宵口
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「及川、校庭で女の子泣かせてたんだって?」
基本的に定休日である月曜日に、ふらふらと部室に集まりはじめるバレー部員たちが他に対した趣味を持っていないことは俺も知っているが、マッキーはなかなかクールな顔をしているんだから彼女の一人や二人作ればいいと昔から思っている。
「うっ……なんで知ってんのマッキー」
「みんな知ってるんじゃない? うちの主将さんは大人気だから」
青城の誇るウィングスパイカーはニヤリと笑いロッカーを開けた。俺は脱ぎかけていたワイシャツをさっさと肌から引きはがすと、自分のロッカーを覗き込み綺麗なTシャツがないか探す。
「違うんだって、べつに俺が泣かしたわけじゃなくてね? ……なんていうか、話してるうちに泣いちゃっただけで、むしろ俺は慰めてたっていうか……」
「女泣かすやつはみんなそう言うよ」
「及川おまえ最低だな」
「及川さんまた彼女泣かせたんですか。デリカシーないんだから気を付けた方がいいですよ」
「なんでうちの部員はこんな厳しいの!? 俺のプライベートに対して!」
たしかに俺は女性関係に真面目な方ではないが、今回に限っては濡れ衣だと訴えたかった。しかし何を言っても追撃されそうだったので仕方なく口を噤む。ハンガーから落ちてよれてしまっているTシャツを拾い上げ、わしわしと着込んだ。
「そりゃお前の日頃の行いのせいだろ。この前お前が出待ちの女子シカトしたせいで、溝口コーチまで絡まれて大変だったんだぞ」
「しょうがないじゃん! 決勝の後は相手する気分じゃなかったし!」
「だったらいつもヘラヘラすんな自業自得だろが」
「岩ちゃんひがみみっともない! 青城ジャージの色いまいち着こなせてない癖に!」
「あぁ!?」
背中にボールが飛んで来る前にと、一足先に部室を出る。夕方まで自主練をして、夜は改めて試合のDVDを振り返ろうと考えながら、ふとグラウンドに目を移した。陸上部をはじめとして、どことなくグラウンドに散らばる運動部員たちは活気がないように見える。きっとどこも三年生が抜けたばかりで、まだ不在感が強いのだ。一部の球技を除いて初夏は世代交代の季節だ。変化した部員たちの心や体に、景色がうまく馴染めずにいる。トラックの内側にたむろする彼らの背中は何とも言えないいずさを放っていた。名前の姿はない。
「及川、スパイク練つきあえ」
「あ、うん。岩ちゃん今日俺んちで決勝のDVD見ない?」
「……いや、いーわ。一人で見る。後で回して」
「あそう?」
「……お前、なんだかんだメンタル強いよな」
彼はそう言って、少し珍しい顔で俺を見た。たしかに自分たちが惜敗した試合をこのタイミングで見るのはあまり快いものではない。でもそれにより自分のすべきことがハッキリするならかえって開き直れるとも思う。
「だてに昔っから怪物と天才に挟まれてないよ。やれることがあるのは喜ぶべきだ」
「……そうだな。まあどっちにしろ今日は行けねーから、おばさんによろしく」
「最近岩ちゃん来ないって寂しがってるよー?」
お互いにこの先の進路を考えていないわけではないが、特に口に出して伝えてもいない。もしかしたら、いやおそらく高確率で、岩ちゃんにトスを上げられるのもあと僅かなのだろう。ずいぶん長いことチームメイトとしてやってきた。俺にとって彼はバレーというスポーツの一部だ。それを失った時、もしくは高校の部活という特別な空間を出た後、俺はどのようにバレーボールと向き合っていくのだろう。
「オイ、目の前にまだやることあんだろ? センチメンタルになってる暇ねえぞ」
「……そうだね。わかってるって。てか岩ちゃん、センチメンタルなんて言葉知ってたんだね」
いつもより強めの喝を背中にくらい、雑念がいい具合に飛んだ俺は足元のボールを握りしめる。手に馴染むこの感覚。よし、まだやれる。
「一本」
ジャージを脱いだ三年生たちが、すでに汗ばむ額を拭っていた。まだやれる。まだいける。俺たちに残された時間はあと僅かだ。
*
