novel2



この世界は大丈夫
2021_07_23


 好みのタイプを聞かれたときには、必ず「優しい人」と答えていた。そこが出発点であり終着点だと思っているからだ。優しくない人間が一体どこへ行けようか? 人にとって「優しさ」とは絶対条件であり、前提事項だ。
「そう言い切るお前は、人に優しくしてるわけ?」
「もちろん。私の優しさは常にあまねく人々の上に、雷雨のように降り注いでるよ」
「例えおかしくない?」
「ある意味正しいと思う」
「そこ、コソコソしない!」
 週刊少年雑誌を回し読みしながら、私の発言に茶々を入れているのは詰襟姿の後輩二人組だ。無造作に開かれた二つ折り携帯の画面上で、グラビアアイドルが優しげに笑っている。やはり優しさというものは性別を問わず、一つの指標なのだとそれを見て思う。
「まあ、先輩が優しいのは事実ですよね」
 やにわにそう言って夏油くんが笑顔を向けるものだから、私は思わず言葉に詰まり、ただ素直に頷いてしまう。なんだか自分が阿呆のようだ。この後輩は悪ガキと優等生をこうして交互に使い分けるから困る。
「お前のそういう見境ないお愛想は、優しさとは違うと思いまーす」
「人聞きが悪い、見境くらいはあるさ。それに愛想というのは心地よい人間関係を築くための潤滑油だ。それだって充分優しさの内だろう」
「お愛想だったんだ……」
「いや、先輩が優しいのは事実ですよ」
 下を向き呟けば、夏油くんが焦ったように付け加えたため、めまぐるしさに笑ってしまう。たっぷりと余裕があるようで、そこまで余っているものでもないらしい。
「こうして高専で体を張っているんだ。誰にでもできることじゃない」
「それはそうだね。優しくなきゃ、誰もこんな所にいない」
 その結論に異論を挟む者はいなかったため、私たちはしばらくのあいだ黙ってしまった。ぱくりと携帯を閉じた五条くんが呑気な声で会話を再開し、私はほっと息を吐く。
「じゃあ、俺も傑も名前のタイプってことだ」
「言ったでしょう。優しさは前提条件であって、そこから先は言い始めたらきりがないよ」
「なにそれ。めんどくさ」
 うえっと舌を出して、五条くんは花のようなかんばせを歪める。
「めんどくさいって、目指してくれるの?」
「んなわけないでしょ。目指して何か得するわけ?」
「私に好かれるんだから得でしょうが!」
「どうする悟。やってみれば?」
「パス」
 とりとめのない雑談は談話室に響き続け、終わらない青春時代のようにその場所を彩る。
 否、それはあくまでも錯覚なのだけれど──今日も、術師を目指す優しい子どもたちが二人、三人。何やら些細なことで笑い合っていた。革張りのソファーは十年の歳月を経て、ややくたびれただろうか。
「彼は、とんでもない所へ行ってしまったね。五条くん」
 とりとめがないと思っていたそれを、私は意外にもよく覚えていた。優しくないとどこへも行けないと思っていたけれど、優しすぎてもだめらしい。夏油くんの目指していたものが何で、そのうちのいくつが叶えられたのか、私にはわからない。
「優しさとは違うでしょ。あれを、僕らが優しさと言うのは──」
 ダメでしょ。五条くんは一呼吸の後にそう言って、目隠しの縁に触れた。
 彼の言いたいことはわかる。けれど出発点は、確かに優しさであったはずだ。例え、終着点が地獄であろうとも。
「ちなみに、今の好みのタイプは?」
 五条くんがふいにそう聞いたため、私はなんだか急に悲しくなって笑ってしまった。
「変わってないよ。優しい人」
 悲しいけれど、まだ笑える。まだ変わらずに続けられる。
 少年たちはあの頃と同じように笑っていた。この世界には優しい人しかいないみたいだ。


#juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負 に投稿したもの。
(お題『優しい人』)

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