Love the life you live.Live the life you love.
翌日はよく晴れていた。 彼はどこかへ出かけていたため、部屋で言葉のわからない本を眺めているのにも飽きた私は、彼のあつらえてくれた綺麗なドレスを身にまとい城内の散策にくりだした。昼間の彼は城を空けるか、執務室にこもりきって何かをしていることが多い。 名の知らぬ魔族の気配がするそこは恐ろしくもあったが、キンダイチと呼ばれた彼を見た限りここでの大王さまの地位は確固たるものであるらしい。以前クロさんも言っていたが、私の安全は保障されているようだ。部屋から出るなと言い渡されてはいないし、今はそれを信じるほかない。 そう思い、深呼吸をしながら角を曲がった。
「あ、お出かけスか」 「いえ……! 少し、散策を」
遭遇したのは黒い髪をした青年だった。昨日見た彼とは違う、いささか眠たそうな目をしたその人は、うろつく私を咎めることなく言う。
「そうですか。今からお部屋の掃除にあがろうと思ってたんですけど」 「掃除ですか、ありがとうございます」 「大王様、結構汚すでしょ」 「まあ多少」
とっさに礼を言うと、彼も軽く頭をさげた。適当にしておきますね、と言い残しすたすたと寝室の方へ去っていく。時間ならありあまるほどあるので、掃除くらいは自分でしたいのだがどうしたものか。耳の後ろから流れるように伸びている彼のツノを見送りながら、大王さまが帰ってきたら相談をしてみようと思った。 それにしても、彼らは一体どういう立場の者たちなのだろう。城であるとはいえ、ここは大王さまが勝手に建てた隠れ家のようなものではなかったのか。従者のように見えるが彼の出生を思えば謎である。
「付き合いは長いように感じるけど……」 「彼らは王家と昔から繋がりのあった魔族たちだよ」 「ああ」
独り言のつもりのつぶやきに返事が返ってきたため、つい自然と相槌をうってしまう。ぎょっとして向き直ると、そこには先ほどちらりと思い浮かべた男の姿があった。
「クロさん!」 「よお、ちょっとは慣れた?」 「あ、はい……少しは」 「つっても、君たち寝室にこもりっきりだもんね」
彼が呆れたように言うので、恥ずかしくなって下を向く。確かにここへ来てから、まだ寝所と風呂場と食堂にしか足を向けていない。あまりに生き物の欲に忠実な生活である。それを脱するためにこうして城をうろついているわけだが、私の望む場所にたどり着ける気がせず逡巡していたところだった。
「ええと、王家との繋がりっていうのは……」 「王家ってくらいだから家同士の繋がりは広いんだろうな。一族と折り合いの悪さを感じてた連中が、大王サマの健在を聞きつけてここへ集ったらしい」 「じゃあ、みなさん味方なんですね?」 「ああ。今は使用人みたいなことしてるけどみんなそれなりのお家柄らしいぜ。俺みたいな居候と違って、大王サマに忠誠を誓う家臣ってとこだな」
それを聞いてほっとした。自分たちの意思でここにいるのなら、大王さまの奔放な振る舞いに反感をもつこともないのだろう。それに普段の彼は面倒見が良く、家臣を充分尊重しているように見える。「ヤハバにもよろしく」と気遣いをみせていた彼の言葉を思い出し、クロさんに問う。
「ヤハバさんって、ご存知ですか?」 「ヤハバ? あいつがどうかした?」 「お料理を作ってくれているらしいんです。それで少し、相談をしたくて」 「そうそう、あいつああいうの上手いんだよな。今は階下の部屋にいると思うぜ。呼んでくる?」 「いえ、自分で行きます」
よしきた、と案内役をかってくれたクロさんのあとに続き、城の階段をいくつか降りる。いつも行く食堂を通り過ぎ、中央広間の立派なアーチレリーフをくぐり抜けると、その先に小さな厨房があった。
「うお、お姫さまじゃないですか」 「ようヤハバくん、姫さまからご指名みたいよ」
