novel2





「酒くらい落ち着いて飲めないのか、おまえは」
 そう言ってため息をついた彼こそ、一年前まで未成年だったはずなのにどうしてそんなに落ち着いていられるのかと不思議に思う。私服のシャツの袖からは華美すぎずチープすぎない色形の腕時計がのぞいていた。この人はなんというか本当に、呆れるほど隙がない。
 そんな隙のなさを携えたまま、ありふれた居酒屋の半個室におさまる二宮さんは、ラミネートされた安っぽいメニュー表から顔を上げ私を見た。『自販機のコーヒーは飲まんが飯くらいは一緒に行ける』という、おそらく彼なりの仲直りの言葉をこれ幸いと、本部の外まで連れ出したはいいものの──どうにもそわそわと落ち着かず、早く酔いが回らないだろうかとせわしなくジョッキを傾けていた。
「お、落ち着いてますよべつに。ただ、お酒飲むの久しぶりでテンポがわからないだけです」
 きっと私の知らないおしゃれなお酒を頼むのだろうと思っていた二宮さんは、意外にも生ビールを注文しおいしそうに泡を食んでいた。彼についての話をしながら、ファーストフード店で出水くんと向き合っていたのはちょうど一週間前のことだ。二宮さんへの想いを一方的にこじらせてしまっている身としては、とてもこの席が『同期の男子とのご飯会』なんていう気軽なものと思えず狼狽してしまう。
「唐揚げ遅いですね」
「頼んだばかりだろう」
 会話を探して、とっさに食いしん坊のような発言をしてしまったことを後悔する。綺麗な箸づかいでお通しの煮豆をつまむ二宮さんからは、実はまだトリオン体なんじゃないかと疑うくらい人間臭さが感じとれない。はやくも一杯目を飲みきってしまった私は、赤くなり始めているだろう自分の目尻をさりげなく、指でこすった。「何か飲むか」「あ、生で」着々と色気をなくしている気がするけれど、今の私の味方は生ビールだけだから仕方ない。そんな二人の元に幸か不幸か、一通のメッセージが舞い込んだのは私が三杯目の生ビールを半分ほど空けた頃だった。箸を置いた彼は「悪い」と言ってスマートフォンを見る。メッセージアプリを操作しているのか、軽く親指を動かしたあと、わずかに眉をしかめた。
「犬飼が」
「え?」
「来たいそうだが、どうする」
 彼の隊の若きガンナーとは私も知らない仲ではない。彼は交流範囲が広かったし、年上にも物怖じしない無邪気さを持ち合わせているのでこの場に呼ぶにはうってつけである。そんなに弱気な姿勢でどうする、とも思ったけれど、ここで難色を示し他意を感じとられても困るため、頬をゆるめ頷いた。
「ああ、犬飼くん、ぜひ」
「……」
 さっさかと再び親指を動かした二宮さんは、おしぼりの横へパタリとスマートフォンを伏せ、どうしてか私をじっと見た。アルコールでいい具合に神経がゆるんでいた私は、しばらくの間その視線を受け止め、それからさすがに恥ずかしくなって下を向く。二宮さんがこんな風にして私を見据えることは初めてではない。基本的に、彼は対話する相手をごまかさず、逃がさず、正面から見る。自分に自信がある人の態度だと、私はそれが少し苦手だった。彼に恋心を抱いていることを抜きにしてもだ。
「おまえ……」
「……はい」
「そんなにビールが好きか」
「え、はい、まあ」
「ビール、おいしいです」「そうか」そんな要領をえない会話を十往復ほど交わし、二宮さんって意外とたわいない雑談が好きなのかもしれない、なんて思い始めた頃、通路との境にかけられた暖簾がふわりと浮いた。薄い色の跳ねっ毛がのぞき、軽いトーンの声がひびく。
「お邪魔しまーす。よかったですか、名前さん」
「もちろんだよ。飲んでてごめんね、好きなもの頼んでいいよ。お肉食べる?」
「また子ども扱いしてー」と笑いながら、十八歳の男の子は社交的に目を細めた。我らが師匠、出水公平と似ているようで違う抜け目なさをもった彼は、硬派揃いの二宮隊を照らすきら星のような青年である。お酒を飲めない彼のために料理をいくつか注文し、互いの隊の近況や戦績をあいさつがてら話したところで、二宮さんが席を外した。
「珍しいですね、二人で飲んだりするんですか」
「うん初めて。ねえ、二宮さんご飯のことメシって言うの、かわいいよね。そんなこと言いそうにないのに、うくく」
「名前さん、なんかそーとー酔ってるね?」
 どうやらそうらしいけれど、彼が来たことで俄然肩の力が抜けた私は回るアルコールにまかせしょうこりもなくテンションを上げていた。「麦焼酎お湯割りでください」と店員さんに告げているところを戻ってきた二宮さんに目撃され、呆れられる。彼だってそれなりに飲んでいるはずだけれど、乱れた様子は見られない。引き続きトリオン体の隙のなさを体現している。顔に出ないタイプなのだろうか。
「つぶれても送らないからな」
「わかってます。自分で帰れます」
「俺が送ってあげますよ」
「さすがにそれは頼めない。そういえば、他の二人は誘わなくて平気だった?」
「辻に半個室は荷が重いですよ。ねえ二宮さん」
「……そうだな。そろそろ女でもなんでも斬れるようになってもらわないと困る」
「ああ、辻くんそういう感じでしたっけ」
 涼やかな男前である彼は女性が苦手なのだと、昔ひゃみちゃんから聞いたことがある。マイク越しのオペレートですら慣れてきたのは最近のことらしい。
「ていうか、どうして敬語なんですか? お二人たしか同い年じゃありませんでしたっけ?」
「そう、なんだけどね。だって二宮さんだし」
「はあ」
「俺もそう思ったんだが、こいつはいつまで経っても敬語がとれない」
「だって今さら……タメ口は聞けませんよ」
「えーなんで? わかんない」
「犬飼くんは遠慮がなさすぎ」
 わざとか素か、十五分で敬語がとれた犬飼くんに呆れながら二宮さんをちらりと見る。酔っていないわけではないのか、大きな背中を椅子の背にもたれかけている彼の姿が妙に色っぽく見えてしまい、おもわずジョッキの残りをあおった。「おー、いい飲みっぷり名前サン」後輩には完全に舐められているし、同期には頭が上がらない。けれど別にそれに不満を感じているわけではない。なんて思いながら状況に甘んじようとしたところで、犬飼くんがいたずらっ子のような顔でこちらを見た。なんだか嫌な予感がする。
「ちょっと練習してみましょう」
「練習?」
「俺の言ったことタメに直して言ってみてください」
「はあ」
「いいですか、じゃあ『この唐揚げおいしいですね』」
「……この唐揚げおいしいね」
 私のぎこちない言葉に、二宮さんは仕方ないという顔でうなずいてグラスを傾けた。飲みくだしたお酒が逆流するんじゃないかというくらい心臓が肺周辺を圧迫していたけれど、発してしまえばなんだか楽しい気分になる。
「『二宮さん、メニュー表とってください』」
「に……にのみやくんメニュー表、とって」
「……」
 調子に乗って続行する。しかしラミネートをめくった彼の表情が一ミリたりとも変化を見せていないことにおののいて、とっさに口をおさえた。
「ホラ怒ってる!!」
「……別になにも言ってないだろ」
「アハハハ!」
 涙をためながら笑っている犬飼くんはシラフのはずだ。彼のコミュニケーション能力を恐ろしく思いながら、やって来た焼酎に口をつけた。「お姉さんコーラください。二宮さんモスコミュールでいいですか? たしかジンジャーエール好きでしたよね」絶好調の犬飼くんを眺めながら、私もこんな無敵の男の子に生まれたら楽しかっただろうななんて思った。二宮さんも心なしかリラックスしているように見える。ランク戦の様子を見る限り、彼らは徹底してビジネスライクな会話しか交わしていないけれど、お互い思った以上に今の隊を居心地よく思っているのかもしれない。時間はあっという間に過ぎ、とっぷり夜はふけて、私はすっかりいい気持ちになっていた。




