その色を纏う



 彼女は最初に俺を見た時、「そんな大胆な格好でここへ足を踏み入れたのはあなたが初めてです」と小さな丸い目を瞬かせた。彼女たちの専売特許を、軽んじて逆さにしたような風体をしていたのだから当然だ。俺はその場で額の布をとってさらに驚かせようかとも思ったけれど、下らないしあまり意味がないので代わりに頭をかき、聞いた。

「迷惑かい」
「いえ。そのままで」

 お堅いと思っていたシスターは意外にも俺の存在を拒まない。神の家は全ての者に開かれているのだそうだ。俺は礼拝堂の中頃に腰掛け、しんと佇む祭壇を見つめた。堂内には、まだ少女とも呼べる透明な顔をした彼女と、俺の他、誰もいなかった。
 そして大抵の場合そうであった。そもそもあまり人の多い町ではない。朝早く老人が数人来ては、眠っているのか死んでいるのか解らない様子で礼拝をし、昼過ぎに帰っていく。俺はすれ違うようにそこへ入る。今日で7日目だ。
 教会はいい。何かを言う必要も、理由を探す必要もなく、毎日訪ねることを許される。彼女はどんな時もベールの中に髪をぴたりと隠し、モノトーンの衣服で肌を覆っている。そのため白い顔の中に浮かぶ赤い唇がことさら清く、そして時に何かの罪の象徴のようにも見えた。正しい形の十字架にむかい日がな一日祈りを捧げる彼女を、俺は飽きずに見つめた。6日目までは。寸分違わず続く同じ光景、同じ場面、同じ無音にさすがに根負けし、7日目の正午過ぎに声を発した。
これを何年も続けているのだとしたら、彼女は生来の聖職者だ。俺の考えの及ばぬ人種である。

「偶像を崇めて何になる?俺には解らないな」

 声は聖堂によく響いた。力まずとも、劇的な響きを帯びて。

「像は心を映します。大事なのは心の在り方。神の真偽は問題ではないのです」

 彼女の声もよく響いた。

「いいのか? シスターがそんなことを言って」
「本当はいけません。でも私はあまり模範的な聖職者ではないので。この教会を継ぐ資格だって、きっとない」
「俺にはそうは見えないが」

 そう言うとシスターは一瞬笑みのようなものを浮かべ、祭壇に背を向けた。

「つい数年前までここは父の物でした。私は──きっと神じゃなく、父を信じていたんだわ」

 それは本当に小さな声だった。ずっと言いたかった禁断の言葉を呟くように、彼女は顔を伏せ長い睫毛を震わせる。少し濡れた唇は、やはり淫靡だ。これも俺の心を映しているのか。唇は誘うように動いた。

「あなたが、不甲斐ない私を裁きに来た、悪魔のように見えた」
「悪魔は人を裁かない」
「……そうですね。裁くのは神です。では何を?」
「惑わし、汚すのさ」

 ぞくり、と堂内の空気が震えた。聖職者は怯えている。もしくは俺の欲望がそうさせたのかもしれない。どちらでもよかった。何百年と清められ続けたこの空間は、今確かに侵されている。祭壇に続く通路を真っ直ぐ歩き、彼女との距離を縮める。コツ、コツ、とやはりそれは意味深に響いてゆく。音が止み、彼女が顔を上げた。
 その瞬間を逃さずに、引き寄せる。腕はやはり少女の細さだった。ベールが煽られ、床へと落ちる。初めて見る彼女の髪は冬の夜空のように透明な黒で、俺のそれよりだいぶ柔らかそうに見えた。
 手を伸ばし梳かすように指に絡める。ステンドグラスから降る陽光に照らされ、さらさらと不思議な色に透けた。

「私を汚すの?」
「ああ。怖いか?」

 震えたのか、頷いたのか、前髪を揺らした彼女を抱きかかえ、懺悔室に閉じ込める。さすがに十字架の前は気が引けた。だからと言って、この場所ならいいかと問われれば似たようなものだが。少女を大げさな役職に縛りつけている衣服を剥ぐように脱がせ、甘い肌を柔らかく解していく。彼女は悲痛な顔をしていたけれど、どこかでそれを望んでいるようでもあった。純粋であることに疲れてしまったのかもしれない。声も上げずに涙を流している。それは俺に朝露を滴らせるひなげしの花を想像させた。手折るに咲き頃の。

「神様の恋人にしとくのは勿体ないな」

 引きつる体を抱きしめながら耳元で言えば、ああ、とやっと小さく鳴いた。汗ばんだ首元にからむように光る、瑪瑙のカメオに指を掛ける。首に痕が残らないよう、指の力だけでぷつりと千切りポケットに忍ばせた。目をつむる彼女には見えていないようだった。
 カメオは途方もない祈りを受けて、ゆらゆらとオーラをまとっている。きっと彼女にはそれも見えていない。
 この町はもうじき戦場になるだろう。とある小さな教会に眠る、小さな秘宝。地下から染みた噂が世間に蔓延る日は近い。祭壇は荒らされ、教会は焼かれるだろう。彼女はまた泣くかもしれないが、その方がいいと思った。宝はもう誰にも見つからない。後は彼女が決めることだ。なんにせよ、教会のない町にシスターはいらない。


2012.3.29

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