wakaba


そのごのはなし


「と、いうわけで」

 徹はぴしりと背筋を伸ばし、隣で同じくかしこまっている私の肩に手をそえた。

「お父さん、お母さん。この度僕たちお付き合いすることになりました」
「誰がお前の父ちゃんだ」

 放課後、廊下の端っこに呼び出された一くんと委員長は呆れたような顔で色ボケまっさかりの私たちを眺めていた。二人にはお世話になったのだからきちんと感謝をしめしたいけれど、私たちにしてもまだ気がそぞろなため、つい戯けるような態度になってしまう。
 
「そりゃ、岩ちゃんが俺のお父ちゃんで、委員長が名前のお母ちゃんでしょ」
「だから俺はお前の保護者じゃねえ」
「まあ、ようやく一段落付いたみたいで安心したけどさ」

 委員長の愛のこもった溜息に、急に実感が湧いて顔が熱くなった。一段落、とはいうものの、始まるのはこれからだ。

「いろいろとお騒がせしました。二人がいなかったら、途中で諦めちゃってたかもしれない。ほんとに、ありがとね」
「名前はいっつも私の前では泣いてたもんね〜」
「えっそうなの」
「コイツはいつも俺の前でぐずぐず言ってたぞ」
「ちょっばらさないで」

 きょろきょろと顔を動かす徹は、目を丸くしたりしかめっ面をしたり次々表情を変えながらも幸せそうだ。部活行くぞ、と小突かれて表情筋を引きしめている。揺れるエナメルを見送りながら、委員長と顔を見あわせた。


 このようにして、散々ごたごたと揉めた末にくっついた二人は、いざ付き合いはじめてみれば嘘のように順調……という希望的観測は私だって徹だって、一くんや委員長だって描いたはずだ。
 しかしそんな王道パターンを覆して、付き合ってからも私たちは相変わらずごたごたと落ち着きのない日々を過ごしていた。下駄箱に寄りかかりそわそわと顎を上げている徹の顔を見て、しずかに唾を飲む。

 一緒に帰る、なんていうことに色気を感じたことはなかった。小学校の頃から家が近かった私たちは当たり前のように毎日一緒に帰っていたし、中学の頃ですら彼の部活がない日や行事の行き帰りなどはなんとなしに肩を並べた。そこに一くんがいることもあったし、二人だけのこともあった。徹に特定の彼女がいたこともあったけれど、彼はあまりそういうことを気にしなかった。いま思えばそれが彼女と長続きしない理由だったのではと思うけれど、そんなことに思い当たらないほど、私たちが隣を歩くことに他意はなかったのだ。

「……おまたせ」
「……おう」

 なので、こんな風にわざわざ待ち合わせして「さあ一緒に帰りましょう」なんていうことになると逆に緊張してしまう。徹は普段「おう」なんて言わないくせに、変に堅い表情で男っぽい声を出したものだから笑ってしまった。

「直帰でいいの?」
「え、名前どっか寄りたい?」
「ちがくて、市営体育館行ったり走ったりしてるでしょ、たまに」
「ああ、どっちにしろ一度帰ってからね。ていうか、本当はしちゃいけないんだ定休日は」
「そうなんだ」 

 そんなことを話しながら、下駄箱で靴を履き代える。また明日、と声をかけてくれたクラスメイトに手を振りながらつま先をとんとんさせていると、スクールバックが肩からずり落ちてバランスを崩した。背後にいた徹が、とっさに腕を支えてくれる。「ごめん」「うん」普段ならなんとも思わない接触がなんだかいちいち恥ずかしい。私を見下ろしている徹の唇が鳥のようにとんがっていて、思わず数秒、見つめあってしまった。

「……帰るよ」
「うん、帰る」
「バス乗って」
「うん、バス乗る」

 隣を歩く。バスに乗る。会話をする。すべてはこんなに難しいことだっただろうか。眠れぬ夜に意識をとぎすませたら息の吸い方までわからなくなってしまうように、一挙一動がぎこちなくてしょうがない。私の唇もとんがっているのかもしれない。喋り方とか表情とか、やっぱ似てるよね、といつだか委員長に言われたことを思い出してますます胸がそわそわした。

「……寄ってく?」

 徹の家の三メートル手前で、彼は小さく言った。きっとおそらくだけれど、バスの中でも道の途中でも、その言葉をいつどんな声色で言おうか彼は考えていたのだと思う。

「あ……」
「なにも、しないし。さすがに、こないだの今日で」
「あ、うん」
「……嫌ならいいケド」
「……」
「だって、もう少し」

 そこで限界を迎えたのか、溜息をついて黙った徹に助け舟を出したくてしょうがない。けれど私だってなんて言っていいかわからなかった。だって、もう少し。続く言葉はなんだろう。ぐるぐると頭を回し考える。

