novel2


She is my girl.
(and I'm hers too.)



 ただなんとなく暇だったため、ゲームアプリを開いていた。
「結婚しようか、俺ら」
 ちょうどいい必殺コンボが決まる直前にそんな声が聞こえてきたものだから、思わず生返事をしてしまう。
「いいけど」
「そ。じゃあよろしく」
 滑らせた指がディスプレイの外へとはみ出して、大きくMiss!の文字が表示された。盛大な音を立て味方は全滅し、コンティニュー画面へと切り替わる。
「え?」
「いいの? 死んでるけど」
 背後のベッドから私のスマートフォンを覗きこみ、及川徹はなんてことない様子でそう言った。
「ああうん。ていうか徹、今なんて言った?」
「死んでるけどって」
「その前」
「そ。じゃあよろしく」
「あ、もうちょい前」
「結婚する?」
「そこ」
 DVDを巻き戻すように指示しながら、確かに耳に入った信じられない言葉をもう一度再生する。彼はやはりそう言って、クッションを抱えたまま小首を傾げた。女から見てもなかなか可愛らしいその仕草。けれど唇を尖らせた小悪魔顔の下に連なるのは、たくましい肩や胸だ。ぶりっ子をしたって無駄である。
「なんで?」
「なんでって何が」
「なんかのドラマの真似? それ」
「……一応オリジナルのプロポーズなんだけど」
 徹は憮然としながらそう言うと、クッションをそのへんに放りすて床へ降りた。私の横へ座るのかと思いきや、今度は転がっていたバランスボールを脚の間にはさみ腹筋を始める。スマホゲームをしている女に、筋トレをしながらプロポーズをする。オリジナルだとしたら些か雑なシナリオだ。それ以前に、そもそも私たちは──。
「付き合ってないよね?」
「付き合ってないとプロポーズってしちゃいけないの?」
「……基本的には」
「基本って何さ。いつ誰が決めたの? 何時何分、地球が何回まわったとき?」
 左右交互に体側をひねりながら、徹はそんな小学生のようなことを言っている。私たちが出会ったのは高校のころだけれど、基本的にお菓子を食べたりゲームをしたり、互いの家に行ってやることといえば小学生のようなことばかりだった。そう、私たちの基本はそれだ。地球が何回まわったときかは覚えていないけれど、二人の関係はとっくの昔に決まったのだと思っていた。
「徹、結婚したいの?」
「それなりに」
 上京して一人暮らしを始めても、その関係は変わらなかった。暇なときにふらっと遊びに行き、だらだらと時間を共にする。うっかり終電を逃がし泊まることは時折あったが、色っぽい雰囲気になったことは一度もない。
 昔から付き合っていると誤解されることはたまにあった。けれど、それぞれに彼氏や彼女ができたときに一応のところ否定しておくくらいで、特別むきになることもなかった。「お前らどうにもならねえの?」と、いつだかデリカシーのない友人に面と向かって聞かれたことがあるが、顔を見合わせて「んー」だか「あー」だか曖昧な発声をして終わった気がする。
「んあー……」
 そのときと似たような音を喉の奥からひねり出していると、徹はきっちりワンセット分の腹筋を終わらせてから、ようやく私の隣へ腰を落ちつけた。熱くなった体の気配がふわりと肌に届き、私は冷房の温度を一度下げた。徹の体はいつでも燃えているため、彼が部屋にいるときは設定温度を低くする必要があるのだ。
「嫌?」
「い、いやというか」
「俺は結婚するならお前かなって、ずっと思ってたけど」
 初耳である。そして繊細な話題のわりに、私を眺める彼の視線はとても無遠慮なものだ。ファミレスでぐずぐずと注文を迷う私にむけて、彼がむけるものと同じだ。私は混乱して下を向いた。結婚というのはこんな風にそばかうどんかを選ぶ気軽さで決めるものだったか。
 自分のつま先を見ながら、ぐるぐるといろんなことに思いを馳せる。以前付き合っていた彼氏は私の脚が好きだと言っていたので、ペディキュアを塗るくせがついていた。その変化に気づいたとき徹は何も言わなかったけれど、今日のように部屋でだらけていたある日、唐突に私の爪をなぞったことがあった。何も言わず、雑誌を読んでいる私のペディキュアの青をひとつひとつ、人さし指でなぞっていくその感覚が忘れられない。ただ手持ち無沙汰なだけだったのかもしれない。けれど今思えば意味深だった。思い出しながら、ぎゅっと指先を丸める。徹はそれを見て、居住まいを正した。
「わかった」
「え」
「今からキスしてみるから」
「はい?」
「ダメそうだったら、ダメってことで」
「はあ」
「いけそうだったら……」
 彼はそこまで言うと、大きな手を私の横についた。覗きこむように見つめられ、やはりその目が慈愛というより挑戦的な色を含んでいたため、気圧されてつい目を閉じてしまう。
 そっと頬を支えてくれるような奥ゆかしさはなく、唇が触れると同時に、手のひらががっしりと腰をつかむのを感じた。ついばむように合わせてから数秒、いけると判断したのか、彼は器用に舌で私の唇を捲り、つながりを深くした。関係の変化を決定づけるような力強いキスだ。私はそれを受けながら、今自分はこの男にマーキングをされているのだと実感する。この先誰にも許さぬよう、雌と雄の契りを交わす。彼が付き合うにあたり結婚という言葉をもちだしたのは、きっとそういうことなのだ。つま先がまたそわそわとしびれ、体の奥が作り変わるのを感じる。
「意外とお前とのキス、きもちいい」
 けれど、彼にそこまでの自覚はないのだと思う。
 計算高いわりに本能的な判断をする及川徹が、私を生涯にわたって繋ぎ止めたいと言うなら断る理由はないだろう。なんの気なしに結婚なんて言えるのは、それだけ彼が自分の選択に自信を持っている証拠だ。おそろしい男である。
「徹の体熱い」
「筋トレしたから変に昂ぶってる」
「いけそうだったら、どこまでするの」
「……最後まで?」
 きっと最後までできるし、最期まで一緒にいられる。この人と二人で、ワンルームから墓場まで。嗅ぎ慣れた匂いをさらに近くで感じながら、これからのことを思い、私はまた足の指を丸めた。

2017/8/19
ハイキューの日!

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