厭に冷える。
床板の隙間や窓枠の溝口から忍び込んだ寒気が、灯油ストーブから申し訳程度にくたくたと吐き出される暖気を完全に押しやっていた。東京の冬とはこんなに厳しいものだったか。ガラスの向こうの寒空に疑問符を投げ掛ければ、相槌を打つようにラジオが告げた。
──本日ハコノ陽気ニシテ例年ヲ下回ル冷エ込ミデアル。御婦人方ハ体ヲ冷ヤサヌヨウ。
「聞きましたか中禅寺さん。やはり私はここを動くわけにはいきません」
「ここは君の家だろう。客に茶を煎れろというのか」
目の前の男に厳しい顔で叱られるが、彼はこれが常態だから特別怒っている訳ではないだろう。私は背を丸め、冬の神器ともいえる四脚に縋った。
「だってもう、四角く張られたこの炬燵という結界から足を出すなんて、私には到底出来ませんよ!」
「何を大袈裟な。断熱コード一本で張れるお手軽な結界なんて、抱朴子にも載っていないぜ」
だいたい僕は冷え症なんだ。机上で手を合わせながらそう言った客人に、私だってそうですよ、と返し目線の先にあった蜜柑を掴む。蜜柑は部屋の寒さを主張するようによく冷えていた。
「あ、知ってますか? 手足が冷たい人は心が暖かいそうですよ」
「心の暖かい者同士の会話とは、とても思えないがね」
下らない迷信を一蹴しながら彼はその手をいそいそと布団の中に入れる。着流し姿の男が小さな机の一辺につくねんと収まっている絵は、なかなかに可笑しかった。構図事態は普段とそう変わらないが、やはり炬燵布団という物は圧倒的に精彩を欠く。
「そんなに炬燵が好きなら、ご自慢の座卓にコードを付ければいいんです。柘榴ちゃんもさぞ喜ぶでしょう」
「好き?馬鹿な事を言わないでくれ。僕は自分の家にこの堕落の象徴のような物体を置く気はないんだ」
「だからって、わざわざうちに入りに来るんですか?」
今度はあから様に眉根を寄せ睨まれる。この挑発には、さすがに機嫌を損ねたのかもしれない。
「……君は何か勘違いしちゃいないか。僕は炬燵に入るためにここに来ているんじゃない。君に会うために来ているんだ。それなのに君ときたらそうしていつまでもグズグズとうずくまるばかりだから、僕まで炬燵に入る嵌めになる」
彼はとびっきりの仏頂面でとっておきの殺し文句を呟いた。表情も口調も言葉の選び方も、彼流のものではあったけど、内容事態はストレエト極まりない。私は目の前の男が甘いのだか厳しいのだか解らなくなって、俯きながら半分まで剥いていた蜜柑の皮をもごもごと戻した。そして脈略のあるようなないような返答をする。
「た、確かに似合いませんね。中禅寺さんは炬燵が」
「こんな物が似合ってたまるものか。大体布団に入ったまま食事を摂るなんて怠惰にもほどがあるぜ。どこぞの三文文士じゃあるまいし」
何かにつけて悪い引き合いに出される彼の友人には悪いが、私は少し可笑しくなって頬を緩めた。ラジオはいつの間にかニュース放送を止め、川端康成の朗読劇へと移行している。"──人差し指、こいつが一番君を覚えていたよ"。私は机の下にあるだろう彼の指を思い浮かべた。それは温度を伴い私の五感を揺さぶる。彼の指はいつだって冷たい。
「参考までにお聞きしますが、中禅寺さんは炬燵から出た私と何をするおつもりで」
「それは君次第だが、食べるなら食べる。寝るなら寝る。とかくそれらの欲求は別々の場所で発散されるべきだ」
小難しい顔をしながら、やはり彼は事もなげに言うのだ。
三大欲求
「……ええと、寝るとは一体どういう意味で」
「だから君次第だと言っている」
2011.1.30