Stay hungry. Stay foolish.
※R18
「そのドレス、よく似合ってる」
まともな衣服を身につけ、椅子とテーブルで食事をとるのは三日ぶりのことだった。彼は対面の席からにこにこと私を見つめ、満足げに首を傾けている。数日前とは打って変わり、なんの憂いも感じさせない悠々とした態度だ。 一方の私は使い慣れない銀の食器を両手に握りながら、皿の上のソースがスカートへ跳ねないよう気を遣うばかりで、彼の笑顔や料理の味を受け止める余裕もない。以前にも飲んだ不思議な香りのお茶が運ばれてくる頃になってようやく、私は今日口に運んだものの食材や料理名を答えることができないことに気付いた。私の作ったスープを、初めて飲んだ時の彼の言葉を思い出す。 魔族の衣食は人間と似ているようでどこか違う。彼の用意してくれた衣服はどれも驚くほど可憐で、今すぐにでも貴族の社交会へ飛び込めそうな美しいドレスばかりだ。華麗ではあるが華美すぎず、長く揺れる裾は細部まで装飾が施されているのに、着苦しさを感じさせない。なんの糸で編まれているのか、素材も染料もまるで想像がつかなかった。柔らかな生地は薄く光をまといながら、絶え間なく色彩をうつろわせている。
「気に入った?」
燭台の向こう側で、グラスを傾けながら彼は聞く。
「夜明けの湖で染めたんだ。波の色が綺麗に出てるだろ?」 「ありがとう、とっても素敵。けどその……普段はもう少し、こざっぱりしたものを着たいな」 「そう? 似合ってるのに」
長い晩餐机も豪華なドレスも、あまりに身に馴染みがなくかえって疲れてしまう。精一杯のもてなしは嬉しいが、長くここで暮らすのならはじめにある程度の意見を主張しないと大変なことになりそうだ。これからの城での寝食を思い描いたところで、今朝まで自分が置かれていた状況を思い出し、頬が熱くなった。
彼が村から戻ってきたあの晩、私は初めて彼に抱かれ、それから丸二日、シーツの波間で受け止めきれないほどの快楽と熱に溺れつづけた。 天蓋の外へ出たのは湯を浴びるために浴室へ通されたときのみで、しかしそれも彼と一緒だったため、息をつけたかといえば否である。心身とも、彼と深くつながれたことは私にとっても嬉しいことだ。夢中になって彼を受け止め、かけがえのない熱を触れあいの中で何度も見つけた。しかし私はそう頑丈とはいえない女で、体力に自信があるわけでもなく、おまけに全てが初めてだった。何度受け止めても尽きることない彼の欲は、人間の私にはいささか多大すぎた。
「気持ちいい?」
心と体を明け渡し、感覚器官のすべてを他人に掌握されるような不自由さにあえぐ中、彼の問いかけが耳に届く。初めて受け入れる痛みと苦しさの端に、どうしようもない快楽が潜んでいるのがわかった。それをほじくり出すよう執拗に刺激され、頭がおかしくなってしまいそうだ。私の上へ乗りあげる直前、彼は指の先から炎をだして小さな瓶に灯した。甘い香りが部屋に充満していて息苦しいほどだ。空気を欲して吸えば吸うほど、お腹の奥が甘く熟れていく。
「気持ちいいね」 「……っあ!」 「よかった。生娘でもうまく抱けるよう、街に下りて何度か試したんだ」
とんでもないことをさらりと言った彼に、何か返したいが途切れ途切れの声が漏れるばかりで言葉にならない。そんな都合で奪われた哀れな少女たちのことを思いながら、枕の端を握り締めた。 彼の言動が私の倫理観に当てはまらないのは、彼が魔族だからなのか、それとも彼個人に由来する破綻なのか。ハジメくんが目を覚ましたあの夜から、彼の中でなにかが変わったことは確かだったが、共感しえない言動が急になくなるわけではなく反応に困る。息を止めながらぎゅっと体を縮めると、彼は私の脇腹を大きな手で掴みながら腰を押しつけ、数度目の精液を放った。 