wakaba


まばたきのおんど



 うまくいかない。周りから見たら馬鹿らしいのかもしれない。私たちの間にはなにか大きな障害があるわけでも、とくべつな制約があるわけでもないのに、あたりまえの関係がどうしても成立しなかった。

「もうすぐ当番終わりだって、うちら」

 シルクハットをかぶった委員長が『Welcome!LasVegas!』と書かれたプラカードを揺らしながら言った。改良版のコンパニオンはスカートの丈が少しだけ長くなり、かつウサギ耳は運営の許可がおりずシルクハットに替えさせられたけれど、それでもとても可愛らしかった。私はけっきょく男女兼用のパンツルックにカマーベストという、ディーラー用のユニフォームを着ることにした。友達からはもったいないと言われたけれど、これだって充分気分は出る。

「なんだかんだで、マント着てのりのりだね、及川」

 クラスメイトに血のりをぶっかけられて凄惨な面持ちになっている徹は、三組の教室を出たり入ったりしながらはしゃぎ回っている。そんな様子を横目に、隣の校舎へ向かった。

「いいの? 行かなくて」
「んー、うん」

 あの日から徹とは喋っていない。元から毎日朝練がある彼と通学中に会うことはないし、定休の月曜日だって同じバスにさえならなければ顔を合わせることはない。わざわざ声をかけない限り、学校内での接触だってほとんどないのだ。少し前に戻っただけと思えば、「避けている」というほど特別な状態でもない。

「私のこといろいろ、面倒くさくなったのかもしれない。だからわざと、あんな言い方したのかも」

 彼と口論になった次の日、委員長にはだいたいの経緯を話していた。彼女は呆れたような顔をしながらも「少し時間おいたらいいかもね。あんたと及川のつながりは簡単に切れないんだし」と言ってくれた。その言葉にだいぶ心が軽くなったけれど、でも本当にそうだろうか、という不安感もぬぐえない。一度自信がなくなればどんどん気分は落ちていった。ただでさえ、公式戦に出るたびに加速する徹の人気を前に、壁を感じざるを得ないこの頃だ。私の他にだって徹のことを一途に思ってくれる女子なんていくらでもいる。そんなあたりまえに、彼がいつ立ち戻ったっておかしくはない。
 今すぐ付き合おうと、口約束をすればいいだけなのに、そんな単純なことがどうしてかできなかった。互いに好きだと告白をして、彼氏彼女になる。きっとそれ以上の運命的ななにかを、私たちが求めてしまっているせいだ。徹のいたずらっ子のような、ときに呆れるほどほがらかな笑顔をここひと月浴びすぎたせいで、再び離れてしまった今、息苦しいほど恋しくてしかたなかった。まるで中毒患者みたいだと思う。

 しかし、せっかくの文化祭当日にうじうじしていてもしょうがない。委員長まで暗い気分に巻き込まないよう、気を取り直して残りの自由時間を満喫する。十枚綴りの金券をすこしずつちぎりながら、出店やステージ発表を見てまわった。上級生の出し物はさすがに慣れているだけあって夢中にさせられるものが多い。アイドルグループの衣装を模したダンスサークルや、参加型のテーマ喫茶、低予算の中できりもりするB級グルメの屋台などをなんやかんやと巡っているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。夕方になればグラウンドの中央に大きな行灯が掲げられて、お祭りの雰囲気をいっそう盛り上げてくれる。紅い光にうつしだされた学校内は、長い準備期間を経て私たちの心のざわめきを最高潮に高めていく。音楽とともに校内放送がかかり、最後の催しのためグラウンドの真ん中に生徒が集まりはじめていた。

『これよりフォークダンス、青少年の主張、そして売り上げランキング発表をもって文化祭のクライマックスとなります。最後までお楽しみください── 』

 古いダンスソングが流れ、行灯の周りに自然と男女の輪ができていく。照らし出された影がゆらゆらと円をえがき幻想的だ。私たちは校舎沿いの段差に座りながらそれを眺め、この先二年三年と、どんなふうになっていくんだろうね私たち、なんてちょっとおセンチな話をした。時おりクラスの男の子たちが声をかけてくれたけれど、あまり踊るような気になれなかったので曖昧に手を振り返す。隣で笑う委員長はきっと気をつかってくれている。「ありがと」と呟くと、小さく「眠い」と返された。優しい子なのだ。

