タータントラック


気団
14

※前半オリキャラ(夢主友人)視点


「ゆう子」
「……」
「あのね、お嫁に、行けない事案が」

 昼休みの教室でもごもごとそう言った名前に、何の言葉も返さずただ眺めていると、彼女は助けを求めるように私を見つめ返した。今にも泣き出しそうな名前の表情に少し引いて、「お嫁に行けないなら婿養子でも取れば?」と言えば彼女はその手があったかと目を見開く。この子はバカなのかもしれない。

「どしたの」

 優しい私は結局そう尋ねてやる。しかし最近の流れから考えて、おそらく及川くんとキスをしたとか、その勢いで告白してしまったとか、そんなところだろう。

「キス、しちゃって」
「……」
「しかも、勢いで好きって言っちゃったし……」
「あ、そう」

 テンションをぶらさずに相槌を打つと、名前は恨めしげに眉を下げる。なんだかいじめたくなって「舌入れられた?」と聞いてやれば彼女はおかしな声を出しながら壁に張り付いた。怖い。

「やめて!やめてよお」
「ちょ、あんたがやめて」

 なぜか私の両手を掴みこちらに体重を預けてきた名前としばらく謎の取っ組み合いになり、周囲の男子に「喧嘩すんなよ」とたしなめられる。

「そんなわけないじゃん!」
「なんだ。ならいいじゃん」
「やめて、想像しただけで舌かみ千切りそうになる!」
「大げさだな。むっつり」
「ちがうもん!」

 小学校の頃から色恋より運動と、男の子のような生活を送ってきた名前だが、彼女自身には男兄弟がいるわけでもなくおそらくそういった免疫力はゼロだ。そんな子に、女慣れした及川くんのような男がこれから好き放題さまざまなことを教えていくと思うと、親心のような感情で胸が痛くなる。もし中途半端なことをするようなら、及川くんといえどグーパンは辞さない。

「……及川、なんか慣れてた」
「そりゃ慣れるでしょ。あれだけモテれば」
「うん。別に……いいんだけど」

 名前は教卓に寄りかかり、汚れた黒板にするすると指を滑らせた。経験値の差はこの際仕方がないと思う。問題は、彼女がどれだけ男子高校生の生態を受け入れられるかだ。

「……恥ずかしいな。私なんでも、初めてだし」

 それをハンデだと思っているところが名前のバカなところだと思う。同じセリフを及川くんの前で軽はずみに発さない方がいいと伝えるべきか否か。

「もうさっさとやられちゃいなよ」
「そ、や……やだよ! 絶対いや!」
「いやって、好きなんでしょ?」
「でも無理! 一生無理!」
「……一生ちゅーだけで満足してくれる男なんていないからね?」
「……」

 ぐっと言葉を詰まらせた名前に追い打ちをかけるように「夏は元気になるしねーみんな」と言えば、彼女は開き直ったように余裕の表情をつくり手のひらをぱっぱと払った。

「大丈夫。そもそも、まだ付き合ってないし」
「そうなの!?」
「うん」
「なんで? はやくハッキリさせなよ。及川くんモテるんだからすぐ別の子のとこいっちゃうよ?」
「……平気だよ」

 名前は少し言いよどみながらも、まっすぐな目で首を振ったためじれったさが限界を超える。お節介とわかっていてもマイペースな友人の背中を押して押してゴールラインを割らせたくてしょうがない。

「どーだろーねー」
「及川、待ってくれるもん」
「あまいよ。はやく付き合いなよ。そんでやらせてあげなよ」
「や、やだってば!」
「かわいそー、及川くん欲求不満」
「そんなことないもん!及川は、及川は……」
「俺がどーしたの?」

 突如背後からご本人様が登場したのには、さすがの私もびっくりした。彼は弁当の包みをぷらぷらとぶら下げながら、教室のドアから顔を覗かせている。
 さっきまでうるさかった名前は彼の名前を呼んだ口のまま固まっていた。振り返りもせず顔色だけを変えていたが、動揺のあまり右足が教壇から落ち、一時停止がとける。