魔族との間に子は宿るのだろうか。体を思うまま変えられていってしまうことが恐ろしく、縋るように見上げた。開ききった瞳孔と視線が合い、つながっている部分が情けなくこわばる。彼は支配欲と庇護欲の入り混じった雄の顔をしていた。先ほどまでの不安げな様子は一切なく、強く大きな生き物として私の上に君臨している。軽々とした手つきで私を持ち上げて、再び腰を動かし始めた彼にまた思考をかき消されていく。服を脱いだ彼は、服を着ているときよりもさらに美しく荘厳に見えた。自分の中がひきつれる痛みを、圧倒的な量の興奮物質が相殺していく。私の体はおかしくなってしまったのだろうか。恐怖と快楽が渾然一体となって心身を侵していた。
何度も意識を失いかけ、とうとう自分が何をしているのかも思い出せないくらい疲弊した頃合い、ふいに水の匂いと浮遊感につつまれて、瞼を上げた。貧しい私では本の中でしか知ることのない、石造りの水場が目にはいる。色とりどりのタイルがモザイク状に張られた瀟洒な浴室だった。少しだけ濁った湯の中には花とも草ともつかない植物の欠片が無数浮かんでおり、森の中で見つけた小さな湖のようだと思った。 青い匂いが鼻腔を抜け脳髄をやわらかく包む。彼は私をかかえたままゆっくりと湯に浸かり、幼子を産湯にあてるよう手足を撫でた。心地が良くてまた眠ってしまいそうになる。けれど、呼び覚ますように彼が私の濡れた肌を吸うので、内側からまたじわじわと潤ってどこもかしこも生ぬるい浴槽の中へ溶けてしまいそうだ。茶色の髪をしっとりと濡らした大王さまが、穏やかな目を私に向けている。夢の中のできごとのようだ。淡い光の中でどうしても思い出すことができず、彼の面影を追い続けていた夜がよみがえる。こうしてたどり着けてよかったと思う。ずっと覚えて、探し、迎えにきてくれたことが嬉しい。腕をのばし、ベッドの中で何度もしたように、彼のたくましい首にしがみつく。ちゃぷ、と音がなり二人の肌に波がうつ。
「夢みたいだ」
彼のまつげが濡れているのは篭る湿度のせいだろうか。肩のカーブに頬を沿わせ、目を閉じる。夢と現が混ざりながら私に呼びかけている。私には彼しかいない。彼には私しかいない。もう、離れることはできない。
◆
次に意識が戻ったとき私はやはり服を着ていなかったけれど、初めてここで目を覚ましたときと同じ薄いローブを羽織らされていた。薬湯に浸かったおかげか、じんわりとした疲労はあれどどこかが痛むということはない。 芳ばしい香りが鼻をくすぐり体を起こす。ベッドサイドの小机の上には、温かなスープと変わった形の果物が乗っていた。途端に空腹が抑えられなくなり、スプーンでひとさじ掬ってみる。なにかの穀物が溶け込んだそれは、薄い味のリゾットのようなもので、とても美味しかった。二口三口と口に含んだところでドアノブの下りる音がして、驚き振り返ると、一人の青年が立ちつくしていた。
「あ……目」 「……」 「覚めたんですね。これ、水、デス」
長身の青年はそう言ってガラスの水挿しを掲げ、ドンと力強く小机へ置いた。 思った以上に大きな音がたったことに本人も驚いたようで、申し訳なさそうに会釈をされる。私以上に緊張していることが伺える青年の頭からは、やはりツノが伸びていた。大王さまのような曲線をおびた大きなものではなく、若いカモシカのような控えめなものだ。それでもやはり、人間とは雰囲気が異なっている。どうコミュニケーションをとったものか迷い、結果、私は素直に思ったことを尋ねた。
「ええと、これ、あなたが……?」 「あ、ハイ、イイエ! 作ったのは俺じゃないです」 「そうなんですか。でもありがとうございます、すごく美味しいです」