わざと恭しく私へ手のひらを向け、クロさんは笑う。からかわれているのはわかるが、彼には大変お世話になっているため言い返すことができない。
「姫なんてものじゃないんです。ヤハバさん、いつもありがとうございます。お料理おいしいです」 「ああ、どうも。人間向けの味付けってよくわかりませんが、あれでよければ何よりです」
彼は謙虚にそう言って人当たりのいい笑顔を浮かべた。ツノの形はみんな違う。彼のはくるりと丸みを帯びて、やわらかそうな髪の中に溶け込んでいる。優しい印象にほっとして、私は聞きたかったことを素直に口にできた。
「ご飯って、この厨房で作ってるんでしょうか」 「そうですよ。まとめて作って届けてます。て言っても、ここで飯食うのあなた方くらいなんですが」 「そうなんですか?」 「魔族ってべつに平気なんですよ。食わなくても」 「じゃあ食材って、町から仕入れているんですか?」 「そうですね。元から気が向いたときに作って振舞ってただけだから、食材は常備してなかったんです。人間が住むっていうから近頃は買い溜めてるけど……」
「町、行きたいんですか?」と聞きながら彼はツノを傾ける。彼の言う「町」が人間の町なのかそうでないのかはわからないが、興味はある。けれど今外へ出ることは大王さまが許さないだろう。
「いえ、菜園のようなものがあるのかと。町はずいぶん遠そうだし」 「遠いっすよ〜。俺の魔力だと丸一日かかりますね。菜園かあ……あったらいいんだけど」 「私もなにかお手伝いできたらと思って。魔族界の食材のことは疎いけれど、人間の野菜ならよく育てていたから」
ここで生きていくにあたって、自らの力で生活を営んでいるという実感が少しでも欲しかった。与えられたものばかり食い潰していたらきっと心が死んでしまう。鳥かごの中に囲われているようなきゅうくつな気持ちばかりが育ち、いつか彼らを憎んでしまうかもしれない。自分で選んだ場所と思うためにも、衣食住の管理は自分でしたいのだ。
「それなら城の東側を畑にしたらどうです? あそこは日当たりもいいし人間の食べ物も良く育つと思いますよ」 「……いいんですか?」 「俺らも困ってたところだし。人間って食べないと、それもいろんな成分を常に一定量ずつ補給しないと生命機能を保てないんでしょ? そんな繊細すぎる生き物の食生活を俺らに管理できるとは思えませんし」
思いの外とんとんと話が進み、彼は「俺からも大王様に言っておきますよ」と締めくくってくれた。ここにいる魔族たちはみな穏やかで優しい者ばかりだ。人の噂に聞く彼らとはまったく違っている。母親の言葉を思い出し、胸があたたかくなった。「いい人間がいるように、いい魔族がいる」違いなどないのかもしれない。「君はいい人間?」同時によみがえるのは幼い彼の問いかけだ。
「大王さま」
すっかり夜がふけてから戻って来た彼に声をかけると、彼は少し疲れた顔で振り返り、私を見た。
「ねえ、お前は家臣じゃないんだから名前で呼んでよ」 「トオル……さま?」 「さまもいらない」
彼の希望なら聞いてあげたいが、なんだか照れ臭くて私はあいまいに頷いた。私は今日あったことをおおまかに説明して、彼の顔をうかがう。大王さまは純粋に驚いているようだったけれど、とくべつ反対するわけでもなく頷いてくれた。
「じゃあ、苗を買ってこないとね。このあたり寒いけど、ちゃんと育つのかな」 「やってみる。種類を選べば平気だと思う」
城の中は不思議と寒さを感じないが、たしかに遠くの山裾にはもう雪が降り積もっている。冬に植えられるものを頭の中で模索しながら、布団の中で目を閉じる。 ほんのりと甘い香りがして、彼が香油を灯したのだと思った。ベッドの端が軋み、口づけが降ってくる。きっと彼の名を呼び慣れるまで、今日は寝かせてもらえないのだろう。
2016.2.28
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