room303





「都市伝説だと思ってたんだけどね」

 真っ白な壁に向かいそう呟いた臨也の顔はふざけ半分、苛立ち半分といった具合だった。神経質そうな細い眉は右と左でそれぞれ別の方向へ向いている。複雑な表情をしているものの、わけのわからない状況に混乱するばかりの私とは違い、どこか悟った風である。

「どういうこと?なんなのこれ?臨也なにか知ってるの?また臨也の日頃の行いの悪さに私が巻き込まれたパターン?」
「相変わらず何にも知らないんだねえ君は。これはちまたで噂の◯◯しないと出られない部屋だよ。俺の行いの悪さと関係してるのかは知らないけど、噂に聞く不思議体験を今まさに体感していると思うとワクワクする一方、何者の意思によるかも解らないルールを一方的に押し付けられるってのは不愉快でもあるね」
「出られない部屋……?ルール?なに言ってるの?こわい」
「たしか、キスしないと出られないとかセックスしないと出られないとか、そういう悪趣味なやつだったと思うよ。ごちゃごちゃ言ってないでそこのノートを捲ってみればわかるよ。ルールが書かれてるはずだ」
「キッ……セ……!!?」

 状況を飲み込むどころか、次から次へと恐ろしい言葉を聞かされ頭はねじれるばかりだ。セックスをしないと出られない?そんなふざけたお話があってたまるか。回らない頭をぐるぐると振って部屋を見渡す。
 不自然なほど白一色の部屋の中には、大きなベッドと小机が整然と配置されていた。どちらも床や壁から浮き出てきたように真っ白く滑らかなフォルムをしている。テーマ型のラブホテルの一室と言われれば納得できなくもないが、部屋にはドアや窓どころか通気口の類いも見当たらない。まるで近未来SFに出てくる無菌室のようだ。柔らかそうな布団には染みやほつれの一つもなく、とても人の手により大量生産されたものとは思えない。小机の上を見ると、たしかにそこにはノートが一冊乗っていた。ノートといってもすべてが律儀に白いため、ただの紙の束といえばそうだ。脇にはルームキーがあり、透明なストラップには『303』と刻まれている。部屋番号だろうか。それにしたって、鍵があってもドアがないのではどうしようもない。
 ごくりと一度唾をのんでから、ノートを手にとった。神様どうかお願いです。『殴らないと出られない』とかせめてそれくらいにしてください。それならむしろ好都合です。そう願いながら、表紙を捲る。

『告白しないと出られない部屋』

 ページの真ん中には簡素なゴシック体で一言、そう書かれていた。

「よ、よかった。なんか簡単そう」
「……」

 無茶振りというほどでもない指示に肩の力を抜いた私の横で、臨也はなぜか難しい顔をしていた。

「条件が漠然としすぎてる。告白って何を?愛を?罪を?秘密を?」
「そ、そこは普通に愛でいいんじゃないかな。男女が対で閉じ込められてるわけだし」

 そう言うと、臨也はハッと感じの悪い失笑をもらし腕を組む。私を小馬鹿にすることに全霊を傾ける時の顔だ。

「君が俺に?それとも俺が君に?」
「……そ、れはわからないけど」
「本音じゃないと出られないなら詰んでるね」

 元も子もないことを言いベッドに腰を下ろした臨也は、本当に私の恋人なのだろうか。どういう意味?と聞く前に後ろへ倒れこんだ臨也を、立ったまま眺める。純白のシーツに寝そべる黒い男はどう見てもこの部屋の汚れであり染みだ。染みは大きな溜め息をついてうつろに天井を見た。

「セックスとかひっぱたくとか、物理的な条件の方がまだよかったよ」

 セックスを物理条件と言いきったこの男に、私はなにを告白すればいいのだろう。確かに彼の言う通り私たちは詰んでいるのかもしれない。

「……私、実はこの前臨也に内緒で合コン行ったんだ」
「……そんなの、俺だって名前の知らないところで枕営業スレスレのことしてるからどうでもいいね」

 打ち明けあったところで部屋に変化は見られず、ただ互いの空気が不穏になっただけだった。脱出どころか、なんだかどんどん正解から遠のいているようだ。このままじゃ本当にここで一生を過ごすはめになる。途方に暮れる私をよそに、彼はうつぶせの状態で足を揺らしながらノートをペラペラと捲っていた。友人の家で漫画を読むがごとく緊張感のなさに苛々して、背中に飛びかかる。

「ちょ、重っ、セックスしたって開かないよ。ルールは唯一絶対のはずだ」
「するわけないでしょ!私ぶん殴るとかそういう方がよかった!」
「女を殴る趣味はないよ」
「私が日頃のうっぷんを晴らすんだよ!」
「こわいこわい」

 いまいち真剣味が感じとれない臨也にむくむくと疑念がわいてくる。もしかしてこれも全て臨也の手の内なのだろうか。◯◯しないと出られない部屋?そんなものがあってたまるか。茶番だ。

