いやだ、と言った彼女の顔がやけに扇情的に見えた。ぐっと胸がつまって、体の中に熱いエネルギーがたまっていく。
ロードワークを終えシャワーを浴びたあと、布団に横になりながらボールをはじいていたらいつのまにか眠っていた。そんなことはよくある。しかし目を覚ましたときに隣に女の子が寝ているなんて、そんな遊び人の大学生のような体験はしたことがないため驚いた。隣で子どもみたいな顔をして畳にへばりついていた名前は小学生の頃と同じ顔をしていて、けれど確実に二人の関係は変わっているのだからどうすればいいかわからなくなる。衣擦れの音がいやに耳につく。ここ数週間、必死になって押し込めていたものが堰を切って溢れてしまいそうで、俺は身じろぎの一つにも慎重になっていた。彼女があの日無防備に人前にさらしていた白い二の腕は、触ってみれば心許なくなるほど柔らかく、これはいけないと思った。
「帰って」
もう一度そう言った。そもそも最初の拒絶を彼女がはねのけるとは思わなかったため、強い態度を取りながらも、俺はかなり追いつめられていた。
「……いやだ」
「帰れってば!」
彼女のこんな強情な態度は、中一のときに体調不良のまま部活に出ようとした時以来だ。あの時名前は俺のためを思って声を張ってくれた。しかし今は俺が名前のためを思っているのだ。もうどうにも冷静になれそうにない。俺のしたいことを、俺のしたいままにしてしまいそうだ。無理矢理うでを引っぱり立たせようとした俺に逆らって、名前は畳に体重を預けている。いやいやと半泣きになって体を縮こまらせる彼女を、いじましいと思いつつ、とうとう欲に負け押し倒してしまう。
「襲うぞ、ほんとにこのまま」
言わずにいた一言を口にしてしまうと、それはもう避けられないことのように思えた。
「めちゃくちゃするから。優しくなんてしないし、泣いたってやめない。それが嫌なら、帰れ」
必死すぎて声が情けなくかすれる。懇願に近い俺の言葉に一度ぎゅっと目をつむり、名前は小さく息を吐く。
「いい、よ」
動けない俺の下で、名前の唇はまだ閉じようとしない。次の言葉を聞くのがとてつもなく怖くて逃げ出したい気持ちだった。そんな俺の気持ちをよそに彼女は声を発する。
「して」
その声が涙まじりなことも、彼女が本当は何を望んでいるかも、頭の端でわかっていたけれど止められなかった。スイッチとして充分すぎる言葉が全身をかけめぐって、馬鹿野郎と叫びたい気持ちだ。しかしそんな怒りも彼女に触れたとたんに消えていく。匂いも感触も味も声も俺が求めていたものと何一つたがわずそこにあった。貪るようにまさぐって、どうにも堪えられなくなり、首筋の薄い肌をきつく吸う。されるがままだった名前の体が引き攣るように強ばった。しかしいくら力をいれられても、まんべんなく柔らかい彼女の体は俺の体を拒みきれない。「していい」と言った名前の体はかわいそうなくらい震えている。それでも今さら手離すことなんてできるわけがなく、順序も段階も無視して、シャツの裾を捲り上げた。
勢いよくしすぎたせいで半分ほどずれ上がってしまったブラジャーに、指をひっかけて引き上げる。ふるり、とふるえながら露わになった胸は服越しに見るよりもだいぶ育っていて、俺の知っている名前の体ではなかった。それなら今からすべて知るべきだろう。そんな勝手なことを思いながら唇を寄せる。指で、てのひらで、舌の先で触れながら彼女の体を確かめていく。名前はきっと頭が追いついていないと思う。震える肌に時おり強く吸いつけば、乱れた吐息の中に高い嬌声がまざった。
俺が服を脱ぎ捨てる頃には、窓の外は完全に暗くなり視界のたよりは電気スタンドのみになっていた。名前はぐちゃぐちゃのタオルケットの上でいまだに目を閉じている。肩や膝はこわばっているのに、手足にはうまく力が入らないようだ。指先の震えがシーツをつたい俺にまで届く。力任せにウエストや二の腕を掴んでいるから、痣になってしまっているかもしれない。けれどそれすら興奮材料にしかならなくて、俺は人形を扱うように足腰を掴み上げて彼女の体を裏返した。
