オトメ無理ゲー!学園LUCCA
長い廊下を駆け抜けて、金属製のドアを勢いよく開く。
「先生、匿ってください!」
「保健室は秘密基地じゃねえ。遊びなら出てけ」
高杉先生はすげなく言い、しっしと手のひらを振った。脱力した手の甲と長い指がなんだか色っぽいと思ったが、見とれている場合ではない。
「嘘です、熱がありそうなんです。体温計貸してください」
「教師に嘘を吐くような生徒に貸す体温計はねえ」
「先生ぇ……!」
「なんなんだ」
呆れながらもう一度降ろうとしたその手を掴み、迫る。
「追われてるんです!」
「へえ、食い逃げでもしたか?」
「アホですか!とにかくベッド貸して!」
「教師にアホ言うな。別に昼休みの間貸してもいいが、俺は空けるぞ」
「えっ、先生いなくなっちゃうの?」
「職員室に用があんだよ」
「それじゃあ意味ない……」
学園の剃刀、高杉先生という用心棒が付いていないなら保健室など安全でもなんでもない。むしろ死角を作りやすい分危険である。
「学園の剃刀ってなんだ。おかしな二つ名を付けるな。……まあよくわからねえが、そんなにアレなら早退するか?」
高杉先生はそう言って机の引き出しから早退届けを一枚出した。こんな紙っぺら記入して届け出たところで、帰路を襲われるのがオチである。下校するよりは校内にいる方がまだ安全だ。この学園には剃刀高杉先生以外にも頼れる人物が何人かいる。
「剃刀やめろ」
「また来ます」
「もう来んな」
私は一応早退届けを受け取ると、おそるおそる保健室のドアを開けた。
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右よし左よし、後ろよし。
背後に怪しい人影がないことを確認し、私は前を向く。
「やあ先輩」
「ぎゃふ!!」
「……どうしたんですか、脚気のアヒルみたいな歩き方して。トイレですか」
「違うよ!臨也くん、いきなりびっくりさせないでよ……!」
「びっくりもなにも、正面から声かけただけじゃないですか」
やたらと一人で校内をうろついては、法則性なしにからんでくる謎の後輩、折原臨也。彼は今日も敬語の意味がないくらいに失礼なことを言いながらニヤニヤとしていた。
「悪いけど、いま臨也くんと話してる暇ないから」
「二年通って、まだトイレの場所も覚えられないんですか?」
「だからトイレじゃないってば……!」
こんなに腹の立つ話があるだろうか。狂気の人間から逃げているだけの私が、正気を疑われるなんて。
「そんなに焦って、まさか保健室で高杉先生と逢引でもしてたんじゃ……」
「私があの剃刀男の相手なんてできるわけないでしょう。身が切れるわ」
「確かに。じゃあもしかして、誰かに追われてるとか?」
「し、知ってるの?」
「舐めないで貰いたいですね。俺はこの学園のことは何でも……知ってるわけじゃないけど、それくらいはまあ知ってます」
「じゃあ!」
「助けませんけどね」
「だと思った!」
「アドバイスくらいはくれてやりましょう。社会科教科室に行くといい」
「ありがとう!」
しかし何様なんだこいつは。
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「いいところに来た。これを教室まで運んでおいてくれないか」
嵌められた。何が行くといい、だ。
社会科教科室で世界の終わりのような顔をしていた中禅寺先生は私を見るなりそう言った。机には次の授業で使うらしい資料が積まれている。やたらと分厚い。煉瓦のようだ。
「臨也くんめ……」
「折原くんがまた何かしでかしたのかい?彼には教師一同なかなか手を焼いている。この学園で僕の次くらいに口が減らないようだ」
「いえ。何かされたわけでは」
「じゃあこれを教室に、」
「あの!私は用事があってここへ来たので、しばらく教室に戻るつもりは……」
「ほう、用事」
嵌められた感はあるが、確かに中禅寺先生はこの学園で一二を争うくらい頼りになる人物だ。
私を追うあの男は小妖怪のような雰囲気があるから、この社会科教科室という結界の中には入れまい。
「ええと、質問、質問です。先生の授業に対する質問があります」
「ふむ」
「あのですね、先生の授業はわかりやすいんですが横道に逸れすぎです。特に風習や公伝が絡んだ時なんか。ていうか社会科っていうより八割くらいは民俗学ですよね。面白いけど私たちも一応受験とかあるので……それと、その渋いお着物お似合いだし素敵なんですが、近所で旧校舎に出る幽霊として噂になってるからやめた方がいいんじゃないでしょうか。あと顔が怖すぎます」
