エラーメーラー


Re2:



 本当のところ、動揺しているのは俺の方だった。
 見たこともない膝上のシフォンに身を包んだ彼女を会場の端で見つけた時、俺は頭の血がどこかへ吸い取られていくような脱力感を感じた。なんとしても自分の方からコンタクトを取らねば、と思った。後手に回ってはいけない。

「……っ、いざや……!?」
「シッ、騒ぐなよ」
「…………な……にして」
「君こそこんなところで何してるの。そんな履きなれないヒールなんか履いちゃってさ。明日脛つるよ」
「わ、あ……私は……べ、つにヒールくらい履くしたまに!」
「ふーん。まあ何でもいいけど。俺仕事で来てるんだからさ、あんまり周りうろちょろしないでね」

 酷い別れ方をした自覚はあるが、話してしまえば拍子抜けするほどいつも通りだ。トイレから出てきた彼女の腕を掴み、広間とは逆の角に引っ張った。パンプスの細いヒールがホテルの絨毯をたしたしと踏み、止まる。自分とのデートでもしたことないような格好を、こんなくだらない付き合いでするなんて馬鹿らしいと思った。昔の女を綺麗になった、なんて思いたくはないが、きっちりと上げられた後ろ髪はあどけなさが抜け知らない女のようだ。乱してやりたい。

 言い訳を含め、いろいろと言いたいことはあったがこんなところで痴話喧嘩をはじめても俺のイメージが狂うだけなので、最低限の言葉だけで背を向ける。彼女だって自分で言ったとおり、仕事の場で隙を見せることは避けたいだろう。
 と、思ったのに、無能な司会が進行をダレさせたせいか、後半暇を持て余した彼女はあからさまに俺に絡んできた。上司は部下の手綱くらいしっかりと握っておいてほしい。話し下手な彼女はシャンパンを長時間飲み続けていたせいか、いくらか酔いが回っていた。顔に出ないため周囲は気付かないかもしれないが、俺にはわかる。
 やってられないと思い、俺もウェイターを呼び止めた。それがいけなかった。心の何かが切れたのか、ぐいぐいとこちらに掴みかかってきた彼女に取り急ぎ、メールアドレスを渡していなす。嘘のアドレスを書いても良かったが、とっさにそうしなかったのは俺の深層心理が関係しているのだと思う。

 彼女は突如行方をくらませた俺に愕然としたかもしれないが、離れようと決めた俺にだってそれなりの葛藤や逡巡があった。当時の俺はそのダメージと向き合うのが嫌で、逃げるように彼女の面影を消そうと務めた。それでもたまに夢をみた。わかりやすい淫夢のようなものなら単なる欲求不満と切り捨てることもできたが、そんな時にみるのは大抵彼女と彼女の部屋でただテレビを見ているというような夢だったため、寝起きの気分は最低だった。俺は夢の中で彼女のいる何気ない風景を日常と思うことで、彼女を捨てた自分を全力で否定していたのだと思う。
 日々自分を包む高揚や愉悦の隙間でそんな落とし穴に嵌る瞬間が怖く、寝酒を煽ることなども試したが、酒を飲むとますます人恋しくなるためすぐにやめた。とにかく、俺は俺なりに大変だったのだ。

 一瞬で記憶した彼女の電話番号が何度も頭の中で反芻される。自分の記憶力が恨めしかった。消せない数字を頭の裏側に回し、仕事の事案を表層意識に浮かべた途端、ポンと携帯がなり淡く光った。直感的に、なんだか懐かしい光り方だと思った。自分の直感が鋭いことをまた恨めしく思う。回転椅子から背を起こし、のろのろとロック画面をスライドさせた。

 それは案の定、彼女からのメールだった。内容は俺の近況、健康状態、精神の安定を問うものだった。昔の恋人というよりは離れて暮らす母親のようだ。関係を断った俺を責める内容はなく、これからの関係を迫る言葉もなかった。少しだけ安心し、少しだけ物足りなく思う。最後に記された「相変わらず」という一文を最大限都合良く解釈したくなる。彼女は今も俺を好きなのだろうか。馬鹿らしくて情けない願望だ。

 俺はメーラーの明かりを一度落とし、デスクのセラミックにパタリと伏せた。思考をほぐすように目頭を両人差し指で軽くさする。鼻から一度息を吐き、コーヒーを一口飲んだ。再びスマートフォンを手に取りソファーへと移動してから、だらしない姿勢でしばらくの間グダグダとし、彼女への返答を考えた。しかしいくら考えてもリアルな言葉が生まれてこなかったため、とりあえず書き出してみることにした。


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宛先:名字名前
差出人:折原臨也
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Re:
200×年9月5日 22:45
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久しぶり。
相変わらずマヌケな顔で毎日を
送ってるみたいだね。俺は┃

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 駄目だ。出だしからつまずいて全て消す。息をするように喧嘩を売ってしまう自分の性分にうんざりした。俺が離れる前に彼女から離れていかなかったことは奇跡に近い。
 だらしない姿勢を正し、もう一度キーパッドをフリックした。

続く/

2014.8.29


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