小さな秋


秋の山道は、思っていたより冷える。

晋助はいつも着ている鮮やかな霞み模様の着流しの上に、朱を何重にも滲ませたような染めの羽織りを着ていた。

そういう派手なデザインは裏地にしてこそ粋ってもんじゃないかなと思ったけれど、この人がやると野暮にならないから不思議だ。
強烈な印象を残しつつ、どこか涼やかに抜けている風である。
着流しの黒襟や、角帯からチラリと覗く根付け紐の茶色がいい具合に差し色になってるからだろうか。

その風体は遊び人であることに間違いはないが、いかにも上手く遊んでくれそうな雰囲気なので逆に安心感さえ感じる。
百戦錬磨の風格といった所だろうか。人間なにが幸いするか解らないものだな、と私は思った。

晋助は昔っからもてて、今も当然もてる訳だけど、こうして改めて見るとハイもてますもてます、もてて当然ですスミマセン、と謝りたくなるくらいイイ男であった。

私は昔馴染みの質の高さを再認識して、急にそわそわと浮足立ってしまう。

「…晋助、それ保護色みたい」

後ろから指差し言うと、彼は目のある方の横顔でこちらを振り返り鼻をならした。

「俺ァ敵の目を欺くほど、弱くねぇつもりだがね」
「だろうね、街じゃ逆効果だもん。その色彩感覚」

紅葉狩りに行こう、と誘ったのは私だけど、晋助は何も行き先に合わせて着物を選んだ訳じゃない。
指名手配犯のくせに派手好きな彼は、どんな場所でも赤!紫!橙!を譲らないのだ。
行き過ぎたお洒落はいつか身を滅ぼすと忠告してやってるのに聞きやしない。

しかし今日は口にした通り、燃え盛るような山の色彩に彼は見事に溶け込んでいた。

ゆるく続く斜面を見上げれば、頂上に向かって連なる木々の、幾重にも重なった葉と葉が一つの大きなグラデーションになり、まるで晋助の背中の朱染め模様が山にどばりと流れ出ているようだ。染料にしたら途方も無いが、自然というのは出し惜しみを知らない。
どこまでも繊細に重なり合うカエデの赤やカシワの橙やブナの黄色は、勿体ないくらいに美しかった。

並んで歩く昔馴染みも、私には勿体ないくらい――。

「何さっきからソワソワしてやがんだよ」
「…えっ!いや、そろそろ中腹だし、お茶屋さんでもあるかなと思って」
「なんだ、花より団子かァ?」
「…花じゃないし」
「そういうことじゃねェだろう」

晋助はくつくつと笑いながら組んでいた両腕を解くと、そのままそれをするりと懐にしまい込んだ。
袖を通していない羽織りがひらひらと風に揺れる。

「寒いの?」
「寒くねぇよ」
「でも懐手」
「癖だ」
「私は寒い。喉も渇いた」
「子供か」

女の私は懐に腕を入れることなんて出来ないから、両手で二の腕を摩っていると晋助が急に身を翻した。

「ホラよ」

投げて寄越された物を、慌ててハシリと掴む。

「…なにこれ?」
「水筒。遠出の基本だろ」
「お酒じゃない!」

べっ甲色にテカる小ぶりのひょうたんはチャプチャプと音を響かせていて、既に大分減っていることが解った。

「山歩きにお酒なんて、風流なんだか野暮なんだか」
「なんだ?文句あんなら返せ。喉の乾きも寒ぃのも治るのにな」
「…イタダキマス。少しだけ」

羽織りの裾から見えかくれしてた根付け紐の先はこれだったのか、なんて納得しながら詮を抜く。

甘い香りがふわっと漂い、思わず水でも飲むような勢いでゴクリと飲み下してしまった。…食道と胃が熱くなりますます喉が乾く。
山道で息が切れてたせいか、くらりと視界がぼやけた。

「晋助、山の妖精みたいだねぇ」
「…酔うの早くねぇ?」

大丈夫かこいつ、みたいな目で見てきた晋助を無視して、私はその場に立ち止まる。

「オイ」
「…寒い」
「前よりゃいいだろ」
「うん、でもまだ全然寒い」
「……」
「…さむい」

立ち止まったまま動こうとしない私を見下ろしながら、晋助はハァとため息をつくと、面倒臭そうに数歩引き返して私の前に立った。
もぞもぞと懐にしまってある腕を袖の中へと戻し、私を胸へ引き寄せる。

「晋助は昔から、私に甘いよね」
「自分で言うか?」
「もてるのに」
「関係ねぇだろ」
「………」
「…お前は他の女より、少しだけ特別だからな」
「少しだけ特別って、微妙過ぎだよ」
「文句あんなら置いてくぞ」
「…アリマセン」

文句あんなら文句あんならって、まるで自分が正論のような顔をしてるけど大抵常識はずれなのは晋助の方なのだ。
しかし私は晋助のとんでも基準に付き合うのが結構好きだ。おかげで大分道を踏み外した気もするけれど。

「紅葉きれいだね」
「あぁ、俺らみてぇな汚れた人間にゃちょっと勿体ねェな」
「うん。…勿体なくて、ちょっと気後れする」

私は暖かくなってきた自分の息を晋助の胸元に吐き出しながら、小さな紅葉を背負う彼へと腕を回す。
羽織りからは桐だんすの匂いがした。


紅葉狩りとはただ眺めることなのです


私には勿体ないものが多い。


2010.10.3



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