novel2




The Sleepingface I can kill.


 色が失せたような臨也の顔に、一筋の赤がはしっていたため生きているのだと思った。
「寝てるの?」
 問いかけても返事はなく、空調の音一つしない室内は生命の気配が薄い。彩りにと飾ってある観葉植物だって、作り物のようにぴたりと固まっている。開放的であるはずの大きな窓は、あまりに綺麗に磨き上げられているためか逆に密閉感をあおっていた。
 私はソファーに横たわる彼を見下ろしながら、明かりをつけるべきか迷った。部屋を照らしているのは街の光とキッチンから漏れるLEDだけだ。少しのあいだ観察してから、何か掛けるものでも持ってこようと二階へ向かう。しかし彼は、戻ってきた私がその薄い腹に毛布をかけようとした寸前に、目を開けてこちらを見た。
「なんだ、起きてたの」
「今起きたんだよ」
「嘘」
 少しのまどろみも感じさせない顔と声でそう言って、臨也は背を起こした。そもそも他人が部屋へ入ってきたことを感じ取れない男ではないのだ。
「誰かと思った」
「カードキーくれたの、臨也でしょ」
「そうだったね」
 飄々としながらもどこかふやけた彼の雰囲気は、私の知る折原臨也から右下に二度くらいずれている気がして、心配になる。隣に座り横顔をじっと見ると、彼はわずかに首をかしげてから「ああ」と言って頬の傷に触れた。もう乾いているらしいそれは、刃物でつけられたというより「重たいものが高速で掠めた」といったふうである。
「最悪だよ。西口公園のあたりで見つかって、一丁目の交差点まで走らされた。ただでさえ寝不足でしんどいってのに」
「寝不足のときに池袋なんて行くからだよ」
「不要不急の用があってね」
 彼の頬を掠めるものはナイフや銃なんていうありふれた武器でなく、道路標識や自動販売機、郵便ポストに消火栓といった重火器ならぬ、什器のようなものだ。街を舞台にしてゲリラ戦を繰り広げる我が同級生たちは、卒業後何年が経ってもこうして殺しあいをしている。
「殺しあうって楽しいの?」
「俺が楽しくてこんなことしてると思う?」
「楽しくないことはしないでしょ、臨也は」
 なんとなく知ったような口をきいてしまったのは、いつもと様子の違う臨也をなんとか自分の知る範疇に引き戻したかったからだ。
「まあ確かに、シズちゃんが死ぬっていうならこれ以上なく楽しいけどね」
 そう言った彼はけれど全然楽しそうでなく、楽しそうでないときは大抵苛立っているというのに今日はそうですらなく、ただ表情を消して、訥々と心情を口にしている。
「俺はどうしても奴を仕留める必要があるんだよ」
「仕留める……?」
「そう。明確に、狙うべき目標として、ナイフを命中させるんだ」
 ソファーに座ったままじっと前を見すえる彼は、何かを一心に信仰する敬虔な若者のように見えた。
「まあ、奴にナイフは刺さらないからあくまで例えだけど」
 けれど宣言しているのは同級生への殺害予告というろくでもないものだ。それでも彼は、自分の創りだした壮大でいて個人的な人生論を、こうして信奉しつづけている。それはまさに途中で足抜けのできない宗教のようなものだ。彼にはたくさんの信者がいるけれど、彼に対し一番忠実なのは彼自身だった。
「仕留めたら、どうなるの」
「すっきりするね」
「……それだけ?」
「それが大事なんだよ、俺には。あいつがいるだけで俺はずっと……」
 心臓の上に手を当てて、彼はそこにうず巻く靄をしずめるように息を吐いている。
「ずっと、何?」
「向こうもそうだと思うよ。俺が生きてるだけで気が休まらないのさ」
 微妙に言葉をはぐらかしながら、彼はなおも精神的自傷行為をやめない。薄暗い部屋、夜のはざまで静かに話をする折原臨也は私から見ても相当に心許なかった。
「臨也はどうして、私に鍵をくれたの」
「今日は質問が多いね」
 この際だからと疑問だったことを尋ねると、話題が変わったことに少しほっとしたのか、彼は足を組みかえてこちらを見た。
「誰かに対して、無防備でいたかったのかもしれない」
「無防備?」
「俺をいつでも殺せる人がいたらいいと思ったのかな」
 返ってきた答えはやはり理解できないものである。そして前の話題からも完全には切れておらず、いよいよ重症だと思った。今日の殺しあいで頭を打ち、おかしなスイッチでも入ってしまったのだろうか。例えば時間差の自爆スイッチのようなものが。
「君がさっきナイフを振り上げたら、俺は死んでた」
「でも臨也、寝てなかったでしょ」
「寝てたよ。そういうことにしておいてくれ」
 そんなふうに投げやりに言うのはずるい。私は思わず手を伸ばし、彼の頬に触れた。真っ直ぐに走る赤い線。乾いた血小板が指の先でざらついている。
「殺せるのに殺さない名前の前でなら、俺は安心していられるんだ。腹を見せて寝る犬みたいにさ」
 こんなふうにあからさまな弱音を吐くなんて、何か裏があるのかもしれない。私の反応を見て楽しんでいるだけなのかもしれない。そう勘ぐったけれど、気のおかしな人間が不意に見せる、人並み以上の弱さなんていう物にはいかんとも抗い難く、私はそのまま手を滑らせて首を撫でた。犬にするように優しく、ていねいに。
 しばらくそれを受け入れてから、彼はゆっくりと立ち上がった。部屋用のスリッパが床をこすり、音のない部屋に少しの生命が宿る。
「……俺は話すのが好きだけど」
「え?」
「さすがに今夜は話しすぎた」
 乾いた声とともに、臨也の手が壁へ伸びる。
 ぱちりと電気をつけ、明るくなったその時にはもういつもの顔に戻っていた。
 観葉植物はプラスチックのように青々と手を広げている。まっさらな窓ガラスに二人の姿が反射して、街の光と重なった。すべてがちぐはぐで嫌になるほど整っている。この部屋には正しく生きているものなどなにもないのだ。

いつでも殺せる寝顔が見たい

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