「開けてよ……こんなトイレもお風呂もない部屋これ以上いられない」
「泣くなよ、俺だって本当にどうしようもないんだから……」
「じゃあなんでそんな余裕なの」
「余裕なわけじゃ、ないけどね」

 シーツに手をついて背を起こした臨也は、先ほどとはすこし違う、けれどやはり複雑そうな顔をして私を見ていた。ないけど、なんなのだろう。異質な状況に慣れている彼と違い、さっきから手足の震えが止まらない私は一刻も早くこの場から逃げ出したかった。白すぎる部屋にだんだんと目眩がしてくる。夢と思いたいのにありありと感じてしまう羽毛布団の感触や自分の体温がおそろしくてしょうがない。震えをごまかすようにぎゅっと臨也の腕を握り、覚悟を決めた。

「すき」
「……」
「……です。臨也が好き。いつもちゃんと言えないけど、本当は大事に思ってる……ます」

 恐怖と羞恥心で情けなくうわずる声に、反応するよう部屋の光が一度ゆれた。光源がどこにあるのかはわからないけれど、張りついたような白が確かに変化を見せたのだ。でたらめに見える空間といえど、提示されたルールは確かのようだ。あとは臨也さえクリアすれば、終わるはずだ。

「……」
「……」
「……」
「……ハァ」
「言ってよ!?」

 ドギマギと待機していた私の顔を見つめ、こともあろうか彼は呆れたように溜め息をついた。私のなけなしの勇気やプライドを引きちぎりポイ捨てした臨也に今度は殺意がわいてくる。告白した人間を後悔させることにおいてこの男の右に出るものはいないだろう。再び白けたように明るくなった部屋の中以上に白けているのは私の恋心だ。悪びれもせず、臨也は溜め息を深くしてあぐらをかく。

「いっそ本当にする?俺も普段のテンションじゃ言えないし」
「言えないってなに、そんなの言葉にするだけでしょ。……言っても開かないのが怖いんじゃないの」
「……どういう意味?」
「そういう意味だよ」
「なるほど、そこまで信用されてないわけだ」

 本日の流れのどこに信用できる要素があったのかは不明だが、不本意そうに私を睨んでいるということは彼も興味のない女と付き合うほど物好きではないということか。少しだけほっとして、同時にまどろっこしさに悶々とした。カップル同士、ここまで楽な条件もないはずなのにこれだけ時間がかかるなんて神様だって予想外のはずだ。

「いいよ、しなきゃ言えないなら、私だって」
「……脱ぐな!バカなの?」
「だって臨也が素直じゃないから!」
「言えるわけないだろ、こんな誰に監視されてるかもわからない場所で」
「私は言ったのに!」
「だから呆れてるんだよ」
「もういい!」

 私の手を押さえつけた彼の手を振り払い、ベッドから下りる。人を考えなしの恥知らずのような言い方をする臨也の方こそ、いい歳をしたただの恥ずかしがり屋だ。何もない壁の方を向いて必死に涙を堪えていると、顔が熱くなる代わりに体がすうすうと冷え、くしゃみが出た。格好がつかない。ここに来るまでの経緯はなぜか思い出せないけれど、室内にいたのか私は妙に薄着だった。臨也の暖かそうなコートが羨ましい。

「はい」

 声がして振り向くと、臨也が照れ臭さからかなんなのか、完全なる無表情で私にコートを差し出していた。受け取ることをためらっていると面倒くさそうに肩にかけられる。至近距離で見上げれば、透明な顔のままで彼が言った。

「俺は人間を愛してるし、君のことも愛してるよ」

 それあり?私の頭に浮かんだのはその一言だったけれど、悲しきかなこの部屋には単語認識アプリ程度の機能しかないようで、先ほどと同じように部屋の明かりがゆらぎ始める。だんだんと明滅し、それにあわせて視界が歪んだ。膝をつく私を抱きとめるように臨也の腕が触れる。目眩に襲われているのは彼も同じのようだったけれど、珍しく私を庇うように強く抱き寄せていたので、この部屋の審査基準もあながち間違っていないのではと思えた。薄れる意識のはしで、彼が何かを言う。

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 羽毛布団の感触についさっきのことを思い出し、とっさに目を開けた。白どころか妙に彩度の低い色彩の寝室は、見慣れた彼の部屋だ。私一人しかいないことに胸騒ぎを感じながら階下へおりると、玄関のマットの上に部屋主が倒れているのを発見した。

「臨也」
「……ん、二日酔い」
「飲んでたの?」
「思い出せない、たしか露西亜寿司で」
「臨也、コートは?」
「……なくした」

 あちらの世界においてきてしまったのだろうか。と思った後で、あちらとはどこだったかと首をひねる。頭が痛いと唸る臨也を見て、私も目眩の名残のようなものを感じ、不思議と甘い気分になった。今日は二人で二度寝をしよう。なんだかいい夢が見られそうな気がする。

2015.6.18


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