「スネイプ教授!」
総じて黒い集団の中でも、異質なうす暗さを纏った彼の後ろ姿に声をかける。
教授はまたお前か、という顔で私を一瞥すると、何も聞かなかったようなそぶりで正面へ向き直り颯爽と角を曲がっていった。
こんな時の彼はいやに俊敏だ。私はその後を追うように歩く。
「……何か用があるのか」
地下牢へと続く冷たい階段を降りたところで短く問われ、彼の方から口を開いてくれたことに喜びを感じつつ、私は足を早めその背中へと追いついた。
胸に抱えていた魔法書をめくりながら言う。
「真実薬の調合とそれに纏わる数種の薬草の特性について、質問したい事があって、」
「そこは次の授業で取り扱う」
彼の返答はその歩調と同じく、切って捨てるように早い。
「次の授業までは一週間以上あります」
「待てないなら図書室に行きたまえ」
「教えを請う生徒に惜しみなく知識を授けるのが、教師の使命では?」
斜め横から覗き込むように言えば、彼はようやく歩みを止めて私の方を見た。
「なるほど、寮に見合った勤勉さは認めよう」
「ありがとうございます」
「しかし……もしお前に他意があるのだとしたら、方法がいささかストレート過ぎるな」
当然のように見透かされた下心に顔が熱くなるのを感じる。
しかしこれ以上上手くやれるようなら、私はレイブンクローに入ってはいないだろう。それこそ、彼と同じ蛇の巣に招かれていたはずだ。
狡猾な寮監は、黙った私に追い打ちをかけるように、差し出された魔法書をパタンと閉じた。
「自分の寮へ帰れ」
相変わらずのつれなさに、さすがの私もめげそうだ。
この人は慕う人間に冷たくされることが、どれほど辛いことであるか解らないのだろうか。それって教師以前に人間としてどうなのだろう。
いくら愛していても、不満が慈愛を越える瞬間というのはあるものだ。私はどうしようもなく震える心を抑えられなくなる。
「……教授には解らないんです」
例え膨大な知識と、優秀な頭脳を持っていたとしても。
「振り向いてくれない誰かを想って、身を焦がす苦しさなんて、解らないんでしょう」
衝動的な悔しさや虚しさ。窮まった感情に搾られるように、目尻に涙が溜まる。
零すまいと俯いた先に見えていた彼の掌は、突然勢いよく振り上げられた。
次の瞬間には私の頭上、冷たい石の壁に打ち付けられる。
ダン、と鈍い音が薄暗い廊下に響いた。
私は驚いて顔を上げる。
視界に映るのは広がったローブ。教授の黒。
「知性を」
「……え?」
いつになく冷たい瞳が間近に迫っている。思わず掠れた声が漏れた。
「知性を重んじたいのならば、根拠のない発言は控えることだ」
私は失言をしたのだろうか。
先程とは違った種類の震えが背筋を走るのを感じながら、魔法書を強く握りしめた。
「ごめんなさい」
考えるよりも先にその言葉が口をついて出たのは、彼があまりに厳しい、そして寂しい目をしていたからだ。私の謝罪に、怯えと同時に心配の色が込められていることに気付いたのか、彼は息を呑み顔を背けた。
彼は驚いていた。私の態度にか、自分の態度にか、それは解らない。
そのまま何も言わず背を向けると、先程と変わらない歩調で私から遠ざかり、教授は廊下の向こうへと姿を消した。
呆然としながら、止めていた息を吐く。
それからどのように西塔の最上まで帰ったのかは、よく覚えていない。バタリと倒れた自室のベッドで、私は冷静になろうと努めた。銀色の鷲。扉には賢者の象徴が刻まれている。
私は、この感情をどうすればいい?
今日のことが、私にとって好ましい進展だったとはとても言えないだろう。しかし他の生徒の知り得ない彼の一面を垣間見たことは確かだ。
私は一回り以上も歳の離れた選良の男性を、なんとかして守りたいなどと思ってしまっている。
少女は羽を広げ聖女となるか
2010.12.24