「……ふむ。君のそれは質問ではなくクレームだ。検討しておくからこれを教室に持っていきたまえ」
「はい」
あれおかしいな、廊下に立っているぞ。
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重い。とても重い。こんな時に奴に見つかったらひとたまりもない。
ろくに前も見えないような危なっかしい姿勢でよろよろと角を曲がると、案の定人とぶつかった。一瞬体がびくりとこわばる。
が、目に入ったのは茶に近い金色だった。奴の髪の毛とは正反対の、綺麗な色。
「ごめんなさい!」
「Sorry.」
緑の瞳で私を見下ろすのは、春から交換留学生としてやって来ているアーサーくんだった。
「大丈夫か?」
アーサーくんは流暢な日本語でそう言うと、こぼれ落ちた一冊の資料を拾ってくれる。
「ありがとう」
「ああ。これ、社会科の資料?」
「うん。中禅寺先生に渡されて」
「あの東洋の神秘って感じの先生か。女の子にずいぶん重いもの持たせるんだな」
「中禅寺先生、肉体労働はしないって十四の時に誓ったらしいよ」
「へえ……。どこまで?」
「五組の教室。手伝ってくれるの?」
「紳士の国が、見捨てるわけにはいかないからなあ」
ぽりぽりと頭をかいて彼は荷物を半分受け取った……その時、背後に人の気配がして私は思わず手を滑らせる。分厚い資料の角がアーサーくんの足の甲に直撃した。
「ごごめん!」
「fuck!」
「……ぱーどぅん?」
「No probrem.」
アーサーくんは紳士ぶっているがパンクスかもしれない。
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笑顔で去っていったアーサーくんに手を振りいよいよ絶望する。
午後の授業は体育。すでに教室には誰もいなかった。この状況で一人で更衣室に向かうのは自殺行為に等しい。
奴は変態でもあるからだ。制服を脱いだら最後。覗かれたり盗まれたり襲われたりするに違いない。
サボるしかないと判断し、私は最後の手段である屋上の階段を上った。この先にはあの人がいるはずだ。
……しかしその人は、私が屋上に到着する前に自らドアを開け階段を下りて来た。
「西園先輩!」
「……ん、なんだ。どォした?」
当然のような顔でタバコのソフトケースを握りつぶしてサッシの溝に挟むこの男は、学園の黒い弾丸、西園伸二先輩だ。
「……ネーミングセンスやばいねアンタ」
「いつか高杉先生と戦ってほしいです」
「戦うって何してよ」
意外とツッコミ体質なこの先輩のそばにいる限り、とりあえず身の安全は確保される。学園内にこの人に目を付けられたい人間がいるとは思えなかった。
「って先輩、どこ行くんですか?」
「これからちょっと、留学生との異文化交流があってなー」
「……留学生って、うちの学年のアーサーくん?」
「そー。俺ほどじゃねえけど、アイツはいくつも人格持ってるから気を付けた方がいいぜ。って余計なお世話か」
なるほど、やはりアーサーくんはパンクスのようだ。チンピラ日英同盟が結ばれる瞬間を見たい気もしたが、下手したら血を見ることにもなりそうだったので足を止めた。
「西園先輩、この学校で一番安全な場所ってどこなんでしょう……」
私の質問に、先輩は少し首を傾げてからニヤリと笑う。
「いくつか思いつくけど、まァあそこじゃねーかな」
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ドンと背中を押され、私は科学準備室へ放り込まれた。
じゃあネ〜と去って行く西園先輩に、私は言葉を伝え間違えたかと思った。私は安全な場所を聞いたのであって、校内で一番恐ろしい場所を聞いたのではない。
なにやら嗅ぎ慣れない薬品の匂いが混ざり合う薄暗い室内の奥には、煤けた白衣を着た教師が一人立っていた。
「……なにかね」
問われただけで、思わず謝りそうになる。噂では科学部の顧問をしていると聞くスネイプ先生は、何人なのだかちゃんと授業をしているのか教師として生徒を受け入れる気はあるのか、いろいろなことが謎な人物であった。
「薬品が痛むから早く扉を閉めなさい」
思ったより落ち着いた声でそう言われ、ガラガラとドアを閉める。シンとしたその部屋で、私はなにを言えばいいか解らず立ち尽くした。仏頂面で硬派な雰囲気はよく似ているが、スネイプ先生は中禅寺先生と違って冗談が通じなさそうだ。