「一緒に、いたい」

 たどり着いた言葉を発すると、徹の顔はあからさまにきらきらと明るくなった。かわいい、としか思えないたくましい男子高校生十六歳の横顔。

「今俺がなにしたいかわかる」
「え、ううん」
「家の前じゃできないこと」
「……」

 手を引かれ門をくぐり、先日徹がふっとんで頭をぶつけた玄関扉をバタリと閉める。靴を履いたまま下駄箱に手をついた彼が、大きくかがみこんできたかと思うと素早く、しかしとても慎重に優しく、私の頬にキスをした。そのまま猫のように額を寄せあって、数秒。うっすらと開けた目に、同じように薄目でこちらを見ている徹のきれいな鳶色がとびこんできて胸が苦しくなった。さっきと一緒だ。なにも言えなくなって、少しの間見つめあう。お互いに想うことが多すぎて、言葉が全然出てこなくなる。私たちは困ったような拗ねたような顔でしばらく黙り込んでから、どちらからともなく靴を脱いだ。

「お茶もってく」
「うん」

 そそくさと顔をそむけ先に階段を上がる。まだ明るい彼の部屋は、この前ごたごたのすえ飛び出したそこと同じ場所には見えずほっとする。お盆に麦茶とお菓子カゴを乗っけてやってきた徹は、力強くそれを畳に置くと、なにも言わず自ら手にとって黙々と食べはじめた。そんなにお腹がすいてたのかと驚きつつ、私も負けじと口に運ぶ。瓦せんべいを噛み砕くバリボリという音が部屋の中に響き渡り、お部屋デートというのはずいぶん色気のないものなんだなと思った。のも束の間、ぴたりと手を止めた徹がせんべいを握りつぶす。

「……せんべい食べてる場合じゃないよ!」
「ええっ、徹が食べはじめたんじゃん」
「そうだけど! だってなんか緊張するんだよ、お前、名前の癖に……」
「と、徹が意識しすぎるからじゃん」

 部屋の真ん中で頭を抱えている徹は、お菓子カゴを端へおいやると長い溜息をついた。なんだかかわいそうになって、彼氏彼女とは一体お部屋でいやらしいことの他に何をするのだろうかと、昔読んだ雑誌などを思い返してみる。

「DVDでも、見る?」
「んう」
 
 どうやら彼は、うまいこといつものように「女慣れしたかっこいい彼氏」を演じられないことに不甲斐なさを感じているらしい。幼馴染みと付き合うことの難しさにさっそく直面しているようだ。一方の私は彼氏ができること自体初めてなので、そこまでの葛藤はなかった。おとなしくなっている徹を横目に、彼の好きなアクション映画やスポーツニュースの録画DVDが並んでいるカラーボックスを指で繰った。
 ふと、格闘モノのB級映画と、一くんに借りたらしいゴジラ三部作の間に、なんのパッケージもされていない真っ白いDVDケースがあるのが目に入る。なんだろうと思い取り出して、軽い気持ちで蓋を開けた。瞬間、背後からぶわりと風を感じ硬直する。気付いたときには手からDVDが奪い去られていて、勢いのまま立ち上がった徹がすごい形相でこちらを振り返っていた。猛禽類が獲物を狩るときのような俊敏な動きに、私はいつだか海辺で鳶に菓子パンをとられた時のことを思い出した。一体なにが起こったというのか。最後に目に映った映像を、思い返してみる。

「狙われた優等生……恥辱の体育倉庫」
「やめて!!!!」

 ディスクの表面にはたしかにそう書かれていた。ついでに言えばピンク色の下着も見えた。これはいわゆるあれである。世の中の男の子の大多数が所有しているという、しかし私にとっては都市伝説のような、そう、つまるところ一つの。

「えっちなDVD……」
「えっちとか言うな!!」

 逆切れを通りこして泣きそうになっている徹は顔を赤くしながらDVDをタンスの裏へ放り投げた。そんなに乱暴に扱ったら壊れてしまうんじゃないかと思ったけれど、私が彼のえっちなDVDの心配をするのもどうかと思い口をつぐむ。どうしたものかと思って見上げるけれど、これでもかと目の泳いでいる徹と視線が合うことはない。取り乱す彼の横で、私はといえば極限まで冷静になっていた。

「徹、座らないの」
「……」

 自分の部屋だというのに身の置き場がないのか、仁王立ちをしたまま顔をそむけている徹は哀愁にあふれている。なんだかだんだんと嗜虐心がわいてきて、私はいきおいよく立ち上がり彼の顔をのぞき込んだ。
 急に動いた私にびくりと体を揺らし、徹は「な、なに」と一歩下がる。それならばと二歩近づいて、ぴったりと距離を埋めた。窓際に追いつめられた徹がごくりと唾を飲んだのがわかった。

「徹」
「……はい」
「べつに、徹の格好わるいところなんて今まで嫌ってほど見てるんだから」
「……」
「今さらそんな顔しないでよ」

 片手で顔を覆った徹が「見んな」と呻く。いよいよかわいくてしょうがない。私は目の前のネクタイを引っぱって、彼のあたたかな首筋に手をそえた。指の間から叱られた犬のような目がのぞいている。マテを知らない腹ぺこ犬は、案外すなおな動きで私の唇に噛みついてきた。夢中になっているその顔を見て、私もゆっくりと目を閉じる。熱い息が唇の隙間をやんわりと埋めていく。彼の手が強く私を抱き寄せて、窓ガラスがガタリと鳴った。背伸びをしたつま先がそのまま宙へ浮かんでいってしまいそうだ。

2015.11.1


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