり、好きな人に触れるというのは凄いことだ。もう少し、もう少しだけこのままでいたい。

握るように力をこめると、僅かにきぬ擦れの音がして、俯いていた頭に何かが乗せられた。私はあまりに予想外で、それが教授の右手だということをしばらく理解出来なかった。

何しろ髪をゆっくりと撫でる手つきが普段の教授からは想像できないほど優しかったし、直前の会話からしても、そんな事をしてくれる理由がない。
思わず薄目を開けて確認をしてしまったほどだ。視界に映るやたら長いローブと、陰気な丈の袖は確かに彼のものだった。

「……自分の好きなようにしなさい」

それは諦めたような響きだったけれど、やはりスネイプ教授とは思えないほど、優しい口調だった。


小さな魔法をいくつも教えて



思わず胸に飛びつけば、「そういう意味ではない」と一瞬で引きはがされたけれど。


2011.2.8

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