「君は僕の知っている生き物の中で三番目によく眠る」
起き抜けの頭に彼の声が心地よい。私は開きかけた目を再び閉じて耳だけを澄ませる。彼に寝たふりなど通じないことは知っているが、小言が長くなるようなら本当にまた寝てしまえばいい。
「一つはそこで惰眠を貪っているうちの愚猫だし、もう一つはいつ会っても寝ているのか起きているのか解らない小説家の知人、関口君だ。猫と鬱気味の三十路なんてものは寝るのが仕事と言ってもいいが、君は違うだろう。箸を転がしては笑い回る女学生だ。何をそんなに眠いことがある」
「……わたし箸なんて転がしません」
相変わらずの子ども扱いに顔を上げる。長いこと机に伏せていたせいで、付いていた頬と反対側の首が少し痛い。
「全冊買う余裕は無いからと言って座敷を貸しているというのに、寝ていたら意味がないだろう」
「……全くです」
なんせ春だから、と言い訳しようと思ったが、夏になったらしゃんとするという予定もないのでやめておいた。スカートの裾を軽く引っ張り、正座をただす。感じた既視感に眩暈がして、ぽつりと呟いた。
「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ──」
「夢と知りせば覚めざらましを、か。……今日の授業は古典だったのかい」
「はい。この歌を知って、私どうしようかと思いました」
「なるほど、文学は色褪せないね」
そう言って彼は理知的に笑う。
さっきまで見ていた夢と同じだ。私はこの座敷で眠っている夢を見ていた。目覚めれば彼は優しく笑い、私の為だけに笑い、そして私も彼の為だけに存在していた。私はいつまでもその場所に留まりたかった。もう一度目を開けた時、彼は笑う代わりに大層呆れていると知りながらも。
「そんなに夢の中が幸せかい」
「はい。でも幸福な夢なんて哀しいだけです」
「そうかもしれない」
声だけは、夢の中よりもずっと温かい。私の想像力には限界がある。
「もう起きなさい。十代というのは、貴重だよ」
そんなことを言わないでほしい。私はいつまでもここであなたに微睡んで居たいのだ。
幸せな夢は哀しいだけだ。ならば、これが夢ならどんなによかったろう。
2012.3.3
秀才企画『ing』さま提出