同学年の部活友だちというのはいいものだ。共に過ごす時間は下手をすれば家族よりも長く、否応無しに所帯染みた連帯感が生まれる。俺は鞄の底でしわしわになっていたTシャツを引っぱり伸ばしながら、背を丸め、これ見よがしなため息をついた。
「どうした及川、ふられたか?」
「ふられてないよ! まだ!」
「え、なにマジでふられそうなの」
クラスも同じであるマッキーは、その中でもとくに気兼ねがない。俺の赤裸々な経緯をちくいち間近で見ているため、このようにかまってほしい時にいいタイミングでつっこんでくれる。一方試合ともなれば阿吽の呼吸と呼ばれる付き合いの長いエースはと言えば、俺のプライベートには必要以上に干渉しないと決めているようで、部室の隅であくびをしながらワイシャツのボタンを外していた。五時限目の授業がよっぽど眠かったのか、解いたネクタイが床へ落ちていることにも気付いていない。
「イヤイヤふられそうではないよ? 順調……ってわけでもないけど」
「なんかやらかしたか」
「部室に転がってたAVあったじゃん? アレ俺借りてたんだけど、この前見られてさあ」
「マジかよ。アホだな」
そう言うマッキーの顔は楽しそうだ。たしかに笑い話かもしれないけれど、高一女子のエロへの耐性というものは俺には計り知れない。もしかしたら俺はすでに人間レベルで軽蔑されているのかもしれない。
「バレー部の俺が体育倉庫モノとか、変にリアルじゃん!」
「……まあな」
「たしかに」
「しかもうっすら名前に似た女優のやつ……ぜったいドン引きされた……」
「ドンマイ」
「元気出せ」
いつの間にか会話に加わっていた湯田っちと共になんとも適当な軽さで俺を励ますと、二人はジャージの前を開けたままパイプ椅子にふんぞり返った。今日は二三年生が進路相談ガイダンスで遅いため、この狭い部室は俺たちの天下なのだ。
「つーか、もう部屋呼んだりしてんだな」
「まあ、家近いしね」
「した?」
「……してない」
「あ、そうなんだ。意外」
「……なんも」
「なんも?」
「キスは一回したけど、あっちからだし」
「……マジで?」
着替え終わった岩ちゃんが「聞きたくねえ〜」という顔で顔を歪めたのが見えたけれど、転がりだした男子トークは止まらない。
「思った以上にこじらせてるな」
「想像よりヘタレてるな」
「なんで嬉しそうなのさ二人とも!」
彼らはいつになくほがらかな顔でにこにこと俺の顔を見て、最後に「ざまあ」と親指を立てた。家族レベルの連帯感により失われるものは「遠慮」そして「躊躇」だ。第一体育館の方角がにわかに騒がしくなり、あわててジッパーを引き上げる。先輩たちが来るまでにネットを張っておかないと、またどやされて外周が増える。
そんな心境でどたばたと迎えた週始め。お決まりになりつつある学校帰りの週一お部屋デートだが、進展らしい進展も見られないままひと月が経とうとしていた。俺のパソコンをいじりながら無防備な背中をこちらに向けている名前は、果たして何を思っているのだろう。DVDはいまだに棚の裏に落ちたままだ。そろそろ返さないと、先輩たちが犯人探しをはじめる頃だろう。薄暗い体育倉庫でくりひろげられるありきたりなエロシーンを思い返しながら、手にかいた汗を握る。不穏な気配をさっしたのか、振り返った名前が「徹?」と首を傾げた。ひそめられた眉のあたりをぼんやりと見つめる。付き合う前にあんなことをしてしまったのだから、しばらくは大人しくしているのが筋だと思うけれど、ぶっちゃけ欲しくて欲しくてしょうがない。
「魂抜けてる?」
「……べつに」
「熱あるの?」
心配げなまなざしをした彼女が、指先をこちらへ伸ばす。俺はわけもなく身構えてぎゅっと胡座を組み直した。触れる直前でとまった手のひらが、そのままするすると引っ込んで名前の膝へ戻る。名前も同じように、強張って正座を正した。
「ねえ」
「……はい」
「なんで最近、私が触ろうとするとビクってなるの」
「……はあ」
間の抜けた声が口からもれる。たしかに俺は最近彼女を意識するあまり極度に接触を拒んでいる。バスに乗る時には肩が触れないようつり革一つ分空けているし、物を手渡しされる際には指が触れないよう上からがばっと取るようにしている。迷走している自覚は大いにあった。
「傷つく、んだけど」
「……」
「私だって、徹に触りたいんだよ。前も言ったけど」
俺はヒッと息を飲んでから、いつかのコンビニの帰り道で、俺の手に触れたいと見上げてきた名前の顔を思い出した。あの時は怖気づいたけれど、今ここで同じことを言われたらさすがに我慢ができない。なんなんだろうかこの女は。せっかくよかれと思ってしている俺の努力を無に帰そうというのか。