『青少年の主張──!次のエントリーは一年三組の吉田さんです!』

 すっかり暗くなった空の下で、魔女の格好をした可愛いらしい女の子がマイクを手に俯いていた。ふいに私の幼馴染みの名前が聞こえてきて、観衆がどっとわく。いつのまにかマントを外して、血のりを洗い流したらしい水濡れの徹が、背中を押されステージの上へあがっていくのが見えた。ぼんやりとした光の中で繰り広げられる青春の一ページは、なんだか遠い星の出来事のようだ。

『さて及川くん! おこたえは!』
『か、考えさせて頂きます! ありがとう』

 背後で大きな拍手がわいた。
 私の手を引いて校舎裏へと向かう委員長のうしろで、ひっそりと目尻をこする。薄暗い足下がじわじわと滲んで今にも転んでしまいそうだ。握りしめた手があたたかい。そう言ったら、彼女はまた「眠いから」と言って笑うだろうか。




 月曜日は振り替え休日だった。
 珍しく一日、彼は家にいるのだろうかと思い訪ねてみるが、鳴らしたチャイムはいつまでたっても応答がない。意を決した指先がとくとくと震えている。
 深く深呼吸をしてなんとか体勢を立て直した私は、なんともないふりをして数十メートル先の我が家へと戻る。家族ぐるみの付き合いなだけに、親に関係を勘ぐられることだけは避けたかった。


 夕方もう一度外へ出ると、徹の部屋にうっすらと灯りがついているのが見えた。
 えいっと気合いを入れ直し、サンダルをはく。つけやきばの口実で持った父親の出張先のおみやげを揺らしながら、再びチャイムを鳴らした。しかしそれでも反応はない。おかしいなあと思い、昔は勝手に出入りしていた玄関の戸を引いてみる。
「おじゃまします〜」と呼びかけてみるけれど一階に人の気配はなく、たたきに徹の大きな靴が一つだけ置いてあるのが見えた。おばさんたちはきっと仕事だ。徹は昔から家に帰っても鍵をかけないことが多い。田舎とはいえ不用心なんだからちゃんと閉めなよと言い続けているのに、いまだに直らないらしい。
 久しぶりに上がる及川家は昔と変わらない板張りの匂いがする。階段の下から「徹、いるの?」と声をかけた。一段ずつのぼりながら、何度か名前を呼んでみる。上がりきってドアノブを回すと、電気スタンドだけが付いた部屋の真ん中に、なにか大きなものが横たわっていた。

「とおる……」

 敷き布団の上に溶けるようにたおれている生き物はたしかに及川徹だ。さっきまで走りに行っていたのか、大きなウィンドブレーカーが机に置かれていた。背中を少しだけ丸めて、ほっぺたを布団に沈め、安らかに眠っている。近頃急に大人っぽくなったと思っていた徹も、寝顔を見れば昔と変わらない。力の抜けきったあどけない口元に思わず笑みがもれる。お腹にかけられたタオルケットも、全体的に上に向かって乱れている髪の毛も、小学生の頃のままだ。こうしていると、目紛しく変わりつつある私たちの関係なんて嘘のように思えた。大きな子どもはすうすうと寝息をたてながら、肩と背をおだやかに上下させている。じっと見下ろしていると、私まで眠くなってしまう。


「名前…………名前!」

 耳元にきこえた自分の名前に、びくりと体が揺れる。一瞬、だろうか。畳にくっつけた頭から意識がとんでいた。とっさに髪を整えて座り直すと、寝起きのむくれた顔をした徹が私の顔を一度見て、すぐにそらした。布団の上にあぐらをかいて、じっと目の前の洋服ダンスを見つめている。

「……なに」
「……え?」
「なにしに来たの」
「あ……うん、玄関の鍵、開いてたよ。不用心だよ」

 とっさに言うと、彼は背中を丸めながらもう一度私を見た。猫背になったって彼の目線は私よりも高い。まだ五時だというのに、窓の色はすっかり青く染まっている。いつのまにかずいぶん日が早くなった。勉強机の電気スタンドが彼の髪をうっすらと照らし出し、その下の目を光らせている。大きな手が伸びてきて、肩に触れた。
 しかし、そのまましばらくじっと動きを止めたかと思うと、彼はあっけなく手を離し、目を伏せて「帰って」と言った。

「…………いや、だ」

 立ち上がってその場を去ろうとするいくじなしの自分をなんとか封じ込め、小さく首を振った。
 いやだ、と思った。彼を欲しがる女の子を見て、大勢の視線を集める彼らを見て、どうしても取られたくないと思った。私を選ぶことはできないと、背を向けて遠のいていってしまう徹のことを考えると、心臓がどんどん小さなところに押し込まれていくようだ。
 彼を失うことが、以前よりもずっとずっと怖い。


2015.10.14


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