「あの、ここにはストーカーを撃退する薬品とか置いてますか」
そのスネイプ先生相手にこんなことを言った自分の度胸を褒めてやりたい。
「ストーカーを撃退する薬?苦しんだ末に死ぬ薬ならあるが」
訂正だ。なんでこんなことを聞いてしまったんだ。本物の恐ろしい人じゃないか。
「もちろん生徒に渡すわけにはいかない」
いや、意外と常識人だった。
「……何か困っているなら、私じゃなく担任か学年主任に相談しなさい。社会科の中禅寺先生でも良い。彼は中々だ」
そしてまともなアドバイスまでくれた。私はイメージ先行で先生をおかしな人だと思ってしまったことに心の中で謝り、そうします、と言って科学準備室を出た。
いる。
確実に奴の気配は近付いている。
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走っていた。
根源的な恐怖に身を任せ、彼の気配から逃れるように走っていた。
上履きのまま昇降口から外へ出て、人気のない裏門の脇へとやって来る。
もうどこにも逃げ場はない。
こうなったら受けて立ってやるとヤケになり、息を整え、壁に手をついた。
ふと、そこが普段あまり気に留めない用務員室の外壁だということに気付く。そっと中をのぞき込むと、すらりと髪の長い人物が一人椅子に座って時計を見つめていた。人形だろうか、と一瞬迷うほどに、無機質で綺麗な見た目をしている。しかし人形などではもちろんなく、こちらに気付いたその人物と、窓越しに目が合った。
「……何?」
ガラス戸が開き中性的な声が降ってくる。教師としての立ち位置や、その性格が読めないスネイプ先生とは違い、この人は年齢も国籍も性別すらもよく解らなかった。なんなんだこの学園は。大丈夫なのか。
「いえ、すみません」
「用はないの?」
「はい……。用務員さんですか?」
「そうだよ。ちょっとした事情があって、前の用務員の代わりを俺がやってる」
そういえば、前の用務員さんはいつの間にか姿を見なくなっていた。似合わない用務員服の名札には『イルミ=ゾルディック』と記入されていたが、私はその聞き慣れない響きには触れずに「いい天気ですね」と言った。
「そうだね」
窓から垂れる黒髪が風に揺れる。そこからはなんだか西園先輩と似た匂いがした。なんの匂いだかは知らない。
「あ、」
「え?」
「時間だ」
そう言って、おそらく男性である彼は何故か窓から外へ飛び出して、何処かへと消えていった。
『酷いなあ。そんなに必死で逃げなくてもいいじゃないか』
──ああ、来た。
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笑顔の男が立っていた。
高校生だがまだ少年の面影が濃い。
『よりにもよって、厄介な連中のところにばっか寄るから。なかなか君に声をかけられなかったよ』
独特の口調に寒気がする。白々しいし、空々しい。
「……球磨川くん」
『いいね。もっと呼んで』
「……」
もう何も言いたくなかった。何を言っても不快になる事は目に見えている。彼は悪人じゃない。圧倒的に劣性なだけだ。それだけにどう対処をしたらいいか解らない。
『まったく。今日見て回っただけでも、この学園は人格破綻者ばかりだ。困ったものだね』
「球磨川くんに言われたくないよ」
『酷いな、一緒にしないでくれよ。彼らは確かに一癖も二癖もあるけど、所詮はみんな勝ち組だ』
彼は大きな目をすうと細めて私を見据えた。動けなくなる。一歩二歩と距離が縮み、私は壁際に追い詰められた。
『おや?早退届け。いい物を持ってるじゃないか』
いつの間に抜き取ったのか、ブレザーに入れていた紙切れが彼の手にある。
『二人分の名前を書いて、掲示板にでも貼っておこう。早退理由は……恋の病でいいかな?』
もうやだ。こんな変人ばかりの学校、近くて綺麗なんていう理由だけで選ぶんじゃなかった。
球磨川くんの手がゆらゆらと近付いてきて、私は思わず息を吸った。
【助けを呼ぶ】
→保健医の高杉先生
謎の後輩臨也くん
社会科教師中禅寺先生
交換留学生アーサーくん
危ない先輩西園伸二
科学部顧問スネイプ先生
何もかも不明、用務員のイルミさん
誰も呼ばない
…………と、こんな危険でもやもやした乙女ゲーがあったらいやだなあという、妄想の産物です。
拍手ありがとうございました!