霖雨
01
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低気圧が頭を締め付けている。だらだらと降り続く長雨に、心まで水を含んでしまっているようで動きが鈍い。
「バレー部はいいね。雨降ってもできて」
「体育館が狭くなるから、あんまりよくないけどね」
バレーボールを手のひらで一度だけバウンドさせ、ほがらかに笑った彼の性格が、見た目ほど良くないことは知っている。しかしこの顔にこの身長、加えてバレー部の主将兼名セッターというスペックなのだからきゃあきゃあともて囃されるのも仕方がない。
「だからこうやって、邪魔にならないように隅っこでストレッチしてるんでしょ」
「うんうん、大変だよねえ陸上部さん」
にこにこと私を見下ろす及川に感じるのは漠然としたモヤつきで、私の心はますます湿度を増していく。室内履きの靴紐をきつめに結び、下から睨みつければ、彼は少し慌てながら「えっなんで怒ってんの」と聞いた。別に怒っているわけではない。ただ、なんとなく、なんとも言えず、納得がいかないだけだ。ため息をついて、がくりと頭を垂れた。
「……体の調子が悪い」
「平気? 保健室行ったら?」
「そうじゃなくて、なんか」
「……ああ、そっち?」
そっちとはどっちだろう。目を瞑り、上から降る及川の声と、そこらで鳴る靴底の音を聞いていた。が、なんだか誤解されているかもしれないと気付き、首を振った。ふやけた脳みそが頭蓋骨の中でしんしんと音を立てる。
「ち、違うよバカ。雨ばっかで死にそうってだけ」
「あそう? てか死にそうってなにさ。大丈夫なの?」
「だってここ一週間ずっと室内練でさ……。私、外で走れない日が三日続くと夜寝れなくなるんだよ」
「なにそれ犬じゃん! どんだけ体力有り余ってんの」
涼しい顔でそう言う及川こそ、バレー馬鹿を絵に描いたような生活を送っているのだから人のことは言えないはずだ。軽口を叩く及川の顔は、さっきまでのニヤけた色男面から普通の男子のようなガキっぽいものに変わっている。なんだかわからないが、それを見て私の心は少し晴れた。彼の性格がしょうもないものであることを、私たち一部の運動部員はなんとなくわかっている。べつに女子相手に猫をかぶっているわけではないのだろうが、現実としてそこにある彼の性格より、顔からくるイメージが先行するということはあるようだ。イケメンの一人歩きである。
「及川だって似たようなもんでしょ」
「そんなことないよー? 俺は青春を謳歌してるからね」
「彼女と別れたくせに」
「げ、誰から……岩ちゃん? 岩ちゃんか?」
及川が誰かと別れたとか、及川が誰かと付き合ったとか、そんなことはよくある話なのでどちらかを言っておけば当たる。それだけ彼がモテるということだし、それだけ彼が恋愛に向いていないということでもある。東北屈指のマルチプレーヤーにも苦手な分野はあるようだった。
「欲求不満、同士だね」
「なにそれ」
「及川は振られたし、私は走れないし。もうなんかこう、むらむらしちゃってしょうがない……」
「女の子がむらむらとか言わない。……まあでも、欲求不満、かァ」
バツンバツンとリズムよく床にボールを打ちつける彼から、これといった不満は見て取れなかった。むしろボールに乗せて欲求を発散しつくして、後は帰って食べて寝るだけです、といった清々しさを感じる。
「……だから振られるんだよ、及川」
「君に言われたくないよね。原っぱかけ回り系女子の名字ちゃん」
彼はバカにするようにそう言うと、ネットの向こうからこちらを睨んでいるチームメイトに「サボってないって」と笑いボールを放った。私は体育館の端に座り込んだままストレッチの続きに戻る。なまった体に少しずつ酸素を送れば、ふやけた頭もいくらか引き締まった。前屈をしながら覗き見た逆さまの世界に、サーブを打つ及川の姿が映り込む。
たしかに彼はかっこいいのかもしれないと、唐突に思った。私の体に宿る欲求が、この先、例えばかっこいい及川に向くことはあるだろうか。想像してみてもいまいちピンとこないため、私はまだしばらく原っぱかけ回り系女子でいるしかないようだ。
体育館はバレーボールの湿った皮の匂いに満ちている。グラウンドの乾いた埃臭さが懐かしくなり、目を閉じた。彼の綺麗なモーションがまぶたの裏を走っていく。
2014.5.22