novel2


Feel the city breaking and everybody shaking, people.
Stayin' alive.
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「両利きなんだと思ってた」
「もとは左利きだよ。右も使えるけどね」

 彼は右手でペンを回し、その先をそっとこめかみに当てた。軽やかなしぐさは少年じみているのにどこか品がよく、知性と活力にあふれている。
 早熟の天才。彼を見るとそんな言葉がよぎる。年齢を超えた能力や知識を持つ一方で、いくつになっても青臭く未熟な雰囲気が抜けないからだろう。矛盾しているように思えるがそれが折原臨也という男なのだ。端正な容姿をしているのに、彼を見ているとなぜだか心がおちつきをなくす。周囲の空気が帯電したようにそわそわと肌を撫でる。

「ほら、人の記憶に残りたくないときってあるだろ」
「左利きっていうだけで?」
「残るのさ。場合によっては」

 人間観察が趣味である彼がそう言うのだからそうなのだろう。それに他人を観察し記憶することでご飯を食べているのはなにも情報屋だけではない。刑事だって、探偵だって、警備員だって、結婚相談所の相談員だって、人間のことをよく見ている。左利きというありふれたマイノリティが命取りとなるシーンも、もしくはあるのかもしれない。私は彼の顔をじっと見て考えた。均整のとれた目鼻立ち。鏡に映しこんだようにぴったりと左右対称だ。

「シンメトリーの人は、身体能力が高いって」
「体幹が強いからじゃない。パルクールを教わったときにも言われたよ」
「バランス感覚いいのに、なんでそんなアンバランスに育っちゃったの」
「俺くらいバランス感覚がよくないと、こんなアンバランスな生活はできないってことさ」

 さもありなんである。高いところが好きだという彼は、自分で積んだ危なっかしい積み木の上で片足をあげ遊んでいる。いつか落っこちて痛い目を見ることは明らかだ。

「自分を、大事に」
「俺はいつだって自分中心だよ」
「自分の心に正直なのは知ってるよ。でも体のことは全然大事にしてない。危ないことばっかして、案の定怪我ばっかしてる」
「そうだね。怪我しそうだなって思って、実際に怪我することが多い。予想できるのに回避しきれないのは自分でも不思議だ」
「する気がないからでしょ」

 このまま心にばかり正直に生きていたら、いつか、近いうち、体はついていけなくなるだろう。人より優れた身体能力をもっていてそうなのだから、彼の精神はおそろしいほど奔放だ。

「君は昔から俺が好きだよねえ」
「そりゃ、嫌ってたらこんなふうに手伝ったりしないよ」

 私は無責任な人間のため、大した信条もないままに、誰かが不幸になるかもしれない情報の整理に精をだしている。表計算の数字が何を示しているのかは知らない方がいいのだろう。彼の雇う優秀な秘書は不定期に休暇を求めるらしく、そのたび彼は私を呼びつけた。本当に困っているのかもしれないし、ただ単に話し相手がほしいだけなのかもしれない。なにしろ彼は私が知る人間の中でも一二を争うさみしがりやだ。特別な人間をつくらないと豪語しておきながら、手近な人間を身内に囲いこんで甘えるのだ。

「俺の周りの人間は、俺を嫌うか、俺に甘いか、嫌いと言っておいて意外と甘いかのどれかだ」
「わかっててその態度ならほんと調子いいよ。人をお世話がかりみたいに」
「君はいつもやたらと俺を心配してくれるからね。助かってるよ」
「……つみれに似てるから」
「は?」
「子どものころ飼ってた猫。怖がりのくせに、雷の日に飛び出していってそのまま行方知れずになった」
「ふーん……どうでもいいけどそのネーミングセンスはどうなの」

 入力し終えたデータをプリンターへ送りながら、私は幼いころ離ればなれになった友だちのことを思い出す。私にちっとも懐かなかったけれど、泣いているときにだけそばへ寄ってきて尻尾で頬を撫でたりした。

「俺だって、そのうち急に行方知れずになるかもしれない」

 彼はそう言ってわざとか否か、猫のようにうっすらと目を細めた。たしかに、自分から雷に当たりにいくようなところはある。目つきも習性もよく似ていると思う。姿を消すとしたら、それはやはり──。

「いつまで五体満足でいられるかだってわからないんだから、今のうちに世話焼いてよ」
「……また、縁起でもない」
「そうだね。でもさ、体なんてオマケみたいなものだ」

 彼はさっきから仕事をせずに、ペンを回してばかりいる。やはり私はただの話し相手なのかもしれない。このデータに意味がないのなら、それはそれでありがたくはあるが。

「目的は常に心だろ。体は手段にすぎない」
「その手段を失うことを人は死ぬっていうけど。臨也って、死して志を残したいタイプ?」
「まさか。生きてなきゃ意味ないよ」

 堂々巡りだ。私は彼とこんな禅問答をしたいわけではない。ただ、この利き手すら知れないほどシンメトリーに仕上げられた美しい体が、気まぐれな心によってめためたにされてしまうのはあまりにもったいないと思った。

「大事にして」
「そればっかだね」
「だって」
「俺のなんだから、好きに使わせてくれよ」

 私が自分を大事にするのは、大事な人がいるからだ。彼にはそれがいないから、自分のことも大事にできないのかもしれない。

「私のでもある、って言ったら?」
「いつから君のになったの」
「今からする」
「もしかして口説かれてる?」

 臨也は楽しそうに笑い、また一度ペンを回す。私はちっとも楽しくなかったため、それを取りあげ代わりに手を握った。長い指はさらりとなめらかで人間味がうすい。近くで見る彼の目には、私の次の行動に対する好奇心がありありと宿っている。やはり臨也にとって体は大切なものではないのだ。好奇心を満たすためなら簡単に私と関係をもつだろう。

「情熱的だね」
「私の情熱なんてちっとも伝わってないくせに」
「そんなことないよ。心配しないで」

 私の想いが彼に響かないことが悔しい。心配するなと言う彼が心配で心配で、心がどうにかなりそうだ。自分で予想しているとおり、このさき彼が無事でいられる未来はないのだろう。目尻から涙がこぼれないよう何度かまばたきをする。彼は困ったようなふりをして、左手の指でそれをぬぐった。雷の日に消えた猫は今どこにいるのだろう。死ぬために消えるのじゃない。きっとどこかで生き続けるためだ。

Stayin' Alive.


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