novel2





「付き合ってみればわかるよ」

 大将優と別れた理由を問うと、彼女は笑いながらそう言った。だから、というわけではないのだけれど──。

 教室の端でカーテンが揺れている。私はその曲線を見つめながらぼんやりと彼のことを考えていた。切り抜いたような目と、薄い眉。表情は意外と柔和で、声も優しい。強いと評判のバレー部で主将をしているしっかり者だ。人望も厚い。元カノらしい人を何人か知っているので、モテるのだと思う。私が知っているのはそれくらいだった。そもそも私が彼のことを気にし始めたのは、彼が私の話をしていると、友達づてに聞いたからだ。

「話って、どんな?」
「なんかカワイイとか言ってたよ。けどシャイだから話しかけられないんだって」

 本当にシャイな人がそんなことを言うだろうかと、聞いた時は思った。遠目で見た彼のイメージは飄々としてそつがなく、これといったとっかかりがなく思えるため、予想をつけることが難しい。
 そんな大将くんと、今までに一度だけ話をしたことがある。とても暑い日で、体育の授業が終わり頭がほてってしょうがなかった私は、白く光る校庭のコンクリートに目をくらませながらふらふらと下駄箱へ向かっていた。

「ダイジョブ?」

 声の方を振り返ると、名前の知らない同級生の男の子がこちらを向いていた。水道で顔を洗っていたのか、屈み込んだ彼の前髪からぽたぽたと雫が垂れているのが見え、目が離せなくなった。昔から、情景のある一点をじっと見つめてしまう癖がある。彼は視野狭窄な私の瞳を暑さからくるものと取ったのか「あれ」と唇だけで言い、歩み寄ってきた。

「先生呼ぶ?」
「え」
「熱中症みたいな顔してるから」
「あ、だいじょうぶ。ありがとう」
「そ?」

 にっこりと笑った彼はそれ以上なにを言うこともなく背を向けた。体操着ではない白いTシャツが遠のいていくのを見ながら、運動部の目立つ人はなぜ独自の服装で体育をすることが黙認されるのだろうなんて、どうでもいことを考えていた気がする。
 のちにそれがバレー部の主将大将優であり、同中の友達の彼氏であることを知るのだが、それを知った三日後に彼らはあっさりと別れた。どうやら彼女の方からふったらしく、文句はあれど未練はないという様子だったため思わず尋ねてしまった。彼女の返答は、今の私にとってある意味でリアルなものだった。たしかに気になってはいる。カワイイだなんて言われて、遠くから視線があった時にはにかむように笑われたりしたら、どうしたってドキドキしてしまうだろう。

「今日は顔色イイね」

 そんな彼と二度目に話をしたのは、それから一月ほど後のことだ。こざっぱりとした表情で目を細めて、大将くんはこちらを見ていた。話す機会こそなかったものの、なんとなく意識し合っていたことは互いにわかっている。彼の態度はそんな風だった。私は曖昧に笑いかえしながら理科実験室の蛇口をひねる。

「当番?」
「うん、日直、一人逃げちゃって」
「ひどいね。俺らどうせ使うよ、それ」

 次は彼らのクラスが理科実験であるらしく、早めに来た数人の男の子たちが黒い実験テーブルの周りにたむろしていた。私の元までやって来た大将くんは洗い終わった実験器具をなにげなく触りながら、機嫌よさ気にしている。私はビーカーの底を拭きながら彼の指先を見ていた。

「その、じっとこっち見るやつさ」
「え?」
「癖? ウサギみたい」
「……ごめん、視野が狭いみたいで」

 蛇のような彼の目が、今度は私をじっと捉える。私はウサギではないけれど、どうしてか動けなくなってしまう。視線を上げられず彼の爪ばかり見ていると、なんだかあの日のようにあたまがぼんやりとしてきた。テーブルの方から「ナンパか〜?」と笑われ、「るせ」と返す彼の声が聞こえる。ずいぶんと長い指だ。

「今度どっかいこ」

 開き直ったのか、漠然とした誘い文句を投げかけてきた彼にようやく顔を向ける。相変わらずにっこりと弧を描く口。つられて僅かに口端を上げる。たぶんちゃんと笑えていない。けれど彼は満足そうに眉を下げた。

「かわいーネ、ほんと」

 彼の内面は伺い知れないけれど、一つだけわかることは、彼はきっとシャイなんかじゃないということだ。じゃあ何かと聞かれればやはりそれは、付き合ってみなきゃわからないのだろう。けっこうな賭けである。拭きとれない曇り越しに彼の笑顔がゆがんでいる。


2016.3.15

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