晴れ歌


Find purpose, the means will follow.



 城の東はたしかに日当たりがよく、土も肥え畑をつくるにはもってこいだった。数日のうちに苗や種、そして農耕具を一揃え用意してくれたトオルとヤハバさんに感謝しながらも、これでは逆に贅沢を言って困らせているだけなのではと不安になる。ここからはなんとか自力で頑張って、彼らの生活に還元できたら良いと思った。「魔法でやったら?」と横から何度も聞いてきたトオルを制し、真っ黒になりながら土を耕す。そう広さがあるわけではないけれど、自給のため庭に設けていた家の畑と比べたら骨が折れる。

「せっかくドレス用意したのに、お前最近それしか着てないね」

 使用人用の作業着を干す私を見て、彼は苦笑していた。
 石造りのバルコニーに物干し竿を持ち込んだり、裏庭に敷き藁の束を積んだり、廊下に木桶を並べたりと、城は着々と生活感がにじみ始めている。魔法でスマートにこなす彼らと違い、人間が暮らしていくには見臭い努力が必要なのだ。彼もほかの住人も物珍しそうに眺めてはいたけれど、幸い非難されることはなく、ヤハバさんやキンダイチさんなどは進んで手伝いに来てくれたりもした。

「一人でやるには限界ありますよ。魔法使わないんで、手伝わせてください」
「なんか楽しいっスねこういうの」

 苗が根付き、新芽が出て、大きく育ち身を結ぶまで、幾晩も寝なければいけない。そんな地道さが彼らには新鮮のようで、日々成長する畑を見守ることをともに楽しんでくれている。一方でクニミさんやトオルは、よくやるなあと呑気に上から眺めていることが多かった。けれど最初の収穫で作ったスープを飲んだとき、彼は子どものように眉を下げ、泣きそうな顔をした。

「なんかよくわかんないけど、すごくおいしいね」

 昔とまったく同じことを言いながら、私の真意をうかがうように上目を使うので笑ってしまう。

「トオル、これ好きだったから」
「こうやって作られてたんだね。おいしいはずだよ」

「複雑な味がする」理由を彼なりに探し当てたようだった。おいしいというわりに進まない食事に心配していると、彼は一言「胸がつまって」とこぼす。私は困ってしまった。人にスープを作ってもらったのはあの山中での療養が初めてだったと、以前言っていたことを思い出す。
 人生二度目のスープを食べ終えるにはだいぶ時間を要したけれど、それ以来彼も畑の仕事に手ずから加わるようになった。慣れないみんなで作る不恰好で不揃いな野菜たちは、まるで私たちそのものだ。甘くて、苦くて、複雑だからこそ、おいしい。どこへ何をしに行っているのか、ぐったりと疲れて帰って来る夜には、彼は大抵野菜のスープを欲しがった。人間のための栄養が魔族にどれほど染みるのかはわからないけれど、味のレパートリーが増えたとヤハバさんは料理の腕が格段に上がった。クロさんはなぜだかお菓子をつくるのがとてもうまく、お茶のおともにとクッキーを焼いてくれたりした。「今まではヤローしかいなかったし、需要がないから隠してた」らしい。
 バルコニーにはシーツが揺れ、城からはいつもいい匂いがする。そんな暮らしをトオルはとても喜んで、寂しげに私を抱くことも、衝動的な怒りに苦しむことも随分減ってきたように思った。こんな生活がずっと続けばいいと、誰もが思っていた。

「どなたでしょうか……」

 けれど彼らがなぜここで暮らしているのか、どうしてこれほど穏やかなのか、そこには確かな理由があることを、私は常に自覚していなければいけなかったのだ。
 魔族が優しいのではない。彼らが優しいのだ。優しいからつまはじきにされ、追われ、逃げ、隠れているのだ。

 城の外に広がる蒼く深い森──そこから現れた一人の男は、鋭く重たい瞳をしていた。
 畑仕事に切りがつき、天気も怪しくなってきたため城へ引きあげようと思っていたときだ。トオルに似た大きなツノの下で、燃えるような目が光る。初めてトオルに組み敷かれたときに感じた圧倒的な畏怖を受け、私は一歩後ずさった。空が陰り、山を鳴らすように風の音がしている。

「オイカワはどこだ」

 低い声に問われたと、そう思ったときにはもう腕を掴まれていた。空気を歪ませるほどの圧力に力が抜けてしまいそうになる。答えられない私を一瞥し、彼はもう一方の手を私の首に添えた。殺されるのかもしれないと思った。しかし力を込められるより前に、彼の気は後方へうつる。

「クニミか。久しいな」
「……どうやって入ってきた」
「同等以上の力があれば結界くらいすぐに破れる。この女は奴のか」
「どうでしょう。何にせよ離してもらえますか。殺ったっていいことありませんよ」

 彼は飄々とした態度で応えていたけれど、神経が張り詰めていることはよくわかった。うっすらと額に汗が浮いている。

「ほら。いいことなんてない」

 ため息をついたクニミさんの後ろで空間がぐにゃりと曲がり、渦巻いた。周囲の空気は電流をはしらせたように細かく震えている。現れたトオルにほっとするよりも先に、私は心が締め付けられるのを感じた。束の間の穏やかさなどまるでなかったように、憎しみにまみれた顔をして彼が立っている。普段隠している鋭い爪が刃物のように指の先に並んでいた。二人の目はやはり同じ色をしている。

「失せろウシジマ」

 地を這うようなその声だけで身が切れてしまいそうだ。石や木っ端が浮き上がり、トオルの魔力に当てられた畑の植物たちが力をなくし枯れていくのが見えた。たった幾月かの時間で、彼の心が癒えたなどとどうして思ってしまったのだろう。私の足は完全に力を失い、今にも膝をついてしまいそうだ。無理矢理に腰を支えられているため、男の爪が肌に食い込んで仕方ない。

「離せ」
「やはりお前のか。お前は昔から人間が好きだったな」

 感情の読めない声でそう言うと、ウシジマと呼ばれた男は私の体をぞんざいにはねのけ足を進めた。見るからに臨戦態勢であるトオルに臆することなく悠然としている。私から手が離れた瞬間に彼へと襲い掛かったトオルは、すさまじい熱量をこめた右手を男の首に叩き込み、吠える。しかしすんでのところで手首を押さえられ、二人はしばし膠着した。

「無駄なことをするなオイカワ」
「無駄? お前を殺すことの何が無駄だ」
「お前に俺は殺せない」

 ぶつかりあう力に巻き込まれまいと、なんとか立ち上がりクニミさんの方へ逃げる。いつの間にか集まっていた城の住人たちは手を出すこともできず息を呑んでいる。

「どうして家を出た」

 男の発したその一言に、トオルの体は発熱するようどす黒い何かを放った。瞬間ウシジマは押され、後ろへ跳ね退く。負のエネルギーに包まれて爆発しそうになっている彼を見ていられない。もうこれ以上なにも言ってほしくなかった。けれど男は無遠慮に言葉をつむぐ。

「戻って来い。ここはお前のいるべき場所じゃない」

 敵意のない言葉が、彼の心を切り刻むのが見えるようだ。何もできない自分を無力に思う。彼が震えているのは、私たちを焼き殺さぬよう力を抑えているからだ。握り締めた拳の爪が、自らの手のひらを切り裂いている。いるべき場所がここでないなら、彼は生きる気などもうないのだと思う。


2017.2.28



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