なんだかんだと熱が入り、自主練を終えたのはいつもとさほど変わらない時間だった。部室に戻り汗だくのTシャツを着替え、制服をエナメルバッグに詰め込み、帰路につく。家まではそうかからないが、なんだか空腹でしょうがなかった。食べても食べても腹がへるのはのはなぜだろう。成長期もひと段落して背だってそろそろ伸び止まるのに、動いているせいか代謝が良すぎて燃費が悪い。近所の売店で牛乳パンでも買おうと思った。
頭を下げる後輩たちに手を振り、部室棟から校舎の脇へと抜ける。口の中で鼻歌をかみころしながら校門の手前まで来たところで、後ろから声をかけられた。
「及川」
「……名前ちゃん」
彼女は少しバツの悪そうな顔で俺を見つめ「おつかれ」と口を動かした。部活には出ていなかったはずなのに、こんな時間まで何をしていたのだろう。
「この前は……あの、ありがとう」
「あー……うん」
「なんかね、放課後、すぐ帰るの慣れなくて」
「……」
「教室でぼんやりしてたら夜になってた」
おいおい大丈夫かこの子は、と思ったが、なんとなく照れ臭そうな彼女の顔はこの前のような貼り付けた表情ではなく、むしろこれでもかというほど精一杯な感じだったので頭をわしゃわしゃとかき混ぜてやりたい気持ちになった。
向かい合う俺たち二人を、下校する生徒たちが横目で見ているのがわかったため、どちらからともなく校舎の影へと寄る。名前は教師用の昇降口からひょいと校内へ入ると、そのまま奥へ進み大きなガラス窓からグラウンドを眺めた。
俺も後ろへ立ち、外を見る。校内は消灯をすでに終え、事務室の明かりが一つ静かに灯るのみだ。
「なんか、変な噂に……」
「え?」
「なってなかった?この前、及川慰めてくれたのに」
「あー、大丈夫ダヨ……」
「ほんと? 私、なんか及川に振られたとかいう噂たっててビックリしたよ。べつに付き合ってもないのにね」
無邪気に笑う名前に、呑気な顔しやがってとまたムラムラしたが、「あ、そう」と受け流し腕を組んだ。不思議と空腹は遠のいている。
「バレー部は、まだ引退じゃないんだね」
高飛びマットやハードルを順々に片付けていく後輩たちを眺めながら、名前は小さく呟いた。部活中と違い、髪をおろしている名前はこんな場所で見るとすごく小さく見える。活発な印象がなりを潜め、なんとなく文学的な雰囲気がまさっていた。
「名前ちゃん、今のきみに言うことじゃないかもしれないけど……」
「ん?」
「俺たちは春高にかけてる」
タイル張りの昇降口にこんもりと響く俺の言葉は、なんだか他人の声のように聞こえた。
「俺たちも負けたよ。でも次は絶対勝つ。勝てるか勝てないかなんて考えてもしょうがない。ただ勝ちたい。もう負けたくないし」
「……うん」
「……俺はまだ、ギリギリの場所でバレーやってたいって思うよ。頭くることいっぱいあるけど、この先もきっと、自分が一番傷つく場所でバレー続けるんだと思う」
「……」
「名前。俺ずっと、バレーに関しては小学生のままなんだよね。……名前ちゃんは?」
隣に立ち、視線を彼女の横顔へと向けた。名前は外をまっすぐ眺めたまま、少し眠そうに目を細める。
「及川。今日ね、窓からずっと下眺めてて」
「うん」
「走りたいなあって」
こちらを見上げ、彼女は少し眉を下げた。かわいらしい笑い方だと思った。名前らしい、まじりけのない、あったかい笑顔だ。
「そればっか考えてた」
「うん」
「私好きみたい。走るの。何にも、なくても」
「うん」
たまらなくなって、手のひらを彼女の頭に乗せ、ゆするようにごわごわと動かす。
「知ってるよ。原っぱかけ回り系女子の名前ちゃん」
名前は俺の手につられよたよたとよろめき、手のひらをはがそうと頭上に触れた。彼女の頭は俺の手の内にすっぽりとおさまっている。抗議の目で見上げてきたので、そのまま後頭部へと指を滑らせ、結いあとの残る髪をすいた。
来賓用の下駄箱に手をつき、澄んだ目を一度見つめる。彼女が何かを言う前にキスをした。
疲れをにじませた運動部員たちの笑い声が遠くから聞こえてくる。動けない名前の肩を撫で、二回三回と繰り返す俺を煽るように事務室の明かりが消えた。
空腹はもうどこかへいってしまっている。
2014.6.24