「お昼もう食べたの?早いね。あれ、なんか名前ちゃん、髪汚れてる、チョーク?」

 何の気なしに近づいてくる彼も彼だと思った。及川くんはためらいなく歩み寄ると、後ろから彼女の頭へ手を伸ばした。とっさに振り向いた名前は首をすくめキュッと目を閉じている。まるで噛み付く前の犬のようだ。

「や、やだあ……!」

 これを反射というのだろう。構造的な思考の伴わない彼女の両手がクロスカウンターのように彼の手をすり抜け、胸板に直撃する。ぐふっ、とよろめいた彼の脇を駆け抜けて、名前は一目散に教室を飛び出していった。こんな光景は前にも見た気がした。

「俺いま何かした!?」

 岩泉くんが相変わらず冷たい目で及川くんを眺めている。私は少し、発破をかけすぎてしまったことを反省した。







 弁当だけではいまいち足りず、売店でパンを買い教室へと戻る。ガタガタと椅子を引きながらため息をつくと、飲み終わった紙パックを潰していた岩ちゃんが顔を上げた。

「岩ちゃん……俺、名前ちゃんに怖がられてる気がするよ」
「気がするじゃなくて怖がられてるだろ、完全に」
「なんで!? この前むりやりちゅーしたから?」
「お前……」

 彼は部屋に入ってきた羽虫を眺めるような顔で俺を見て、駆除とばかりにバレーボールを探そうとしたが今が部活中でないことを思い出したのか手持ち無沙汰に拳を握りしめた。

「犯罪は犯すなっていっただろうが!」
「は、犯罪ではないよギリ! 嫌じゃないって言ってたし!」
「……」
「舌とか入れてないし」
「知らねーよ、どうでもいい情報よこしてくんな!」

 うんざりした顔でそっぽを向く我が幼馴染は、認めたくないがおそらく大学に入ったらモテはじめるタイプだと思う。今だって身近な女子にはそれなりの好意を向けてもらっているのに、鈍感なのか確信犯なのか、バレー、学業、休息という小学校から続く生活スタイルを崩そうとしない。俺がどうとは言わないが、彼はおそらく相手が身近であればあるほど好かれるタイプだ。女の子と付き合ったらさぞ大事にすることだろう。

「大事にしたいとは思ってるんだよ、俺だって」
「そーかよ」
「でもぶっちゃけ、おあずけくらった犬の気分でどうしよもない。待つっていつまでかな?いつまでだと思う?岩ちゃん」
「だから知らねーよ! うるせえ! 女子か!」

 岩ちゃんは一番身近な俺にだけはなぜか優しくない。つれない相棒に痺れを切らし反対側に目を向けると、マッキーはスマホをいじりながら「取り込み中でーす」と言った。椅子に沈み込みながらパズルゲームに勤しんでいる。その向こうの松っつんは、すでに机に突っ伏して眠っていた。意識を失うほど俺の話に興味がないのだろうか。チームメイトとの信頼関係が些か心配になる。毎日一緒に弁当を食べるわけではないが、「バレー部が集まると狭い」とクラスメイトに言われて以来、つるむ時は中庭や空き教室を使うため他に話を聞いてくれそうな人は見当たらなかった。

「部活のあと金田一でも捕まえれば」
「あ、そうだね、あの子律儀に相槌打ってくれそうだよね」
「やめとけ、パワハラだぞ」
「国見がおすすめ」
「国見ちゃん絶対五秒くらいで寝るでしょ!」
「家でインコにでも話しとけよ」
「なにそれ飼ってないよ!」

  結局、このバレー馬鹿どもからいいアドバイスは得られそうにない。かと言って、自分だって今までうまい恋愛をしてきたわけでもなくバレー馬鹿に変わりはないので、この先どうすればいいのかはよくわからなかった。
 とりあえず、襲いかからないように気を付けることが第一だ。自分が性欲を持て余した健康な男子高校生だという自覚はある。


2014.7.3


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