「付き合ってる、だァ?」 とんがった眉毛を更に尖らせてそう言った俺の幼馴染は、長年の運動部経験により鍛えられたよく響く声帯の持ち主である。 「しーっ、静かに岩ちゃん。バレたら先生に迷惑かかるんだから」 「迷惑って、付き合ってることがすでに迷惑だろ」 彼はいつだって最もな叱咤で俺を叩くため、横にいると俺の精神はベコベコになってしまう。しかし結局のところ俺はその感覚が嫌いではないらしく、叩きどころによってはかえって補強されたりもするため、つまるところそう、彼は曲がりそうな俺の根性を叩き直してくれる鍛冶屋のような存在だった。一応言っておくがマゾではない。 「しょうがないじゃん、手出しちゃったし。ガキだけど責任くらいとるよ」 「ハァ!?なんだそりゃ、手ぇ出したって…………いつ、どこでだよ」 「なに気になるの?岩ちゃんえっちー。あ、でも学校でじゃないよ。家まで着いてって、えいって」 「えいってお前……」 「やったってことかよ?」と彼なりの小声で聞いてきた岩ちゃんにてへぺろと舌を出せば、九十パーセントの蔑みと十パーセントの羨望といった、彼にしては珍しい複雑な顔で睨まれたため鼻のあたりがくすぐったくなった。名字先生はみんなの清らかな夢であり、同時に下世話なオカズでもあるのだ。男子高校生の脳内に渦巻く甘えと支配欲を一身に受けていることに、当の本人はいまいち無自覚的だが。 「お前って、心底クズだなって思うけど、クズ過ぎてむしろ羨ましいとこあるわ」 「岩ちゃん褒めるなら潔く褒めよう!?」 「褒めてねえよ。羨ましいっつったけど、お前みたいになりたくは死んでもねーから」 「洒落た語順で貶めないでよ!」 呆れながらも未だ半信半疑の彼に、彼女とのことの成り行きと、流れ上おおみえを切ったはいいが今後に関して全くノープランであることを告げる。岩ちゃんは目を細めたり眉を顰めたりしながら聞いていたが、俺が「でも体の相性は上々」と結ぶと、耐えかねたようにボカリと殴ってきた。 「痛いな!」 「うるせえこれは俺のクラスの山やんの分だ!」 「ちょっ、だれ」 「そんでこれは五組の福本な」 「いたっ、ちょ、まっ」 「これはゾム吉。あと誰かいたかな……」 「なにが!」 「名字先生に惚れてる奴だよ」 「知らないね!そんなん指咥えて見てるのがいけないんじゃん!」 「教師に手なんて出さねえだろ普通」 岩ちゃんは俺を普通の高校生だと思ってたのかい?俺は百年に一度のスーパー高校生だよ。山やんや福本やゾム吉と一緒にされちゃ困る。つーかゾム吉って誰だよぜったい適当に作っただろ。 「でもお前、周り出し抜いた優越感とか無理ゲー攻略する達成感とか、そんな気持ちでやってんならマジで迷惑だからやめとけよ」 こうやってまた、俺の心をガンガンと叩き上げるプロである岩泉一は、痛いところに二撃三撃と打ち込んで、最後にリアルに俺の肩を小突いた。 「……そんなんじゃないよ」 「……」 「ほんとに、好き」 「……」 「なんだと思う」 「歯切れ悪ぃな」 「だってこの歳で!十八にしてそんなに自信もって誰かを愛してるなんて言える奴いる!?」 「あーあーわぁーったよ。お前なりにちゃんと考えてんならそれでいいんじゃねえ。頑張れ頑張れ」 「もっとちゃんと応援してよ!岩ちゃんに適当言われると俺不安になるんだから!」 「知るか独り立ちしろ」 彼は素っ気なくそう言うと、やれやれと溜息をついてスクールバッグを担ぎ直した。部活用のエナメルと比べずいぶんと小さなそれに、慣れるまで俺も少しばかりかかったがいつまでもセンチメンタルになっているわけにもいかない。彼の言うように高校を出たら互いに進む道も違うのだ。俺も幼馴染立ちをしなければいけない頃合いなのだろう。進路が違うからといって繋がりが切れるとは思わないが、エナメルを下ろした肩同様、しばらくはすーすーとした不在感に悩まされるのかもしれない。 様々な変化からあちこちに空いてしまった隙間を埋めるため、彼女に甘えたのだと言われれば否定はできなかった。でも決して、遊び感覚というわけではない。少なくとも、今は違う。彼女のいろいろな顔を見た今、その分だけ俺の気持ちも育っている。 「及川くん」 「ん?」 「んじゃなくて」 国語科教科室の空気はなんだかいつも霞むようにぼんやりとしていて、その端っこで藁半紙に囲まれる彼女は古い写真のようにノスタルジックに見えた。ので、つい確かめるように触れてしまう。 「卒業するまでもう何もしないって言ったよね?」 「だって先生まだ一ヶ月半もあるよ」 「あっという間って言ったのは及川くんでしょ。待てないなら待ってなくてもいいんだよ。他にいくらだっているでしょ」 背後から肩を抱いた俺に向けて静かにそう言うと、彼女は穴あけパンチでおそらく一クラス分だろうプリントの束に穴をあけ、トントンと角を揃えた。回転椅子がぎしりと鳴る。これくらいのスキンシップを意に介さないところから、彼女が日頃から多くの生徒にこうして絡まれていることが伺えむくむくと嫉妬心が芽生える。 「名前ちゃん、学校にいる時ほんと可愛くないよね」 「教師に可愛さを期待しないでください。あとちゃんと名字先生って呼びましょうね」 「……」 半分うわの空のような声でそう言った彼女は、一度裸を見せ合った仲である俺よりも目の前の穴あけパンチに夢中のようだ。