novel2

Someday hollow
- 2021.06.20 lucca by tsujiko
- Suguru Geto × one girl




 黒が似合う男だと思う。かといってモノトーンではない。カラー写真を白黒に焼き直したような、どこか懐古的な雰囲気の男だった。
「初めからここにいないみたいだ」
 カウンター越しに呟けば、彼は首をかしげながら硬貨を一枚差し出した。週刊少年雑誌と、アイスコーヒーを一杯。それらをワンコインで精算し、青年は売店のベンチに座る。
「今、何か不吉なこと言わなかった?」
「すみません。寝ぼけてたみたいです」
「店番がそれじゃ困るだろう」
 からかうように笑い、彼はぱらぱらと雑誌を繰った。任務の帰りや、空いた休日、友人との息抜きの途中や、夜中にふらりと一人で、彼は山の下のこの小さな売店へやってきた。
 山の上の学校で何が行われているのか、そのおおよそは知っている。この店は学内に飲料や食材の仕入れをする、数少ない出入り業者の一つだ。父の代は内部の人間ともそれなりに付き合いがあったようだが、持病を拗らせ学生の私に店番を任せるようになってから、表立った交流は途絶えていた。唯一の関わり合いといえば、こうしてカウンター越しに物を売り、ちょっとした言葉を交わすくらいだ。
 高専の生徒たちはみな詰襟の黒い制服を身にまとい、ときに兵隊のような顔をして、ときにありふれた学生の顔をして、この店にやってきた。彼も例外でなく、日によって血の匂いを漂わせたり、ラーメン屋の匂いを漂わせたりしていた。
「呪術師って、大変ですか?」
「まあね。でもそれ、戦争って大変? って聞くようなものだよ」
 流行りのイートインなんていう洒落た造りではないけれど、彼はこの店のベンチが気に入っているようだった。コーヒーを一杯飲みながら、週刊連載の続きに一通り目を通す。そのあいだ、私のこうした雑談に付き合ってくれるのだ。
「戦時下において命の保証は常にない。そんな中でも、私たちには日常がある」
「コーヒーを飲んだり、漫画を読んだり?」
「そう。友人にメールをしたりね」
 片手で携帯電話のキーを打ちながら、彼はリラックスした様子で膝にかかとを乗せていた。初めの頃こそ優等生的な印象のあった彼だが、時が経つにつれその改造制服の馴染み具合に納得がいくようになった。私を気遣ってか、彼はいまだに猫をかぶるが、そのかぶり方はあまり徹底していないように見えた。
「そういえば」
 会話の流れから不意にあることを思い出し、私はレジの小銭を数えながら問う。
「前はよく一緒に来ていましたよね。サングラスのお友達と」
「……ああ、別行動が増えてさ。あいつは最近寄らないの? ここ」
「来ませんね。忙しいのでしょうか」
「そうかもしれない」
 想像よりもそっけない返答に、なんだか所在がなくなり一度数えた百円玉をもう一度重ね合わせる。
「呪術師って、学生ばかりなんですか? それなのに単独で命をかけてるの? それって随分……」
「おかしい?」
「一般的には」
 問うべきでない領域であることには、すぐに気づいた。けれどどうしても知りたい気持ちでもあった。山の上で行われていることに深入りをしてはいけない。ここで店番をする以前には、疑問の余地もなく思っていたことだ。
「大人の呪術師も多くいるよ。ただそれだけでは手が回らなくてね。そもそも術師の行動基準は年齢でなく階級で決まる。そういうものなんだ。非術師の君には、理解できないことかもしれないけれど」
「ひじゅつし?」
 聞きなれない言葉を問い返せば、彼は一瞬、目を見開いて瞳孔をきゅうと窄めた。
 見たことのない表情だった。血の匂いをまとった日ですら落ち着き払っていた彼が、ぎくりと、自らの失態にうち抜かれたように身を強張らせている。
「……術師じゃない人間ってことだよ」
「非、術師か」
 漢字を当てはめ納得する。そうして私がレジスターから顔を上げたとき、目の前の男はすでに普段の平静さを取り戻していた。けれども顔色は依然すぐれず、大丈夫かと声をかける前に、彼は席を立った。飲み終えたコーヒーカップをカウンターへ置き、読みかけの雑誌を小脇に挟むと「ごちそうさま」と一言告げて自動ドアへと足を向ける。
 彼が挨拶をするときに、私の目を見ないことは初めてだった。原因不明の焦燥感に苛まれた私は、彼が店のマットを踏み、古い自動ドアが音を立てスライドするのと同時に声を上げていた。
「あの!」
 彼はこちらを向かなかったけれど、その場所で立ち止まり私の言葉を待った。呼び止めておいて何を言うべきかわからず、私はしばらくのあいだ口ごもる。彼らのことを何も知らない。「非術師」である私に、彼らの心中などがわかるはずもなかった。
「……気をつけて。死なないで」
 けれど自分の心はわかる。彼らに、彼に、これからも長く生きてほしい。何気なく笑い、集い、憩う彼らのやさしい日常ができるだけ長く長く、保たれるといい。
 彼は私の言葉を聞くとわずかに体を揺らし、そのあと静かに息を吸った。大きな肩が持ち上がり、また沈む。振り向いてくれることを期待したけれど、結局それは叶わず、彼はただ「善処するよ」とだけ言った。
 暗がりの中に黒が消え、自動ドアががたがたと閉まる。
 ──すぐる、と呼ばれていた。
 白髪の友人の声を今になって思い出し、私も一つ、息を吐く。
 そうして何年が経っても、彼が再びこの店を訪れることはなかった。

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