そう言うと彼はもう一度会釈をして、そそくさと立ち去ろうとした。慌てて呼び止め、もう一つ、気になっていることを聞く。
「すみません、この果物はどうやって食べるんでしょう」 「えっ。あーそれは、ヘタのとこ押しながら裏返すとつるっとむけるので」 「え、ああ、え?」
手振りの通りしようとしてもうまくできず、苦戦していると彼の手が伸びてきて一つやってみせてくれた。おいしそうな果肉が皿へ落とされた拍子に視線を下げ、初めて、私は自分の格好が随分なものであることに思い至る。彼の挙動が落ち着かないのはそのためもあったのだろう。急激に恥ずかしくなって、はだけたローブの前をさっと合わせた。
「すすみません、なんだかずいぶんだらしのない格好で」 「いや、いえ、失礼しました……!」
互いにぺこぺこと謝りながらぎこちなく距離をとる。彼が再びドアに手を伸ばしたところで、それよりも早くノブが下がり、遠目から見ていた私にもわかるくらい大きく彼の肩が跳ねた。
「大王様……!」 「やあキンダイチ、ありがとうね」 「……ハイッ!」 「何をそんなに慌ててるの。べつにお前におかしな疑いをかけたりはしないよ」 「イエ! ハイ!」 「下がりな。ヤハバにもよろしく」
彼はもう一度大きな声で返事をして、やはり逃げるように部屋をあとにした。態度とは裏腹にえらく鋭い大王さまの目は、私から見ても少し怖い。
「部屋着が必要だね」
隣に腰かけた彼の指が、器用に果物をむいてゆく。蜜のしたたる指がふいにこちらへ伸びたかと思うと、唇をなぞり、そのまま口の中へ割り入ってきた。遊ぶよう舌に触られ、甘酸っぱい味が口内にひろがる。恥ずかしさに身を引こうとしたが、しっかりと肩を取りおさえられてしまった。
「甘いでしょ」 「ん」
ちぎった果肉をほおりこまれ、もうどれが指で、どれに歯を立てていいのかわからなくなってしまう。顎をつたう汁を彼がじりじりと舐めとるため、もはや自分の方が果実になって食べられているようだ。 仰向けに倒れた私に、大王さまが覆いかぶさる。瞳の奥が獰猛に光っているのを見て、またこのままぐずぐずに甘く剥かれてしまうのだと思った。舌と唇が肌をきつく吸っていく。私をむさぼる彼の口から荒い息がもれている。むせかえるほどの芳香だ。キスをするたびに舌が痺れた。
それから夕食のため、階下へ連れて行かれるまで、半日。 大変な思いをしてようやくこの食事にたどり着いたのだから、よく味わいたかったのに、けっきょく場の雰囲気に気圧されて寝室へ戻る頃にはへとへとになっていた。 夜着に着替え、窓にうつる月を眺める。また少し丸みを増しているが、近頃は朝と夜のくぎりが曖昧なため正確な暦がわからない。
「ナマエ」
遅れて階下から上がってきた大王さまが、私の背後に立ち、カーテンを閉めた。思わず身構えると、彼は笑いながら眉を下げる。 「大丈夫、もうしないよ。今夜はゆっくりおやすみ」
その言葉の通り、彼はベッドに入ると私の頭をかかえこみ、すぐに規則的な息を吐いた。大きな体に包まれて心臓の音を聞いていると自然と眠気がしのびよってくる。私は父親の顔を知らないけれど、一度は抱きあげられたことがあるかもしれない父の体温を思い出せそうだった。魔族と人間。違うところばかりが目についてしまうが、こうして静かに脈を刻み、ときにそれを乱しながら真摯に生きる一人の男であることに違いはない。 ここで生きる以上、彼の腕に守られて、愛され甘やかされ日々を送るのだ。とても幸せなことかもしれない。悩む必要なんてなんにもない。数日の間ですっかり絆された私は、安らかな睡魔に満たされながらも、あることを心に決め目を閉じた。
2016.6.24
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