同級生の女子を相手にしていてこんな屈辱を味わうことはまずない。金をもらい雇われている身なのだから当然かもしれないが、お金で買えない価値のある俺という貴重な存在を無視してまでやる作業とは思えなかった。穴あけパンチのレバーにぐっと体重をかけた彼女の右手を、それよりさらに強い力で掴み上げる。 「……!」 「先生ちょっと立って」 後ろを向いているうえ腰かけている彼女とじゃ、背丈が違いすぎて何もできやしない。椅子を半回転させ腕を引っ張り上げると、よろめく彼女を窓際まで連れて行き、窓の半分あたりまでカーテンを引いた。死角。いやらしい言葉だと思う。 「及川くん!私何もしないって言ったよね?」 「大丈夫大丈夫、俺が勝手にしてるんだから」 「何が大丈夫なの!?」 「先生はそこでせいぜい抵抗してなさい。へーき、俺の無理強いなら先生に責任はないよ」 「……あのね?私は及川くんに責任を負わせるのだって同じくらい嫌なん、」 「うるさいなあ!俺どんどん嬉しくなるからやめて!そういうの!」 「はあぁ?」 ごちゃごちゃとうるさいことを言われれば言われるほどすべて力づくで解決したくなるし、それはとても高揚感に溢れることだ。 彼女のこんな大人ぶった態度は俺にとって御馳走でしかないのだった。この前からうすうす気付いてはいたが、俺はどうやらほんの少しだけ、捻くれた性癖を隠し持っていたらしい。友人関係やスポーツへの姿勢においてマゾを疑われる俺だが、恋愛に関しては逆のようだった。女の子は従順であればあるほど可愛いと今まで無条件に考えていたけれど、こんな風に、抵抗や障害のもたらす摩擦が俺の男の部分を気持ちよくする可能性に気付いてしまった。年上という立場や、教師という属性はその摩擦をいいように煽る。子どもの火遊びだと彼女は呆れるだろうか。 小さな顎と細い肩を押さえつけながら唇を合わせ、あの時二人で感じた熱を彼女の中から探しだす。 今後のことはノープラン、とは言ったものの、自分が卒業までおとなしくしていられる気はハナからしていなかった。それは自分でもどうしようもないことだ。俺の性欲に関して俺が管理できることはとても少ない。 胸を必死に押し返す先生の指先の小ささが、シャツ越しに感じられて心地いい。ぎゅっと閉じられた目の端が赤く染まっているのを見て、せめて泣く前にやめようと中途半端な理性が働いた。入れていた舌を抜いて顔を離し、かがめていた首を持ち上げる。先生は泣きそうな顔で精一杯眉をつり上げて俺の体を突き飛ばすと、なぜか勢いよくカーテンに包まって、ずるずるとその中で座り込んだ。 「ば、ばか、うっ、人がきたら……っ」 「平気だよ。現国の西岡も古文の松田も授業中でしょ」 それくらいはリサーチ済みだ。保健室や多目的室と違い、ここは生徒や教師がイレギュラーにやって来る場所ではない。教師という立場を逆手にとったいい穴場だと思った。少なくとも、この時限が終わるまで国語科教科室は俺たち二人だけの空間だ。そう再認識したらしたで、ふっくらと光る彼女の美味しそうな唇が思い出され、ため息が出た。性欲で頭が白んでいくのを感じながら、繭の中に閉じこもった彼女を暴くためカーテンを剥いていく。 「やめ、やめなさい!やめて、ストップ!」 「やめてって名前ちゃんそこで暮らすつもり?怖いことしないから出ておいでよ」 「ばかばか及川くんもう本当怒るよ!ていうかもう怒ってるからね!嫌いになるから!」 「先生もうちょっと建設的なこと言えないの?」 国語の教師とは思えないほどに語彙の欠如がみられる彼女の、下からはみ出たストッキングの足首をがしりと掴む。尻尾を踏まれた犬のようにキャンと鳴いた先生が可愛くて、笑いを噛みころしながらわざとらしく声を潜めた。 「隣、数学の先生方いるんだから静かにしないと」 「うっ……もうやだ、こんな猛獣の相手毎日してたら死んじゃう……」 「平気だって、ちゃんと、卒業するまで俺が先生の貞操守るから」 「どの口がそんなこと言う!?」 いくら俺だって、さすがに学校でいたしたりはしない。たぶん。同級生が相手なら例え見つかっても厳重注意で済むだろうそれも、彼女の場合そうはいかない。リスクが高すぎる。しかしリスクが高いということはそれだけ燃えるということでもある。俺はそこまで考えて腹に力が入るような気になったが、軽く首を振り、親友の言葉を思い出した。あくまで俺は彼女を好いているのだから、迷惑のかけ度合いを間違ってはいけない。 ようやく握り込んでいた裾を離したのか、しゅるしゅると音を立て安っぽいナイロンの隙間から現れた先生に、「ごめんね」と謝りおでこを撫でた。 彼女が俺に振り回されればされるほどに同情心が増し、彼女を守らなければと強く思う。……ほんの少し、と思っていたが俺はわりかし、いやかなり、拗らせてしまっているのかもしれない。 彼女は諦めたような顔でしばらくぼんやりと俺を見上げた後、小さな声で「穴あけパンチ……」と言った。しょうがないな、残りは俺がやってあげよう。 俺はその日藁半紙を数えるスキルがだいぶ上がったが、翌日発令された『及川徹教科室立ち入り禁止令』により、その後役立つことはなかった。 2014.11.2 |