「名前、俺の体がお前よりずっとでっかいのわかるよね? そんで俺にそこらの男子高校生並みの性欲が備わってること知ってるよね? しかも最近特に我慢してること気付いてるね? それなのになんでそんなこと言うの? ひどくない? 俺必死で? 抑えてるね? あんなことあったからさ? 一応反省してるわけよ?」
俺の怒涛の質問に対して、彼女は全部まとめて「うん」と一言返事をした。喋るのをやめると手が出そうだった俺は、ウグッと怯みつつ言葉を探す。
「うんってなに、うんってなにさ。どういう意味のうん? 同意のうん? 肯定のうん? それともただの相づち? 名前ちょっと軽率なんじゃないの。怖くないの。あんなことされたのに。学習能力ないの。バカじゃないの。だいたいお前は昔っから無防備っていうか、体育の授業の時だって平気で長田に抱きつかせるし、文化祭の時だって平気で長田に肩抱かせるし、ていうか、準備の日に着てたアレなに? コンパニオンガールみたいの。アレおったまげたんだけど。あんな、あんなん、男らがどんな目で見るかわかってんの? ちょっと引くほど似合ってたからね? めちゃくちゃ可愛かったしエロかった。あの場にいた奴らの記憶消去したいし、肩抱いた長田に至っては存在を消去したい。マッキーは一発ハタくくらいで見逃してあげてもいいけど、マッキーだってあれ、すげえヤバイって言ってたよ。……当日は着なかったみたいだけど。っていうかあの衣装、もうないの? 俺の前でなら、べつにまた着てもいいけど。あん時びっくりしてあんまよく見られなかったし、せっかく作ったなら俺の前でもっかいくらい着てくれてもいいけど、名前。……名前?…………聞いてる?」
「……うん」
彼女はまた一言でそう応え、少し哀れみを帯びたような顔をした。俺はいよいよもって喉がつまり何も言えなくなる。コートに立てば大人気の及川さんが、彼女相手に限ってこんなにも支持を得られないなんてことあっていいのだろうか。愕然としている俺を見た名前が、気を使うよう顔を傾けているのが目の端に映る。
「あ……あの衣装、作ってないよ。徹イヤそうだったから。委員長は作ってたけど」
「……りて」
「え?」
「借りて」
「……」
ここまできたらもうヤケだった。恥とか外聞とかそんなものはどうでもいい。あのぴちぴちでぷるぷるなコンパニオンガールを俺の手に抱けるなら、そんなものは奥羽山脈に投げ捨ててやる。話の流れで思い出した欲望だけれど、一度思い出したらどうしてもあの格好をした名前を腕の中に閉じ込めてあんなことやこんなことをしたくてしょうがなくなった。想像するだけで、それはたまらなくたまらない。
「む、むりだよ。もう捨てちゃったかもしれないし」
「わかんないじゃん。聞いてみてよ」
「……こ……今度ね」
「絶対だよ」
当初の目的を忘れてそう念を押した俺は、よくわからないけれど一段落ついた気になって胡座を崩す。しかし彼女は納得のいかないような顔で、もじもじと折り畳んだ足をもぞつかせていた。
「というか、徹」
俺を睨む名前の唇はとんがっている。
「あれ着てないと、だめなわけ?」
「…………そんなワケないじゃん」
不意打ちで戻ってきた会話に、心臓を掴まれる。呆れた彼女が腰を浮かせてしまう前に、二の腕を掴み引き寄せた。柔らかい体が俺の胸に寄り添って、体温が何度か上がった気がした。あんなに触りたいと思っていたのに、いざ目の前にすると貴重すぎて下手なことができない。俺は小さな背中をていねいに撫でながら、こめかみのあたりに何度も唇を寄せた。くすぐったそうに目を細める名前が、幸せそうな顔をしていることが嬉しくて嬉しくて気がヘンになりそうだ。
「名前」
「ん……」
「名前……」
「なに……?」
「……」
「……徹?」
名前を呼んだきり何も言わない俺に、彼女が問いかける。なに、と聞かれたって俺にだってわからない。胸にうずまいて苦しいくらいのこの気持ちを、名前を呼ぶこと以外にどう発散したらいいかわからなかった。だって、衝動のまま俺が力を入れたら彼女の体はぺしゃんこになってしまう。
「名前、そんな不思議そうな顔しないで」
「だって……」
「俺だって、緊張してどうすればいいかわからないんだよ……」
そう言うと、名前は泣きそうな顔で眉を下げ息を飲んだ。俺たちは今、そっくりな顔をしているのかもしれない。いつだか誰かに言われたことがある。付き合いの長い俺たちは、家族のように似ていると。しかし俺たちは家族じゃない。こうして触れあって、求めあうことができる。
どちらからともなくキスをして、互いの内側を探りあった。同じだけ求めても、俺の方がでかくて重いためだんだんと彼女の体は押されていく。至極当然の原理で、いつのまにか名前の背中は床へくっついていた。俺たちがこうなることは、こんなにも自然だったんだ。今日は素直にそう思えた。
名前がまだちゃんと幸せそうな顔をしていることを確かめてから、俺は手を伸ばし、カーテンを閉めた。
2015.12.4