「……送ってくれないんじゃ、ないんですか」
「だまって歩け」
 月の見える夜道で、前を歩く二宮さんにそう問うと彼はポケットに手を入れたまま短く言った。彼の脚は長いため、酔っ払った私ではついていくのがやっとだ。どんな顔をしているのかはわからない。場を華やがせ嵐のように去って行った犬飼くんは無事家に帰れただろうか。ボーダー隊員は三門市近辺の大学に推薦状が出るため、みな生活の範囲は近かった。彼の家だっておそらくこの近辺だろう。けれどやはり、こんなシチュエーションになるとボーダー隊員としてではなく、一学生としての自分が顔を出しドキドキしてしまう。
「二宮さん……二宮くん」
「……なんだ」
「呼んでみただけです。酔ってると、無意味に電話とかして人の名前呼びたくなりますよね」
 アパートへの角を曲がったところで彼は足を止めたのだけれど、私は地面ばかり見ていたため革靴のかかとが目に入るまで気付くことができなかった。あれ、と思い顔を上げる。近くで見る彼は思っているよりもっと背が高くて、本当によくできた像をした男の人だなあと感心してしまった。電線の隙間で月が二重にぼけている。
「おまえが余計なことを言うから、最近はいろいろと考えた」
「……」
「実務的なこと以外は考えないようにしてた。俺たちに任されていることは、感情を挟むにはあまりに危険だからな」
「そうですね。ボーダーはよくできた組織です。信頼して従うしかないんだと思います」
 たしかに私たちはボーダー隊員だけれど、同時にこの街の住人だ。様々な想いを抱えながら、自分や人を守っている。
「割り切るのは難しいな」
「いろいろありましたから」
「いろいろか……おまえくらい曖昧な物言いを許せたら俺も」
 彼はそこまで言って、はたと言葉を止める。失言と思ったのかもしれない。けれど私は傷ついていなかったし、むしろ彼の言葉を淀ませるような存在になれていることに純粋に驚いていた。大きな手が伸びてきて、お詫びというふうに私の額に触れる。前髪をやさしく乱されて、お酒が二人を感傷的な気持ちにさせているのだとしても、この瞬間はとても大切なのものなのだろうと思えた。
「そこだろ」
 何事もなかったように、再び歩き出した彼は私のアパートを指差す。ボーダーの学生が半数以上をしめる小さなアパートだ。彼はきっと勘がいいから、私がいまなぜ泣きそうなのか、もう気づいているのだと思う。そして私がこの想いを告げないことも知っている。それに後ろめたさを感じないことが、私に対しての誠実さであることも。だからこれからも彼は私を正面から見据えるのだ。
「おやすみなさい」
「ああ」
 子ども扱いと言われるかもしれないけれど、こんど犬飼くんに会ったらジュースを買ってあげよう。辻くんにも、挨拶くらいできるといい。ひゃみちゃんに彼と話すコツを聞いてみようか。二宮隊は本当にいい隊だ。隊長が素敵だからに違いない。
 彼らの輝きを敬いながら、私も自分の仲間のことを思った。

2016.3.6

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