背後から胸を揉み、肩のあたりに噛みつく。熱い肌同士がくっついて目眩がするほど気持ちいい。このままがぶがぶと食べてしまいたいと半ば本気で思う。「あぁッ」と上擦った悲鳴があがり、俺の中のなにかが満たされるのを感じた。耳元に唇をずらし、熱い息を吐く。名前を呼ぶたびに唇が耳朶をこすり、彼女の背中が反るようにわなないた。弱い場所を見つけ、たまらなく嬉しくなる。舌を這わせたり、歯を立てたりして一通り楽しんでから、もう一度仰向けに彼女の体を押し倒した。ぐったりと力が抜けたことにより、震えもいくらかましになっている。立て膝で覆いかぶさり、しばらくの間じっと上から見下ろす。
いつそこに手を伸ばそうかと、形のいい臍をなぞりながら考えた。腹をまあるく撫でると、びくりと膝が震え、手のひらがとっさに俺の腕を握りしめる。こんな乱暴にされてもなお、彼女は俺にすがりついてきた。
「……とおるっ…………みすてないで」
俺を見上げる目の端から、ぽろぽろと涙がこぼれている。眉をぎゅっと寄せて、消えそうな声で、彼女はそう言った。みすてないで。おねがい。とおる。のぼせ切った頭に、名前の懇願がじんじんと響いてきて混乱する。俺が名前を見捨てる? どうして? そんなわけないのに。彼女はこんなにも不安になって、自らすすんで傷つこうとしている。自分の体を差し出すことで、ガキでわがままな俺を受け入れようとしているのだ。これでいいのだろうか? そんなことをして、俺はこれから彼女を守っていけるのか? 自分で一番に傷付けておいて、守るなんて口が裂けても言えないじゃないか。名前の顔を見ていたらつられて泣きそうになって、俺はとっさに彼女から離れた。
はあはあという互いの息が部屋の中に響いて、体は昂ぶっているのに、心が重すぎてこれ以上なにもできない気分だった。名前が祈るように強く、胸の前で手を握っている。何か言わなきゃ、と思っても声が出ない。ごめん。もうしない。許してほしい。そんな情けない言葉がうずまいて喉の奥に詰まっていた。もうどうにもなりそうもない、と息が変なふうに上がりそうになった瞬間、場違いな、無機質な電子音が鳴り響いて、二人の肩が跳ねた。
反射的に視線が横へいく。勉強机の上、脱ぎ捨てたウインドブレーカーの下で鳴っている携帯は、アラームでもメッセージでもなく、明らかに着信だ。俺はとある予感がして、こんな時だけれど手を伸ばしてウインドブレーカーをどかした。虫の知らせの通り、画面に映し出されていたのはここにいない、もう一人の幼馴染みの名前だった。
「…………ハイ」
『及川、いま家か』
「そ、うだよ。……どうしたの?」
『今お前んちの前。ちょっと出てこい』
全てを見透かしたような言葉もタイミングも、おそらくは偶然なのだろう。ただ彼が俺を呼び出す理由を思ってみれば、それはきっとやはり、名前のためなのだ。
「うん、いまいく」
力なくそう言って、俺は脱ぎ捨ててあったスウェットに首を通した。乱れに乱れた名前の服を引っ張りおろし、整え、最後に髪を手ですくう。ごめん。目だけでそう告げてから、一つ息を吸って立ち上がった。ぎしぎしと階段を下りて、廊下を曲がる。玄関にはすでに例のごとく眉をきゅっと寄せた岩ちゃんが立っていて「お前、鍵閉めろっていつも言ってんだろ」と彼女と同じ説教をしてきた。俺の靴の横に並ぶ、小さなサンダルを見下ろして言う。
「名前、来てるのかよ」
「……うん。岩ちゃん」
「あ?」
「行ってあげて」
それだけ言って俯くと、彼は何かを察したのか靴を脱ぎ捨てて俺の横を通り抜けた。どしどしと派手な音をたてて階段を上っていく。しばしの沈黙のあと小さく、名前と何かを話す声が聞こえ、また盛大に、今度はさっきよりさらに大きな音を響かせて俺の元まで戻ってきた。彼のこんなに怖い顔は初めて見るな、と思ったのが先か後か、頬に衝撃が走り、玄関の扉まで吹っ飛んだ俺はそのままたたきに倒れ込んで、噎せた。
とたとたと大急ぎで、しかし俺たちとは比べものにならないほど軽い音をさせ階段を下ってきた名前が、もう一撃くらわそうと胸ぐらを掴んできた岩ちゃんを後ろから止めにかかる。俺はぼんわりと眩んでいく意識の端で、あんなに古い板張りも軋まないほど軽い体をしている彼女を、こんなに小さな靴を履いている彼女を、どうしてあんなにひどく扱ってしまったんだろうと後悔した。痣なんてつけて、なにが満たされるものか。それよりも、キスの一つでもしてあげればよかった。
「半端なことしてんじゃねえぞ!!」
怒鳴る幼馴染みを、半泣きの幼馴染みが止めている。その通りだよ岩ちゃん。頼むからもう一発、盛大に俺を殴ってくれ。きっとそうしたら彼女は大泣きすると思うけど。
2015.10.17